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 こんにちは。江端智一です。

 今回は、「性同一性障害の女性が施術によって男性になった場合、法律上の父親になれるか?」「男性から女性になった人は、赤ちゃんを産むことができるか?」についてお話しいたしますが、その前に簡単に復習させていただきます。

 9月9日付当サイト記事『戸籍上の父は性行為の日で決まる?DNA鑑定のみで親子関係を決められないワケ』において、民法772条について説明いたしました。第1項では、「結婚中に妻が妊娠した場合、その子の血縁上の父がどこの誰であろうとも、今結婚している夫の子として戸籍に記載する」旨を規定しています。母が出産によって確定的に決まるのに対して、子を産む能力のない父の身分は不安定なのです。

 なぜ、このような法律が必要になるかというと、子が生まれてから何年も経過してから父子関係を否定できることになると、子を守れなくなるから――ということになっています。

 また、第2項には、「離婚後300日を経過する前に生まれた子の父親は、母親の離婚前の夫とする」旨を規定しています。離婚後300日以内に生まれた子は、生物学的に離婚成立前の性交渉によってできた子どもと推定するためです。

●「300日問題」の司法判断

 そして、戸籍へそのように記載されることを避けるため、母が子の出生届を出さず無戸籍の子ができてしまうことを「300日問題」といいます。

 しかし、仮に「300日問題」があったとしても、「妻が元夫の子を妊娠する可能性のないことは『客観的に明白である』」と証明できれば、血縁上の父の子として戸籍に記載できます。

 ここで私は、はたと考え込んでしまいました。「客観的に明白である」とは、どういうことなのだろうか? 離婚前に元夫と同居しつつ別の男性と肉体関係があったとしても、元夫の子を妊娠する可能性を完全には否定できず、「客観的に明白である」ことにはなりません。それでも、DNA鑑定などで元夫の子でないことが判明すれば、それは「客観的に明白である」事実といえます。

 これが現実の事件として、最終的に最高裁判所で判断されたのが、「親子関係不存在確認請求事件(最高裁平成26年7月17日第一小法廷判決)」です。

この事件の概要は以下の通りです。

(1)ある夫婦の間に子ができたが、その子の血縁上の父は妻の浮気相手であった。これは、後に行われたDNA鑑定でも99.999998%の確率で事実であると証明されている。
(2)出産後に妻からその事実を知らされた夫は、「自分の子」として育てることにした。
(3)しかし、破綻した夫婦関係は長く続かず、離婚することになった。
(4)妻は子を連れて家を出て、子の血縁上の父と暮らし始めた。
(5)夫との離婚後、しばらくの日を経て、妻は子の血縁上の父と再婚した。

 さて、この子が前夫の子でないことは明らかですが、772条第1項に基づき、その子の戸籍上の父は前夫となります。このままでは、子が成長して自分の戸籍謄本を取得した時に、血縁上の関係のない人物が父として記載されていると気がつくのです。妻や後夫が、そんな戸籍の記載を変更してほしいと願うことは自然といえます。

 そこで、妻が子を代理して、元夫と子の戸籍上の親子関係の取り消しを求めて訴訟を起こしたのです。

 一方、元夫からすれば、浮気した妻の子を「自分の子」として育てる決意をし、短い期間でも共に過ごしたその子との思い出の日々が、跡形もなく完全に「なかったこと」とされるのは耐え難い苦しみとなることも理解できます。

 この裁判は、「推定」を優先するのか、「DNA鑑定」を優先するのか、どちらが本当に子の利益となるのかという判断を司法に求めたといえます。特に最高裁の確定判決は、今後、同様の裁判に対して決定的な影響を与えます。「この事件のケースだけに当てはまる」という安易な判断は許されないのです。裁判の経過は、一・二審は妻側が勝訴しましたが、最高裁では前夫側の逆転勝訴となりました。

 判決文の要旨を簡単にまとめると、以下のようになります。

(1)本ケースでは、妻と前夫は同居を続けていたのであるから、最高裁昭和43年5月29日判決でいうところの「夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らか」とはいえない。
(2)たとえDNA鑑定によって前夫の血縁上の子でないことが明白であったとしても、772条の立法主旨である「子の法的保護」の観点から、父子関係の存否を争うことはできない。

