『本当にあった 奇跡のサバイバル60』(タイムズ/日経ナショナルジオグラフィック社)

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 御嶽山の噴火の死者は戦後最悪の47名にのぼった(10月1日現在)。1日に行われた捜索では搬送された35名全員の死亡が確認されるなど、状況は日を追うごとに厳しくなっているが、一方で、あの広い山中にはまだどこかに避難して生きている人がいるのではないか。そんな思いを捨てることはできない。

 実際、これまでも遭難、災害、事件、事故などで、絶体絶命の状況から、奇跡の生還をしたケースはたくさんあった。そうした実話を集めた『本当にあった 奇跡のサバイバル60』(タイムズ/日経ナショナルジオグラフィック社)を読むと、ほんとうに信じられないようなエピソードがいくつも出てくる。

 たとえば、旅客機でアマゾンの熱帯雨林上空を飛行中に墜落し、たった1人生き残ったのがユリアン・コプケだ。上空3000メートルから、シートベルトに固定されたまま墜落した彼女は、17歳ながらとても頭がよく、機転の利く少女だったという。奇跡的に、鎖骨骨折と右目の腫れ、脳震盪、腕と脚の切り傷ぐらいですんだユリアンは、熱帯雨林のジャングルで野生生物の研究所を運営していた両親のおかげで、たまたま「熱帯雨林で生き延びる方法」を知っていた。

その教え通り「まず小川を見つけ、下流に下っていく」ことにした彼女は、その後10日間、水の中を歩き続ける。途中、一緒に飛行機に乗っていた母親を探すため、頭が地面にめり込んでいる女性の遺体などを見かけては、確認しながら進んだという。さらに、腕の傷口にはハエが卵を産みつけ、皮膚の下に50匹以上の蛆虫がうごめいていたり、クロコダイルが川岸にずらりと並ぶ横を通り過ぎたりと、生命の危機を感じながら、唯一持っていたキャンディだけを糧に進んだのだ。

 また、奇跡的に28人全員で生還することができたのが、南極で立ち往生したエンデュアランス号の乗組員たちだ。氷の中に閉じ込められてしまった彼らは、約8カ月間漂流したが、ついに船が氷に押しつぶされ、沈没。流氷の上で、ただ待つことしかできなかったという。

 そこから3カ月が経ち、氷が割れてようやく救援ボートを出せるようになると、3艘に分かれて近くの小さな島に到着した。だが、当初のルートから大きく外れたこの島に救助が来る可能性は極めて低かったため、いちばん頑丈なボートに隊長のシャクルトンと船長のウォースレーら6人が乗り込み、1500キロもの過酷な航海に臨むことになる。彼らの服装は防水仕様ではなかったので、冷たい海水で皮膚は擦り剥け、荒れる波のせいでボートは前後左右に揺れるため、正確な位置を測ることは極めて困難だったのだ。しかし、ウォースレーはそんな「海運市場まれに見る驚異の離れ業」をやってのけた。彼の活躍があったからこそ、誰ひとり欠けることなく生還することができたのだ。
 
サバイバルといっても、震災や事故だけではない。誘拐されたり、人質になってそこから生き延びた人もいる。わずか10歳にして誘拐され、その後8年もの間、地下室に監禁されたのは、オーストリアのウィーンで生まれ育ったナターシャ・カンプシュ。与えられたのはたった5平方メートルの地下室で、彼女は奴隷として、家の中では犯人のきっちり1メートル後ろを歩かされた。眠るときは手錠をかけられたし、髪をそられたり、たびたび殴られては歩けなくなることもあったほど。それでも屈することなく、犯人の持ってくる本や新聞を読み漁り、ラジオで教育番組やクラシックを聴いては独学で勉強した。そして、18歳のとき、庭で車の掃除をさせられていた彼女は、犯人の携帯が鳴ってその場を離れた隙に脱走し、無事に保護されたのだ。誘拐や監禁では、何年も何十年もの長い間、いつまで続くかもわからない過酷な状況で精神を保ち、生き延びなければならない。彼女はわずか10歳でその精神力を持っていた。

 こうしたエピソードを読んで感じるのは、やはり人間の生命力の強さだ。御嶽山でもあきらめるのはまだ早い。まだ捜索できていない場所もたくさんある。1人でも多くの生存者が見つかることを願ってやまない。
(大島計一)