私はあなたのファンだ。しかし、それはうまくいかないのだ。

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元大リーグのスーパースター、バリー・ボンズは月曜にツイッターに自身の写真をアップロードした。彼はサンフランシスコの街を眺めながらコーヒーカップを手に、Google Glassを装着し、遠くに視線を投げている。

その写真には「私はGlassしてます(I’m Glassing)」のキャプションがスーパーインポーズされている。

それは、彼があたかも私の肩越しに「私はGlassしてます」とそっと囁いているかのように感じられるメッセージだった。

しかし…なぜ??

グーグルは、ご存知の通り、なんとか彼らのフェイス・コンピューターGoogle Glassを社会的に受け入れられるようと、四苦八苦している。しかし、このボンズの投稿に狼狽した無数のユーザー情報によると、ボンズは「アンチGlasshole※キャンペーン」とは無関係のようだ。

※Glassholeは「Glass+asshole」の造語。Glassを着用して迷惑な行為を行う人

ボンズはどうやら、彼の友人、グーグルがスポンサーではない「私はGlassしてます」プロジェクトとウェラブルに関する雑誌プロジェクトの黒幕、「ビジュアル作家」のアンソニー・フィルズに協力しているようだ。

「Glassしている(Glassing)」は「ググる」や「つぶやく」などのテクノロジー用語から一般化した流行語のように、フィルズが無理やり流行らせようとしてるGoogle Glassを着用し使っていることを示す用語だ。

その流行を目指すフィルズとボンズには、相当困難な壁が立ちはだかっている。Google Glassを着用している人々に関するコンセンサスは何か?Google Glassは今や特権と不遠慮のシンボルになっており、自発的にそのデバイスを自分の顔に装着することはエセ・インテリ、エセ・エリートの証となってしまっているのだ。

The Daily ShowのGlass着用者たちをこきおろしたインタビューに始まり、用語「Glasshole」の出現に至るまで、今やGoogle Glassを着用している人々は、格好のジョークネタとなってしまっている。Google Glassを公共の場所(特にベイエリアやテクノロジー系のイベントで)で着用している人々は、周囲に不快感をあたえて皆に嫌われるような見えない空気を醸し出している。自分がGlasshole仲間の一員でも無い限り、皆そう感じるだろう。

私は、ボンズでさえ… そうなるだろうと思う。

テクノロジー界に属さない人物として、彼は努力している。私は、シリコンバレー・テクノロジー・ライフスタイルにどっぷり浸かり「自分はテクノロジーに詳しくて裕福です」といわんばかりにGoogle Glassを着用している人を見るたび、あきれ返ってしまう。

だがボンズは、ソーシャルメディアすら最近始めたぐらいだろう。その彼が時流に乗ろうとGoogle Glassを着用している。サンフランシスコ文化に非常に不可欠な構図として、あたかもそれがこの街の技術者たちへの和平の贈り物のようにボンズがGoogle Glassを採用しているかのように私は感じる。だから私は彼を非難することができない。我々の小さなシリコンバレーバブルは時に傲慢になり、エリート主義で弱い者への配慮を欠いてしまう。できるなら、バリー・ボンズの手を取って、率直に私の気持ちを彼に知らせたい。

この写真を見ると、私は幸福な高齢者に会ったときと全く同じ感覚を得る。私の胸は熱くなり、涙が浮かんでくるのだ。

「Glassしている」は何でもない。そして「Glassしている」はグーグルとは全く関係ない作り上げられた用語だ。そして「Glassしている」は、(例えばガラスビンを武器として使ったり、ゲーム「Halo」中の攻撃のことだったりと)全く関係ない行為に関するものなのかもしれないのだ。

だからどうした?熱狂と実認識の欠如が混ざり合っていて、それがすべてのへたくそなジョークを思い起こさせる。それがうまくいくとは思わないとしても、私はバリーを応援する。彼は自分のやりたいことをやり続けてほしい。

Stephanie Chan
[原文]