全米オープン準決勝で世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを下し、日本人として史上初めてグランドスラムのシングルス決勝に駒を進めた錦織圭。惜しくもグランドスラム初優勝は逃したものの、歴史的快挙に世界中が驚愕した。現地でその快進撃を目撃した元テニスプロプレイヤーの神尾米氏に、錦織の思い出を振り返ってもらった。

◆テニスっぽくなかったフットワーク

 私と錦織圭選手の個人的な思い出は、15年ほど前......、彼が小学校4年生くらいの時だったと思います。島根県の運動場のオープニングイベントか何かがあり、私はそこにゲストとして出席しました。その時に、「すごい子がいるので」と紹介されてボールを打ったのが、錦織選手だったんです。

 正直、その当時の記憶はうっすらとしか覚えていなかったんですね。でも数年後、錦織選手がそれを私に言ってきてくれたんです。「昔、神尾さんと打ったんですよ。覚えていますか?」って。も〜、必死で記憶を呼び戻しましたね(笑)。巻き戻して、巻き戻して......、それで、「ああ〜! 打った、打った!」って、私もようやく思い出しました。そのころの錦織選手はすでにツアーで戦っていたプロ選手だったので、そんなふうに覚えていてくれたことを、すごく嬉しく思いました。

 ただ、プレイヤーとしての錦織選手に鮮烈な衝撃を受けたのは、再会した時よりも前のことでした。2006年、彼が全仏ジュニアのダブルスで優勝した年に、シングルス決勝を控えたラファエル・ナダル(スペイン)の練習相手を務めたんです。最初にその話を聞いた時は、ビックリしました。ナダルの練習相手に指名されるなんて、どんな子だろうと気になったんです。

 そうして実際に見たのですが......、もう驚きました。「なんてすごい動きをする子なんだろう!」って。フットワークが、あまりテニスっぽくなかったんですよね。それまで、日本での常識的なテニスのフットワークは、しっかりと足で地面を掴む感じだったんです。でも彼はもっと、つま先のほうに重心が掛かっていました。一度、走り始めてからはしっかりと地面を蹴るのですが、ベースライン上や、打った後の次の動きなどは、つま先立ってスタートを切る感じなので、最初の数歩が素晴らしく軽くて速いんです。「え〜っ! 面白い動きだな〜」って思いました。

 あと、良い意味でまったく萎縮していないのも驚きでした。当時の錦織選手はまだ16歳で、相手はナダルですよ!? 普通なら、緊張してミスの連続です。それなのに彼は、なんということなく、普通に打ち合っている。それもすごく印象的でしたね。

 また、フォアハンドのグリップも独特でした。手の平で打つというより、手の甲でボールを捕えるような握りで、普通は、あのような打ち方は教わらないです。恐らく日本のコーチで、あの打ち方を小さい子に教える人はいないでしょう。たとえば、私がテニスを習ったころは、ラケットを振り抜いた後は必ず顔の横まで腕を持ってくるように教わりました。でも、彼は違いましたね。彼には、その打ち方が一番感覚的に良かったのでしょう。振り抜きの位置からフットワークまで、すべてが自由だなと思いました。

◆メンタル面を大きく変えた、マイケル・チャンの存在

 プレイ面を振り返ると、18歳〜20歳くらいのころの彼は、独創的なテクニックはあるけれど、体力や精神面では安定感を欠く印象を受けました。そのころの彼は、負けてしまうと悔しさからか、たとえ相手がナダルでも、試合後に相手の目を見ずに握手をしていたように見えました。それくらい強い気持ちを持っているんだろうなと思いましたが、同時に、悔しくても相手を称えるような振る舞いを見せることも必要なのでは.......と思うことがありましたね。

 マイケル・チャン・コーチに指導を仰ぐようになって一番変わったのは、そのようなメンタル面での安定感ではないでしょうか。それに伴い、練習中の態度や、試合のチェンジコートでの歩き方すら変わってきたと思います。これまでにも、他の人たちから同じことを言われてきたかもしれませんが、やはり尊敬するマイケル・チャン・コーチの言葉は、心に響いているのだと思います。

 それにマイケル・チャン・コーチからは、「どんな選手が相手でも、絶対に勝てると思って挑まなくてはいけない」という言葉を、しつこく、しつこく言われていると聞きました。それも、彼の言うことだから聞けるし、今の錦織選手にとって必要な部分だったからハマったのだと思います。全米オープンでの記者会見でも、「勝てない相手は、もういない」という発言がありました。それは、自信がついてきた表れだと思いますし、実際に試合を見ていても、本人がそれを実感できているだろうなと感じます。

 そして今回の全米オープンでは、マイケル・チャン・コーチをはじめとするスタッフたちが、試合に勝っても「次がある」という雰囲気を作っていたことも大きかったのではないでしょうか。もちろん勝利の後は、「良くやった」と声を掛けていると思います。でもすぐに、次の試合の準備に向かっているのが印象的でした。