 つまり、772条1項の「推定」が「DNA鑑定」に勝った、ということです。ただし、5人の裁判官の中で2名が反対意見を表明するという、僅差でした。

 次の表は、私が判決文に記載されていた補足意見、反対意見を読んでいて琴線に触れたところをピックアップしたものです(要約ではありません)。

 この裁判の判決文は読みやすかったので、皆さんにもご一読をお勧めします。

 補足意見を読めば「判決は妥当だ」と思え、反対意見を読めば「判決は不当かもしれない」と考え直してしまいます。どの裁判官の意見も、深く考えさせられました。

●女性から男性へ性別が変わった場合、父親と認められるか?

 さて、ここから本論です。

「性同一性障害の女性が施術によって男性になった場合、法律上の父親になれるか?」についてのお話をします。

 まず、前提として、2004年7月16日に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行され、性同一性障害の方であって、一定の条件(第3条)を満たす場合には、法律的(戸籍)の性別を変更することが可能となっています(当サイト記事『性同一性障害、「性を変える」具体的プロセスとリスク ホルモン療法、手術、法律…』参照)。

 日本では、「両性の合意+婚姻届」によって法律上の婚姻が成立します(当サイト記事『事実婚に形式婚と同様の法的地位を認めない限り、少子化の進行は止められない理由』参照)。性別変更前に男性だった人が女性に性別を変更した後に男性と結婚することも、女性だった人が男性に性別変更した後に女性と結婚することもできます。婚姻届も当然に受理されます。

 ただ、生物学的な性染色体は、今の医療技術では変更することができませんので、性行為によっては子をつくることはできません。

 これから紹介する事件は、「女性から男性になった人」を父親として記載した出生届を役所が受理しなかったことに端を発します(平成25年12月10日、戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件)。

 事件の概要を説明します。

(1)性同一性障害者であった女性が性別適合手術を受け、法律の手続きに従って戸籍上でも男性になった。
(2)その男性は女性と結婚した。
(3)妻は夫の同意を得て、第三者から精子の提供を受けてAID(非配偶者間人工授精)を行った。
(4)妻は妊娠し、子を出産。
(5)夫婦は子を嫡出子とする出生届を東京・新宿区役所に提出した。担当者は「父」の欄を空欄とするように訂正を求めたが、夫婦が応じなかったため、新宿区は東京法務局長の許可を得て「父」の欄を空欄とする戸籍を作成した。

 そこで夫婦は、夫を父として記載するよう求めて裁判を起こしたのです。これに対し、最高裁は訴えを認める旨の判決を下しました。つまり、「性同一性障害の女性が施術によって男性になった場合、法律上の父親になれる」と判断したのです。この判決のロジックは極めて単純明快です。

(1)原審の「性同一性障害者の女性が男性になった場合、子との間に血縁的関係がないことは明らかであるから、772条の推定は受けられない」との判断は認められない。
(2)正当な婚姻関係にある夫婦で、子の保護やこれまでの判例の見解から、妻との性的関係でもうけた子でないことは推定を受けられない理由にはならない。

 772条の立法主旨から考えれば、判決は自然だと思います。逆に、この争いが最高裁まで持ち込まれなければならなかったことを不思議に感じました。

 しかし、書類を受理する役所の立場から考えると、「確かに、夫の合意の下、第三者の精子を使ってAIDで子をもうける夫婦もある。妻の不貞でできてしまった子であっても、我が子として育てることを決意した方だっているが、それは私たち役所の人間からは踏み込めない領域だ。まさか窓口で『本当に血縁関係がありますか?』と質問できるわけがないからだ。しかし、性別適合手術によって法律上の男性になった人を父として届け出が出された場合、血縁関係がないことは明らかだ法772条の立法主旨は理解しているが、本当に受理していいのかわからない」というところではないでしょうか。

