モスクの前のハッジ(メッカ巡礼を済ませた男性)=カラク/ヨルダン【撮影/安田匡範】

写真拡大

チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュース が絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。今回から2回に分けて、「パレスチナ問題」を取り上げます。

 先月の8月26日に、6月から続いていたイスラエルによるガザ侵攻がようやく、エジプトの調停の結果、停戦となりました。今回の侵攻の直接的な引き金は、イスラエル人の少年3名が誘拐され、その後、パレスチナ自治区において遺体が発見されるという事件でした。

 報復としてパレスチナ人の少年が誘拐され、殺害される事件が相次いで発生し、事態は両国がロケット弾を互いに打ちこみあうまでに発展しました。その後、イスラエル軍がガザに侵攻し、約2か月間にパレスチナ人2137名、イスラエル人68人(うち64名は兵士)が死亡し、近年の衝突では最悪の被害者数となりました。

 パレスチナ問題に詳しい人でなければ、ニュースを聞いても「パレスチナとガザって同じ?」「ところで、ハマスって何?」「なぜトンネルがあるの?」と「さっぱり状況がわからない!」と感じられたのではないでしょうか。

 今回から2回にわたって、パレスチナ問題の歴史をざっとおさらいしつつ、なぜ今、ガザが侵攻の対象なのか?という疑問に答えていきたいと思います。

パレスチナ問題はユダヤ人によるパレスチナ帰還に始まった

 パレスチナ問題の起源については、このシリーズの第3回「中東問題とはなんですか?」の際に詳しく説明していますので、そちらもご覧ください。第3回で説明した部分については、ざっくりと(あまりに長く複雑な歴史なので、すべてがざっくりですが……)説明したいと思います。

【関連記事】教えて尚子先生!「中東問題とはなんですか?」

 パレスチナ問題の起源はそもそも、19世紀末から20世紀初頭にかけて、1民族1国家を原則とするヨーロッパの近代国家設立の過程で、はじきだされたユダヤ人が、パレスチナに帰還しようとしたことにあります。

 この帰還運動が、イギリスなどの列強による植民地獲得競争の中で「国家」建設運動へと変化し、最終的には第二次世界大戦中のヒットラーによるユダヤ人迫害によって移住を強いられたことで拍車をかけられ、1948年には現実にイスラエルという国家を建設するに至ったのです。

 けれども、建国された土地は無人ではなく、後にパレスチナ人と呼ばれることになるアラブの人々が暮らしていました。イスラエル建国と、それを認めないアラブ連合軍との戦い(第一次中東戦争)によって、70万〜100万といわれるパレスチナの人々が家や土地を追われることとなりました。これがパレスチナ問題のはじまりです。

 その後、パレスチナ人は土地を取戻し、自分たちの国家を建設しようとする運動を開始します。周辺のアラブ諸国だけでなく、欧米の国々をも巻き込んだこの両者による土地をめぐる争い全体が、パレスチナ問題と呼ばれているのです。

続きはこちら(ダイヤモンド・オンラインへの会員登録が必要な場合があります)