ヨルダン軍地雷撤去班=ヨルダン渓谷/ヨルダン【撮影/安田匡範】

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チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュース が絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。8月26日にようやく停戦となったイスラエルによるガザ侵攻。パレスチナでは何が起きているのでしょうか。「パレスチナ問題」の後半です。

 前回は、エジプトやシリア、ヨルダンといったアラブ諸国が主体となった中東戦争について説明しました。

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 今回は、その間のパレスチナ人の動きを説明します。

 パレスチナ人も戦闘には参加していたのですが、「国家」がありませんから、パレスチナ人の対イスラエル闘争は「ゲリラ」組織が行なった行為とみなされていました。こうしたパレスチナの闘争の中心的な役割を果たしてきたのが、パレスチナ解放機構(PLO)です。

パレスチナ人のイスラエル闘争を担ったゲリラ組織PLO

 PLOは1964年に開かれたアラブ連盟において、パレスチナの解放を目指して「外部から」組織された団体でした。ところが、1967年の第三次中東戦争でアラブ側が大敗したために、パレスチナ内部の労働組合やイスラエルに対してゲリラ闘争を行なっていたファタハなどの組織が加わり、パレスチナの民衆組織として再編されました。

 1969年にはファタハを指揮していたアラファトが議長となり、ヨルダンの首都アンマンを本部にゲリラ活動を行なっていました。ところが、たびたびPLOがヨルダンから戦闘を仕掛けたために、イスラエル軍がヨルダン領内にまで追撃するようになり、1970年にヨルダン政府はPLOを武力で追放しました(黒い9月事件)。

 その結果、PLOの本部はレバノンへ移ることを余儀なくされましたが、レバノンに移った後もイスラエルに対して武装闘争を繰り広げていました。

 イスラエル側は1978年のキャンプ・デービット合意で南のエジプトからの脅威がなくなったために、本格的にレバノンのPLOの掃討を試みます。これが1982年のレバノン侵攻です(レバノン侵攻については橘玲さんの「映画で理解するレバノン内戦と数奇な現代史[橘玲の世界投資見聞録]」を参照してください)。

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