前回2012年のU-19アジア選手権で、日本は準々決勝でイラクに敗れ、U-20ワールドカップの出場権を逃している。(C) Getty Images

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 各世代の代表選手たちが歩んできた過程には、知られざる様々なストーリーがある。『週刊サッカーダイジェスト』では、その軌跡に焦点を当てた浅田真樹氏のコラム「追憶のGeneration」を月1回で連載中。
 
 今回は、10月9日からのU-19アジア選手権に臨むU-19日本代表と、10月10日のジャマイカ戦、同14日のブラジル戦を控えるA代表に復帰した香川真司に関連したエピソードをお届けする。
(※『週刊サッカーダイジェスト』2014.4.15号より転載)
 
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 サッカー王国のブラジルで64年ぶりに開かれるワールドカップまで、あと2か月あまり。いよいよ開幕が迫ってきた。
 
 日本がこの世界最大のスポーツイベントに出場するのも5大会連続5回目になる。かつては、遥か彼方の夢でしかなかったものが、もはや当たり前の恒例行事になった。
 
 そこに至ったのにはいくつかの要因が挙げられるが、そのひとつが「育成の強化」であろう。目の前の大会だけを目標とするのではなく、長期的な視野に立ち、若年層の育成に力を入れたことが、5大会連続のワールドカップ出場につながったことは間違いない。
 
 1995年に初めてアジア予選を突破してU-20ワールドカップ(当時はワールドユース選手権)に出場して以来、2007年まで7大会連続出場を果たしたことは、育成におけるひとつの成果と言えるだろう。そこで多くの選手たちが日本と世界との距離を肌で感じ、その後の成長へつなげていった。
 
 ところが09年以降、日本はU-20ワールドカップに一度も出場できていない。もちろん、それに出場できるか否かで育成の評価が決まるわけではないが、将来を考えた時、この年代で世界を経験できていないことが足かせとなりかねない。
 
 08年11月、サウジアラビア。負の連鎖はここから始まった。
 
 8大会連続のU-20ワールドカップ出場を目指し、牧内辰也監督率いるU-19日本代表はサウジアラビアのダンマンに乗り込んだ。当地で開かれたU-19アジア選手権での準決勝進出が世界行きの条件だった。
 
 チームには、かつてないほどの緊張感が漂っていた。というのも、グループリーグで地元サウジアラビアに加え、強豪イランとも同組となったことで、ベスト4はおろか、下手をすればグループリーグ敗退の危険性さえあったからだ。
 
 そもそも前年にU-18代表として立ち上げられた当初からSBSカップ、仙台カップでいずれも全敗の最下位に終わるなど、先行きが不安視されていた世代である。年が明け、U-19代表となってからの戦いぶりにも、もたつきが目立ち、不安は大きく広がっていた。
 
 そんな世代にあって光明となっていたのが、香川真司と金崎夢生のふたりである。
 当時すでにC大阪と大分でそれぞれ主力として活躍していたふたりは世代を代表する二枚看板。特に香川は、飛び級で08年北京五輪に出場し、さらには岡田武史監督率いるA代表にも同年のキリンカップで初選出。世代全体を牽引する存在として期待される選手だった。
 
 ところが、である。彼らが突出した結果を残していたことが、皮肉にも仇となる。
 
 金崎は大会直前の国内キャンプにこそ参加したものの、結局、同時期に行なわれたナビスコカップ決勝への出場を優先し、大会は不参加に。香川もまた、大会直後に行なわれるワールドカップ最終予選のカタール戦に臨むメンバーに選出された結果、A代表の活動日程に合わせるため、グループリーグ3試合のみの限定参加となることが決まった。
 
 当時、日本協会の小野剛技術委員長は事の経緯を「(エースである)中村俊輔ならともかく、最年少の香川が途中合流というわけにはいかない」と、A代表優先の方針であることを説明。結局、香川はグループリーグを終えると一度日本に帰国し、A代表に合流した後、再び中東(カタール)に戻るという実に非効率的な動きを強いられた。
 
 それだけではない。当時、鹿児島城西高3年だった大迫勇也についても、牧内監督は「アジアレベルでも通用したと思う」と、その能力を高く評価していたが、高校選手権予選との日程重複により選出が回避されることになった。
 
 年代別の活動が、すべてに優先されるべきとは思わない。だが、U-20ワールドカップ7大会連続出場という結果が、いつしか世界に出られて当たり前という意識を生み、どこかで奢りを招いていたと言われても仕方がない。果たして、結末は惨憺たるものだった。
 
 苦戦の予想されたグループリーグこそ、結果だけを見れば2勝1分けの1位通過。だが、
イランとの第2戦では4点を取って勝利できたのが不思議なくらい一方的に押し込まれるなど、不甲斐ない試合内容に終始した。
 
 結局、勝負の準々決勝で韓国に0-3の完敗。日本の連続出場はほとんど無抵抗のまま、あっけないほど簡単にストップした。
 
 二枚看板に代わって期待された柿谷曜一朗も、グループリーグ初戦のイエメン戦で、それも前半20分に、相手DFに臀部を蹴られて負傷交代。結局、柿谷はグループリーグの残り試合を棒に振ってしまう。
 
 以後、治療と調整に専念した柿谷は準々決勝には間に合い、韓国戦の後半に途中出場。「試合前に監督と話をして、使うと言われていた。身体の準備はできていた」と話すが、チームを救うことはできなかった。
 
