大学生メンバーのひとりだった永井。快足と決定力を生かし5ゴールをマークし、得点王に輝いた。(C) Getty Images

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 各世代の代表選手たちが歩んできた過程には、知られざる様々なストーリーがある。『週刊サッカーダイジェスト』では、その軌跡に焦点を当てた浅田真樹氏のコラム「追憶のGeneration」を月1回で連載中。
 
 今回は、9月14日に開幕する仁川アジア大会を前に、4年前の前回広州大会で初の金メダルに輝いたチームを取り上げる。
(※『週刊サッカーダイジェスト』2014.9.9号より)
 
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 現在の日本の育成年代について語る時、キーワードのひとつに「実戦経験」がある。
 
 ユースチーム(あるいは高校)では数多くの公式戦をこなした選手が、トップチームに上がった途端、控えに回り、ほとんど出場機会を得られなくなる。つまり、20歳前後の時期の「実戦経験不足」が選手の成長を滞らせているというわけだ。
 
 こうした問題を解消しようと、最近では出場機会を求めて他のクラブへ期限付き移籍するケースも増えた。最近では、柿谷曜一朗や齋藤学が目に見える成果を残している。
 
 しかし、若い選手が所属クラブで不可欠な戦力となれば、一方で年代別代表への招集を難しくさせることにもなる。
 
 FIFAが定めた国際Aマッチデーによって拘束力を持つA代表と異なり、年代別代表はクラブの「好意」なくして活動は成り立たない。リーグ戦の合間に行なわれる2泊3日程度のキャンプならともかく、数週間にも及ぶ大会に参加するとなると、クラブにとってはその間の公式戦で主力選手を失うのは痛手だ。
 
 先ごろ発表されたU-21日本代表メンバーを見ても、チームを率いる手倉森誠監督の苦心が窺える。過去を振り返れば、Jリーグ終盤の大事な時期と開催が重なるアジア大会では、ベストメンバーが組めないのはもはや恒例である。
 
 とはいえ、それは決して悪いことばかりではない。来年以降のリオ五輪予選、あるいは五輪本番を見据えるならば、候補選手のパイを広げておくのは必要だ。今はクラブで出場機会を得られなくても、潜在能力を秘めた選手は間違いなくいるからだ。その意味では、アジア大会は今後への可能性を広げる重要な実戦経験の場となりうる。
 
 4年前の前回大会を振り返ると分かりやすい。当時のU-21代表は、アジア大会史上初(男子サッカー)となる金メダルを獲得したが、その快挙を成し遂げたのは1・5軍、いや2軍とまで言われたチームだった。
 
 2010年11月、中国・広州でアジア大会が開かれた時期は、まさにJリーグの佳境。各クラブにとって主力選手の引き抜きは死活問題とあって、日本は「Jリーグで出場機会のない選手+大学生」という構成で大会に臨んだ。これこそが、当時のU-21代表が2軍と言われた理由である。
 
 ところが、彼らは戦前の低評価を覆し、思わぬ快進撃を見せた。
 
 グループリーグ初戦、相手は地元・中国とあって苦戦が予想されるなか、立ち上がりから日本ペースで試合を進め、終わってみれば3-0の完勝。65分に3点目が決まると、まだ試合時間はたっぷりと残されているにもかかわらず、スタジアムの観客が続々と席を立ったことは、試合内容がどんなものであったかを表している。
 
「今までキャンプでやってきたことをしっかり頭に入れて、一人ひとりが自信を持ってプレーしよう」
 
 監督の関塚隆は試合前、選手たちにそんな話をしてピッチに送り出したというが、実戦に飢えていた彼らはまったく臆することなく戦えていた。
 
 2点目のゴールを決めた永井謙佑は当時、こんな言葉で中国戦を振り返っている。
「ワーッっていう(中国サポーターの)声は聞こえたけど、そんなに気にならなかった。緊張感があるなかでできたし、逆にやってやるぞという気持ちだった」