『宮さまとの思い出』(高円宮妃久子/扶桑社)

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 高円宮典子女王と出雲大社の権宮司・千家国麿氏との結婚式が10月5日、午前11時から執り行われている。皇族と出雲大社の跡取りの結婚は通常の結婚とはちがう意味をもっているのではないか。リテラでは、二人の婚約の際にその歴史的、政治的意味を分析する記事を配信した。結婚にあたってその記事を以下に再録したので、ぜひ読んでほしい。(編集部)

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 高円宮典子女王のお相手、千家国麿氏が禰宜をつとめ、次代宮司となるだろう出雲大社とは、縁結びパワースポットとして人気を博す神社でもある。両家の婚約は「さすが、恋愛祈願に効く出雲大社!」といったほのぼのムードばかりが先行するが、果たしてそれだけに留まるニュースなのだろうか?

「プロポーズの言葉は、ございませんでした」

 発表会見にて典子女王が語ったように、また2007年より家族ぐるみの付き合いをしているとの情報からも分かるように、この成婚は現代における「普通の個人恋愛」とは一線を画すものだ。むしろここは「家と家との結婚」という面にこそ注目すべき。つまり歴史科学としては1700年、神話におくなら2000年ぶりに天皇家と出雲国造家が固く結びついた、という衝撃こそが重要なのである。

 そもそも出雲大社とは、「国譲り」の神話に端を発する。国津神である大国主は、天皇家の始祖とされる天照大神ら天津神に出雲の地を譲り(土着民が新興勢力に土地を明け渡した、というイメージが判りやすいだろうか)、交換条件として出雲大社を建立してもらう。そんな大国主を祀るため遣わされた神が天穂日命であり、千家氏はその子孫とされる。

「国を譲る代わりに立派な神社に祀ってくれ」という大国主の要求は、逆に言えば「祀らないと祟るぞ」という脅しともとれる。実際、出雲の神々は恐ろしい祟りを起こしているのだ。『古事記』によれば、大物主(大国主の別形態とも)の疫病によって多くの民衆が死んでしまった上、垂仁天皇の時代にも出雲大神(これもおそらく大国主)の祟りがあったとされる。

 これらがヤマト朝廷による『古事記』に記されている点に着目したい。天津神の子孫であるヤマト朝廷に、出雲を去らせた大国主への畏れがあればこそ、わざわざ祟り物語を記述したのだろう。もちろん「国譲り」を「土地収奪」と見るかについては議論の余地がある。梅原猛の『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(新潮文庫)など、出雲関係のさまざまな書籍で語られている問題だし、なかには古代ロマンがゆきすぎて、かなりの無理がある本も見受けられる。ともあれ、あえてオカルト的な視点をとるならば、大国主とは菅原道真や平将門をもしのぐ日本ナンバーワンの怨霊であり、その怨念を封じるため造られたのが出雲大社なのでは......という見方もできるのだ。

 そこまで強力な神を祀るのだから、千家代々が担う出雲国造にも神さながらのパワーが必要とされた。82代出雲国造である千家尊統氏は、著書『出雲大社』(学生社)において「火継(ひつぎ)式」という儀式を紹介している。新しく出雲国造につくものは、まず細かい儀礼に則って、自分専用の神火をおこすという。

「その火で調理した斎食を新国造が食べることによって、始めて出雲国造となるのである。このことにより同時にまた、天穂日命それ自体になったというわけなのである。」(『出雲大社』より)

 初代・出雲国造である天穂日命の神的パワーは、現役の84代・千家尊祐氏(千家国麿氏の父)まで絶えることなくバトンタッチされている、という考え方だ。千家国麿氏もゆくゆくは国造として、天穂日命の魂を受け継ぐ立場。出雲国造が、封印されし神を祀るため、自らの身体にも神を宿す役職だとすれば、次代宮司となった彼も大きな力をまとうことになる。

 そして皇族である典子女王との婚約発表である。古代より畏れられた神・大国主と、それを祀るためこれまた強い力をもつ出雲国造家、そして天照大神の直系である天皇家。この三者が現代において再び結びつく、というのが今回の婚約において重要視すべきポイントだ。

「2000年を超える時を経て、今こうして、今日という日を迎えたということに、深いご縁を感じております」という千家国麿氏の発言に、多くの人は古代神話への憧憬のみを感じとっただろう。しかしこれは、古代におけるパワーバランスが復古するという意味もこめられているのではないか。だとすれば、そうとうに重みのこもった言葉なのである。

(吉田悠軌)