実際、準々決勝のタイ戦以降、試合の様相は一変した。
「日本は人数をかけて守ってきた。日本は今大会の優勝候補だが、ゴールしたことを除けば、うちのほうがよかった」
 試合後にタイのブライアン・ロブソン監督が口にしたこの言葉は、決して負け惜しみではない。日本はこれまでの試合のように、ボールポゼッションで優位に立てず、試合の大半はタイが攻め、日本が守備ブロックを作って対応する時間が続いた。
 
 事実、関塚監督も試合を振り返り、次のように語っている。
「前半終了間際にうまく先制点を取れて、後半はそれをよくチーム全体で守り切った。そういう試合だったと思う」
 
 この準々決勝以降、準決勝のイラン戦、決勝のUAE戦の3試合は、相手にボールポゼッションで上回られ、日本が粘り強く守るという展開が少なくなかった。
 
 だが、それでも粘り強く戦い、最後は永井のスピードという武器を生かす明確な戦いは、ある意味で、のちのロンドン五輪本大会に通じるものがあった。
「アジアを勝ち抜いてロンドン五輪に出場する。そして、本大会でも結果を残していくことを考えた時、今後のスケジュールを見ても勝負のかかった大会を経験できる機会は数少ない。なので、とにかく今大会は勝負のかかった戦いを数多く、それも強い相手とやりたい。国際ゲームを勝つのは厳しく、こういう戦いを勝ち上がっていくのは我々にとってはいい経験になる。一つひとつ勝つことで、選手に自信を持ってもらいたい」
 
 この大会中、関塚はそう話していたが、まさにその期待は現実のものとなり、ひいてはロンドン五輪での「44年ぶりのベスト4進出」にまでつながったと言ってもいい。
 
 この大会で成し遂げられた快挙、すなわち史上初の金メダル獲得を経て、果たして2軍とも揶揄された彼らは、その後どうなったのか。
 
 金メダルメンバーのなかから、安藤駿介、鈴木大輔、山村和也、東、山口、永井の6名がロンドン五輪の登録メンバー入り。うち、鈴木、東、山口の3名は全試合に出場した。
 
 さらに2年後、山口はブラジル・ワールドカップでも全3試合に出場(うち2試合は先発フル出場)し、A代表で主力の一角を担うまでになっていた。
 
「この大会で結果を出して、来季セレッソでレギュラーを掴めば、自然とロンドンも見えてくる」
 
 山口自身がそう話していたことでも分かるように、4年前のアジア大会当時、所属クラブのレギュラーでさえなかったボランチが、である。
 
 韓国・仁川で開かれるアジア大会に臨む陣容も、招集には原則「1クラブ1名」の制限があり、必ずしもベストと呼べるものではない。だが、それがイコール「2年後のベストでない」とは限らない。
 
「選手一人ひとりは力を持っている。やっぱり彼らには実戦が必要だったんだということを再認識させられました」
 
 4年前、関塚はそう語っていたが、今回U-21代表に名を連ねた選手のなかから、「第二の山口」が生まれる可能性も十分にある。
 
 幸いにして、と言うべきか、A代表新監督のハビエル・アギーレは就任会見で「ユース世代の育成にも興味がある」と話し、五輪代表にも関心を示している。
 
「将来性のある選手を呼びたい」
 そう語る新指揮官のお眼鏡にかなう選手がどれだけ出てくるのか。
 
 今回もまた、「2軍」の奮闘に期待している。
 
文:浅田真樹(スポーツライター)