 テニス選手の毎日は、同じルーティーンの繰り返しで単純な部分があるのですが、それを淡々とやり遂げられる人というのが、強い選手でもあります。錦織選手は今大会、勝ち上がって行っても、本当にいつもと変わらず普通でした。私たち取材スタッフと会っても、まったく嫌な顔ひとつせずに、一緒に写真を撮ってくれたりしました。そのあたりは、本当に普通でしたね。

◆トップ選手はずっと前から知っていた、錦織圭の実力

 全米オープンでの勝ち上がりを振り返ると、4回戦のミロシュ・ラオニッチ(カナダ)戦がターニングポイントだったと思います。あそこで勝ったことで、グッと自信がついたように見えました。あの試合では、ラオニッチのワイドに逃げていくサーブをどう攻略するかがカギだと、ずっとコーチたちと話していたそうです。たとえエースを決められても気にせず、我慢強くワイドのサーブを追って行けという指示があったと聞きました。そして実際に試合で、そのメンタルを持続できたことが、「行けるんだ」と感じられた契機ではと思います。

 全米オープンでの彼は全体的に、「ここで崩れたらダメだぞ」いう場面で踏ん張っていました。耐えどころで、しっかりと耐えていたと思います。準決勝のノバク・ジョコビッチ(セルビア)戦でも、ジョコビッチのほうが耐えられなくなって、先に投げてしまう場面がありましたよね。ジョコビッチは本来、粘り強いナダル相手にも苦しい打ち合いを長時間できる選手なんです。そのジョコビッチが、押し返せなかった。錦織選手が完全に打ち勝っていましたね。

 それに、体力的にも負けていませんでした。もしかしたら、自分から展開するテニスだったからこそ、4時間という長時間でも耐えられたのではないかと思います。自分から作って展開して支配する4時間と、我慢して拾って拾って......という4時間では、同じ長時間でも疲れ方が違います。ジョコビッチ相手に攻め勝てたら、「できるじゃん!」と自信になり、さらに気分的にも乗れたのでしょう。

 ただ決勝は、相手が自分よりランキングが下のマリン・チリッチ(クロアチア)だったため、どういう精神状態になっているのかが気になっていました。メディアの報じられ方も、「相手の方がランキング下位だから勝てるでしょ」みたいな空気になっていたと思います。それに、今の若い子たちが可哀想なのは、スマートフォンを立ち上げれば、見たくなくても情報が入ってきてしまうこと。完全にそういった報道を遮断するのは難しかったと思います。

 そのような精神面でのプレッシャーが、決勝戦に影響したのではないでしょうか。もちろん、連戦でのフィジカル的な疲れもあったはずです。特に出だしは動きが硬く、ジョコビッチ戦のようなプレイではありませんでした。ただ、相手も最初は硬かった。錦織選手にもチャンスはありましたが、そこを逃した時に、チリッチのほうが先に乗ってしまいました。また、今大会でのチリッチはとても攻撃的で、過去に戦ってきた彼とは違ったと思います。

 それでも、今回の全米オープンでは、これまでで最高のパフォーマンスができたグランドスラムだったと思います。特にジョコビッチ戦は、彼のキャリアベストだったのではないでしょうか。

 あのパフォーマンスを今後も続けられるかどうか......、そこはまた大変なところだと思います。当然ジョコビッチたちは、これから錦織選手と戦う時に目の色を変えてくるでしょうし、研究もすごくしてくるでしょう。その中で戦っていくのは、より大変なことだと思います。

 ただ、今回の活躍を見て、今までロジャー・フェデラー(スイス)やナダルが錦織選手について語った言葉は、社交辞令でも何でもなく、本音だったのだと思いました。今大会でもフェデラーは会見で、「チリッチの決勝は驚きだけれど、圭は驚かない」と言っていましたよね。ナダルも昔からずっと、「圭はトップ10に来る」と言っていました。やっぱり、分かる人たちには分かる、感じるものがあるんだろうと思います。

 彼らトップ選手たちの錦織選手に向けられた視線、そして言葉は正しかったのだな......と改めて確信させられた、今回の全米オープンでした。

【profile】
神尾米(かみお・よね)
1971年11月22日、神奈川県横浜市生まれ。母の影響で10歳からテニスを始め、東海大学付属相模高校卒業後の1990年にプロ転向。1992年の全豪オープンを皮切りにグランドスラムで活躍。1995年にはWTAツアーランキング24位まで登りつめるが、肩の故障により1997年2月の全日本室内テニス選手権の優勝を最後に25歳の若さで引退。現在はブリヂストンスポーツのイベントで全国を回るかたわら、プロ選手やジュニアの育成に携わっている。WOWOW解説者。

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