その瞬間、時が止まったような感覚だったという。

 アギーレジャパン2戦目のベネズエラ戦。0−0で迎えた51分、岡崎慎司と相手DFが競ってこぼれたボールをセンターサークル付近で拾った武藤嘉紀が、ドリブルを開始した。追いすがるDFのファウルまがいのタックルを跳ねのけ、なおも武藤は加速して敵陣に進入していく。そして、ペナルティアークまでたどり着いたところで思い切り左足を振り抜くと、ベネズエラのゴールネットが大きく揺れた。

「(大歓声は)あまり聞こえなくて、なんか面白い感覚でした。集中していたのかな。歓声より、決めちゃったんだなって。時が止まった感じ」

 ブラジルW杯で惨敗した日本代表を立て直すため、日本サッカー協会はメキシコ人のハビエル・アギーレを新監督として招聘した。その新体制の、武藤は今やシンボル的存在だ。ルーキーながら代表に選ばれ、9月5日のウルグアイ戦の58分に、さっそく代表デビュー。ポストを叩く惜しいシュートを放つと、ベネズエラ戦では代表2試合目にして初ゴール。これが、アギーレジャパンのファーストゴールになった。

「監督からは、ムイビエン(スペイン語でとても良かった)と言われました。選ばれたころは嬉しかったですけど、今は代表に定着していきたいという気持ちが一番にあります」

 メキシコ人指揮官の大胆な起用によって、代表チームに新たな血が注入された。武藤嘉紀とメキシコ――、この組み合わせに不思議な縁を感じずにはいられない。かつて、武藤が自分の力で運命を変えた場所、それがメキシコだったのだ。

 話は今から4年半前、武藤がFC東京U−18に所属していた2010年1月にさかのぼる。FC東京U−18は3ヶ月後に高校3年生となる武藤らを中心にした新チームで、メキシコ遠征に臨んでいた。

 もともとサイドアタッカーやFWとしてプレイしてきたが、高校2年のときはサイドバックとして、1学年上のチームでレギュラーを務めていた。そして、いよいよ最上級生になるため、本来の攻撃的なポジションに戻れると思っていたところ、FC東京U−18を率いていた倉又寿雄監督(現日体大監督)から、引き続きサイドバックでプレイするように告げられた。

 武藤には、当時から当たり負けしないフィジカルの強さがあり、奪い取る力に長けていて、ボールを運べる推進力もあった。

 長友佑都や内田篤人をはじめとして、日本人サイドバックはヨーロッパでの評価が高いが、Jリーグを見渡せば、サイドバックの人材が決して豊富というわけではない。武藤にはサイドバックの資質がある、サイドバックになったほうがプロになりやすいし、プロになってからも試合に出やすいのではないか――。指揮官には、そんな親心があったのだ。守備力を高めるため、武藤をセンターバックとして起用したこともあったというから、どれだけ本気でDFとして育てようとしていたかがうかがえる。

 だから、もしかしたら武藤は、アギーレジャパンで酒井宏樹や松原健と右サイドバックのポジションを争っていた可能性もあったのだ。コンバートを受け入れていたならば......。

 ただ、子どものころから攻撃的なポジションを謳歌してきた武藤にとって、それは受け入れがたいものだった。高校2年のときにサイドバックをこなし、守備力やフィジカルを磨いたのも、サイドハーフに戻ってから生かせると思っていたからだった。武藤は、「どうしても前で仕事がしたい。得点を取りたい」と訴え続けた。

 そこで、指揮官がある提案をする。今度のメキシコ遠征では前で起用するから、俺を納得させるプレイをしてみろ――。

 武藤が今、サイドバックではなく、ウイングやFWとしてプレイしている事実が、その遠征での武藤のパフォーマンスの答えだ。当時を振り返って、倉又監督が言う。

「自分から、『ここをやらせてくれ』と言ってくる選手は少ないし、それで結果を出すのはたいしたもの。それぐらい覚悟があるなら、希望するポジションで勝負させてやりたいって逆に思いましたよね」

 今季、Jリーグですでに8ゴールを奪い、代表2戦目にして初ゴールをマークした決定力、勝負強さ、スピードが、武藤の魅力なのは間違いない。その一方、サイドバックでプレイさせてみたくなるほどのフィジカルの強さや守備意識、そして走力は今も健在だ。選手ひとりひとりに守備力を求めるアギーレ監督が武藤を重宝し始めている理由は、そこにもあるはずだ。

 柿谷曜一朗がいて、これから香川真司や原口元気、宇佐美貴史らも起用されることが予想される最激戦区の左ウイング――。だが、武藤嘉紀には彼らにない武器がある。

飯尾篤史●文 text by Iio Atsushi