松山、石川のルーキーイヤーはいつだった?(Photo by Robert Laberge/Getty Images)

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 米ツアーの新シーズンが早くも始まった。今季の米ツアーは国際色が一層強まり、24か国から80名以上が厳しい1年に挑もうとしている。
松山英樹は2年連続で開幕戦3位タイ、米ツアー初V以来久々の…
 今週のフライズコム・オープンと来週のシュライナーズホスピタル・オープンは、従来は出場選手が132名とされていたが、今季からは144名になった。フィールドの拡大は米ツアーの拡大を示している。かつては注目の低いフォールシリーズだったが、昨年から開幕シリーズに変わり、注目が高まったからこそ、スポンサーも増え、出場選手数も増やされたわけで、米ツアーの進歩と成長は相変わらず著しい。
 そして、今大会には21名のルーキーが登場した。144名中21名、15%がルーキーというこの割合はなかなかすごい。米ツアー正式メンバーとして2シーズン目の松山英樹や3シーズン目の石川遼が何やらベテランのように見えたのも頷ける。
 だが、初々しいルーキーたちを眺めるにつけ、石川や松山のルーキーイヤーがなんだかよくわからないうちに過ぎ去ってしまっていたことが今さらながら残念に思えてしまう。
 石川は米ツアーの出場権獲得を目指していた2012年の春、特別臨時会員資格(STM)を満たして以後、10試合をプレーした時点で「ルーキー」になっていた。この年、米ツアーがルーキーの定義を変更したため、石川は自身も知らないうちにルーキーになり、米ツアーの説明によれば「その時点から遡って2012年全体がイシカワのルーキーイヤーだったことになる」ということだった。
 それゆえ、翌2013年は石川が正式メンバーとして米ツアーで戦った1年目のシーズンではあったけれど、もはやルーキーとは見なされない立場になっていた。
 松山は、ノンメンバーとしてスポット参戦した2013年は、石川のように「STM→10試合→ルーキー」という道を進んだわけではなかった。が、この年の途中、米ツアーがルーキーの定義をさらに変更したため、ノンメンバーであっても一定以上の条件(メンバーの125位以上に相当するフェデックスカップポイントあるいは賞金)を満たした時点で「ルーキー」とみなされることになり、松山も遡って2013年が彼のルーキーイヤーとみなされた。つまり、初優勝を挙げた2104年は彼はすでにルーキーではなくなっていたのである。
 ルーキー・オブ・ザ・イヤーの受賞のチャンスは一生に一度しかめぐってこない。それなのに日本人2人が2人とも、結果的に米ツアーの規定変更の煽りを食って貴重なチャンスを失う形になった。それは、たまたまそういう巡り合わせになってしまったのだろうけれど、やっぱり残念ではある。
 今でも忘れない、2013年の春、「今年はルーキーなので、いろんな試合に出てみたい」と語った石川に「実はもうルーキーではなくなっている」とこっそり告げたとき、彼はしばし絶句した後、「そうなんですか。残念ですねえ」と悔しそうに言った。
 昨季最終戦のツアー選手権が終了した後、選手たちにはプレーヤー・オブ・ザ・イヤーとルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票のための書類等が配られた。松山はそれを見て自分の名前がルーキー・オブ・ザ・イヤー候補の中に含まれていないことに気づき、「入ってないっすね」と、そのときは残念そうにしていたのだそうだ。
 ルーキーの定義を年々変更していった米ツアーは。その後もあらゆる面から進歩と成長を図り、どんどん姿を変えている。石川も松山も、そんな米ツアーの過渡期に遭遇してしまったわけで、それは良くも悪くも2人の運命、宿命と思うべきなのだろう。
 そう言えば、松山が初優勝を飾り、向こう2年間のシード権を獲得したメモリアル・トーナメントは、今年から優勝者に向こう3年間のシード権を与えることになった。この変化だって、去年から有効になっていたら松山は3年シードをもらえていたことになる。だが、そんな「タラレバ」を言ったところで実りはないし、松山自身、その変更を残念がっていたかと言えば、マネージャー氏いわく、答えは「ノー」だ。
 米ツアーがどの規定をどう変更するとしても、優勝者の定義だけは決して変わることはない。1つの試合で最小スコアで上がること。石川も松山も目指すは常にそこだけだ。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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