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9試合を残して史上最速となるJ1昇格を決めた湘南ベルマーレ。ホームにおける無敗記録を含めた異次元の強さの原点はいまから四半世紀以上も前、早稲田大学の学生だった大倉智社長と者貴裁(チョウ・キジェ)監督が共有したロマンにさかのぼる。

○2人の運命を決定付けた出会い

第一印象は強烈だった。時代が平成に移る数カ月前の1988年4月。東京・暁星高校から早稲田大学に入学し、体育会である「ア式蹴球部」の門をたたいた大倉は、保谷市(現西東京市)東伏見にある練習グラウンドや寮で目の当たりにした、1学年先輩の群を抜く存在感に感銘を受けずにはいられなかった。

いわゆる「いじられキャラ」で、誰からもかわいがられる。ピッチの上での実力は申し分ないし、頭脳も明晰(めいせき)で、話は常に理路整然としている。何よりもサッカーに対する情熱が半端ない。気がつけば、こちらの懐にスッと入り込んでくる。

京都・洛北高校出身の者と出会ってから実に四半世紀以上の時間がたっても、大倉が者の人間性に対して抱いた憧憬(しょうけい)の思いは大学時代とまったく変わらない。

「まさに学校の先生ですよね。いまどきいないタイプ。僕は思うんですよ。中学校や高校の教師の道を選んでも似合っていたんじゃないかと(笑)」。

○「プロ」と「社員」の垣根を越えて交わした激論

卒業後も2人は日立製作所で先輩と後輩の間柄になった。後に柏レイソルと名称を変えるチームはしかし、プロ化の波に乗り遅れる。1993年のJリーグ元年に参戦することはおろか、2チームに許されたジャパンフットボールリーグからの昇格すらも逃してしまった。

当時のレイソルにはプロ選手と日立製作所の社員選手が混在し、者は前者、大倉は後者だった。練習を終えた後のファミレスで、2人はひと目をはばかることなく激論を交わした。

クラブの体制はもとより、時には日本サッカー界の未来について。忌憚(きたん)なく思いをぶつけ合ううちに、大倉の脳裏にはごく近い将来に訪れるはずの光景が自然と浮かぶようになった。

「この人なら、いずれはJクラブの監督を務めるんじゃないかと。僕にはそう思えたんです」。

者は翌1994年に浦和レッズへ移籍する。2人が別々に歩み始めたサッカー人生は10年後の2004年、大阪の地で再び交わることになる。

○10年ぶりに動き出した2人の時間

現役引退後にスペインでスポーツマネジメントを学んだ大倉は、2001年の途中にセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就任。2004年シーズンに臨むに当たって、川崎フロンターレの育成組織で中学生を指導していた者をヘッドコーチとして招聘(しょうへい)する。

現役引退後にドイツのケルン体育大学へ2年間留学した者は真っ赤な情熱をそのままに、卓越した理論を身にまとった指導者へ成長していた。

ベルマーレのキャプテン・永木亮太は、実はフロンターレ時代のまな弟子だ。同じく中学時代に者の熱血指導を受け、ベルマーレから柏レイソルへと移籍した高山薫は畏敬の思いを込めて者をこう呼ぶ。

「いまでも僕にとっての金八先生です」。

2004年秋。手腕を発揮する場をセレッソから湘南ベルマーレへと移し、強化部長に就任した大倉はほどなくして、社長の眞壁潔(現代表取締役会長)にこんな提案をしている。

「者という人間を連れてきてもいいでしょうか」。

○J黎明期に大倉が描いた光景の実現

当時のベルマーレは「育成型クラブ」への転換を決めていた。湘南エリアの才能ある子どもたちが、横浜F・マリノスの育成組織入りを希望する流れを食い止めたい。親会社を持たない市民クラブが生き残っていくための決断だった。

育成を託すならば者しかいない。長期的視野に立った大倉のクラブ改革に感銘を受けた者は、早稲田大学のOBが当時の監督を務めていた、2つのJ1クラブからの入閣要請に断りを入れて2005年にベルマーレのジュニアユース監督に就任。翌年からは育成組織全体を統括する立場となった。

いま現在のチームの中心を担う菊池大介、古林将太、U-21日本代表の遠藤航らが者の指導で頭角を現す一方で、Jリーグの創成期に大倉が思い描いた光景が意外な形で実現する。

2011年11月。突如辞意を表明した反町康治監督(現松本山雅監督)の後任として、ヘッド格のコーチを務めていた者の監督就任が決まった。

クラブは当初、者を育成組織のトップに戻す計画を描いていた。しかし、緊急事態を受けて眞壁と大倉の考えは「後任は者しかいない」で一致。初めてトップチームを率いた者は、豊富な走力と運動量をベースにするスタイルを掲げて2012年のJ2で2位に入り、J1昇格を果たした。

○26年前から真っすぐに伸びるベクトル

予想以上に強烈なJ1の洗礼を浴びた昨年の序盤戦。埼玉スタジアムでレッズに完敗を喫した直後のミーティングで、者は選手たちに魂を訴えた。

「『オレは絶対に引かねえぞ』と叫ぶ者の背中を見たら、支えてあげなきゃと思ってね」。

眞壁の思いはGMへ肩書を変えていた大倉のそれと再び一致する。眞壁もまた、者の指導に「人をその気にさせる人間性がある」と教師の面影を見ていた。方向性は間違っていない。確かな手応えが、5月の連休明けには眞壁と大倉に者の続投を決意させる。指揮官に対する揺るぎない信頼感が、史上最速のJ1昇格やホーム無敗記録など、今年に発揮された異次元の強さへの序曲となった。

今年4月に取締役社長に就任した大倉は、26年前の出会いを思い出しながら苦笑する。

「いずれはこういう時代が来るとわかっていて、監督を見守り続けてきたのかもしれませんね」。

ボールを持てば、リスクを冒してでも前へ。ひたすら前へ。J2戦線を制圧した痛快無比な「湘南スタイル」は昭和の時代に共有されたロマンを原点として、21世紀のいま現在へと真っすぐに伸びるベクトルにも後押しされている。継続は力なり。ベルマーレがブレない理由がここにもある。(文中敬称略)

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○筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。

(藤江直人)