 そのような背景によって、この問題は最高裁まで持ち込まれ、司法の判断を求める必要があったのでしょう。

 ところで、この判決も5人の裁判官のうち反対意見2名という僅差の判決でした。

 下の表も、補足意見、反対意見を読んでいて、私の琴線に触れたところをピックアップしたものです。

 前回の冒頭で、「『血は水よりも濃い』『産みの親より育ての親』、この2つのことわざは矛盾しているが、私たちはケースに応じて使い分けている」というお話をしました。

 最高裁の裁判官たちが、772条の主旨「子どもの利益」「家族の平安」を真摯に論じていることに疑いはありません。ただ、それが上記の異なる2つのことわざの観点から論じると真逆の結論になるということは、大変興味深いと感じました。しかし同時に、最高裁の裁判官の間で772条に対する考え方がこんなにも違っていてもいいのかと、かなり不安になってきました。

●男性から女性に性別が変わった場合、子を産むことはできる?

 さて、本シリーズの最後は、「男性から女性になった人は、赤ちゃんを産むことができるか?」で締めさせていただきます。

 このテーゼに対しては、2つの大きな問題があります。第1には、性同一性障害の治療として、性別適合手術で外形を変えることはできても、性染色体まで変えられないこと。第2に、胎児を育成させる器官(子宮)が存在しないことです。

 当サイト記事『同性間で子どもをつくることは可能か?将来的には高い確率で可能〜その技術的検証』で、3つの方法について検討し、「同性間で子をつくりたい」というニーズに応えることは、将来的には可能となるだろうと結論を出しております。

 性同一性障害で性別を変えた人でも、上記の検討内容がそのまま当てはまるので、将来的には「男性から女性になった人は、子を産むことができる」と考えております。

 例えば、女性から男性になった人と女性のカップルの場合は、下の図のような方法が考えられます。

 しかし、男性から女性になった人と男性のカップルの場合は、女性になった人の幹細胞からiPS細胞によって卵巣をつくり、卵子を採取して男性の精子を注入した上で、さらに代理母の子宮に着床させる必要があります。つまり、上図よりもさらにもう一段難しさが増します。

 最近、代理母問題が大きな社会問題となっております。これらの問題を解決する手段は、やはり「人工子宮」の開発にかかっていると思います。iPS細胞によって子宮をつくり出すことは可能になると思いますが、その子宮を「運用・管理・制御」することはできません。脳の働きが必要となるからです。iPS細胞を前提としない方法では、どうしても人工的に製造できない体細胞組織(胎盤)があり、それが人工子宮の開発を困難にしているようです(参照『デザイナー・ベビー』<ロジャー・ゴスデン/原書房>)。

しかし、1月18日付NEWSポストセブン記事『東北大学が人工胎盤装置開発 極低出生体重児死亡率改善期待』において、東北大学が人工胎盤装置開発を行っていると報道されました。同記事では、「この技術を突き詰めていけば、女性は自分の体をまったく介さずに子供を産むことが可能になる。さらにはセックスや妊娠もなしに子供だけを手に入れることも実現するのではないか」という記述があります。

これらの技術の発展は、性別変更された人だけでなく不妊で苦しんでいる人にも、大きな希望になるだろうと思います。

●まとめ

 さて、今回で性同一性障害に関するシリーズは最後になります。このシリーズでは、痛み、苦しみから、自己意識、施術の内容、法律上の性別の変更の方法、日常生活での困難さ、さらに性同一性障害の方の潜在的人口数の推定なども行いました。そして今回、(法律上の)結婚と出産の問題、将来の出産の可能性に関して論を展開しました。

 この問題に対して無知であった私が言うのもおこがましいとは思いますが、今回の取材、調査を通じて、性同一性障害に関して社会が少しずつ理解を始めていると感じられることもありました。性の違和感で苦しむ人や、性別適合手術を受けて性別を変更した人が、苦しみを感じることなく生きることのできる社会や自分の子を産み育てることのできる技術が、遠くない未来に実現されるだろうことを私は本気で信じています。
(文=江端智一)

なお、図、表、グラフを含んだ完全版は、こちら(http://biz-journal.jp/2014/10/post_6308.html)から、ご覧いただけます。

※本記事へのコメントは、筆者・江端氏HP上の専用コーナー(http://www.kobore.net/gid.html)へお寄せください。