 前年にU-17ワールドカップを経験していた柿谷は「世界で成長したところを見せたかった。もっと自分が力を発揮できればという悔しい気持ちが強い」と唇を噛み、なす術なく絶望的な差を見せつけられた敗戦を振り返った。
 
「思うようなプレーができなかった。もっとシュートを打てたらよかったが、それ以前の問題。1本目、2本目のパスでミスが出ていた。イラン戦やサウジ戦もそれほどいいサッカーはできていなかった。(グループリーグを)1位で突破できたのはよかったが、ミスを素直に受け止められていなかった。なぐさめ合いじゃなく、厳しく言い合ったほうがよかったのかもしれない」
 
 この柿谷の言葉にもあるように、日本はチャンスを作る以前にまともにパスをつなぐことさえできなかった。それほど韓国戦の内容は酷かった。香川がいたら勝てたのか。そう問われれば甚だ疑問ではある。
 
 とはいえ、問題はこの試合の結果うんぬんではなく、香川にとって、U-19代表にとって、さらには日本サッカーの未来にとって、最善の選択がなされたのかどうか、ということだ。
 香川本人は当時、こんなことを話している。
「いまはA代表に入っているけど、自分のなかで定着したとは思ってない。前回(07年)のU-20ワールドカップには、あまり出られなかったし、自分は国際経験も少ない。だから、この年代のワールドカップに出られるのは自分にとっても大きなこと。自分のレベルを上げるために、もっと世界のチームと戦いたいし、試合に出て自分の力を試したい」
 
 少なくとも香川自身は、年代別代表を軽視してはいなかった。むしろそこでプレーし、世界の舞台に立つことを切望していた。
 
 だからこそ、私はグループリーグ途中であまりに応対の悪いチームを見て、無為と知りつつ香川にこんな質問を投げかけた。準々決勝まで残るという選択肢はありえないことなのか、と。
 
「準々決勝が一番大事な試合ですから、出たい気持ちもあるけど……。チームが決めたことなので、僕は何とも言えません」
 
 もちろん、日本協会の決定が覆されるはずもなく、グループリーグ最後のサウジ戦を終えると、香川は「粘り強く戦ってくれることを期待している」という言葉を残し、ひとりチームを離れ、帰国の途に就いた。
 
 だが、香川の願いも虚しく、日本が完敗を喫したのはすでに前述した通りである。
 
 U-19代表がU-20ワールドカップへの出場権を逃した10日後、香川はA代表の一員としてカタール・ドーハにいた。
 
 カタール戦前日、公式練習が終わったところで私は香川を呼び止め、準々決勝は観たかと尋ねると、「協会スタッフがDVDを用意してくれたので」と香川。その感想は「腰が引けていてパスがつなげていなかった。怖がっているように見えた」。香川は心底残念そうに話していた。
 
 しかも翌日、カタール戦を前に発表された先発メンバーに、いや、控え選手のなかにすら、香川の名前はなかった。ならば、U-19代表に専念させたほうが、香川本人のためにも、日本サッカーの未来のためにも、よほど有益だったのではないか。そんな疑念を強く抱かざるを得ない、不条理な結末だった。
 
 しかし、香川がこうした苦い経験を味わうのは、これが最後ではなかった。2年後、ワールドカップに臨む23人枠から漏れた香川は、バックアップメンバーのひとりとして南アフリカへ渡った。様々な事情に翻弄され、目標を絞りきれずにきた結末がこれである。
 
 試合に出られる可能性はゼロと知りながら、チームに帯同する辛さはいかほどか。香川の心の内を探ろうと声をかけた。日本がカメルーンに勝利した直後のことである。
「やっぱり悔しいし、チームが勝つのはいいことですけど、なんかしっくりこないですね」
 
――素直に喜べない?
「うーん、難しいですけど……、来た以上は割り切ってやらないといけないと思っています」
 
――割り切ると言っても、この状況を受け入れるのは簡単ではないと思うが。
「でも、ワールドカップっていう舞台は特別だって改めて感じているし、4年後、自分がその舞台に立った時をイメージしながらポジティブに捉えています」
 
――ポジティブに捉えられる?
「正直難しいですけど」
 
 そう言って、苦笑いを浮かべた香川。“大人の事情”に振り回される21歳の姿がそこにはあった。
 さて、再び話を現在に戻そう。今年3月、U-21代表対U-19代表の練習試合が行なわれた。2年後のリオデジャネイロ五輪と、来年のU-20ワールドカップをそれぞれ目指す、年代別代表同士の一風変わったテストマッチである。
 
 A代表のザッケローニ監督も視察に訪れるなか、“世代間闘争”でひと際存在感を放っていたのは、U-19代表の南野拓実だった。
 
 昨季からC大阪の主力として活躍する19歳は、実力的に考えれば、すでにU-21代表でプレーしていても不思議はない。年齢を越えた実力を備え、代表チーム間での綱引きになりかねない様子は、C大阪の先輩、香川が置かれていた状況と重なって見える。
 
 めだかの中に鯉を一匹泳がせておくことが、南野自身の成長を第一に考えるなら賢明な判断には思えない。それでもいまは、ひとまずU-19代表に専念させるという方針が日本協会内で確認されている。
 
 そこには6年前、後にマンチェスター・ユナイテッド入りするほどの稀有な才能を振り回した挙句、世界行きを逃した苦い経験が生かされているのかもしれない。
 
 と同時に、4大会連続でU-20ワールドカップ出場を逃すわけにはいかない。そんな強い危機感もまた窺えた。
 
文:浅田真樹(スポーツライター)