2006年に中国に移住した大橋さん。蘇州、北京、広州、そして08年からは上海に在住。情報誌の編集長を経て13年9月よりフリーランス。今回のテーマは、終戦記念日にあらためて感じた中国人の複雑な対日感情と、留学によって国際的視点をもつ新しい中国人たちの登場。日中関係の未来はどうなっていくのだろうか。

 終戦記念日の8月15日、たまたま中国人との会食に誘われた。経営者が中心の集まりだったが、私の隣りに座った王さん(仮名)は、外交部のOBだった。英国、アイルランド、ブラジル、香港など在外公館に赴任した経験もあるという。

外国人との交流が許されなかった30年前

 王さんの昔話は興味深いものだった。30年ほど前、日本の政府開発援助(ODA)のプロジェクトで上海に滞在していた日本人ふたりとの思い出が語られた。ODAの存在を知る中国人は非常に少ないが、外交部に所属しているとさすがに違うようだ。

 その日本人ふたりから日本語を教わったり、逆に中国語を教えたり、一緒に卓球をしたりして交流したのだという。当時の記憶をたどりながら王さんは「はじめまして。どうぞよろしくお願いします」とうれしそうに日本語を口にした。

 30年前というと、改革開放から間もない頃である。そのことを指摘すると、実際には「開放なんてまだぜんぜんだった」と即座に否定された。

 彼が外交部の人間だったこともあるのかもしれない。日常生活において外国人、まして日本人と接触することは、本来であれば許されないことだったという。まだ文化大革命の名残りがあったのだ。

 私の義父は公務員であるが、公務員の子女が外国人と結婚することも当時は許されなかったという。中国のこの30年間は経済だけではなく、社会の変化も甚だしいものがある。

 酒の酔いも手伝ってか、話題はしだいに日中関係へと移っていった。それまでは、過ぎ去りし日のよき思い出や日本食が好きなことに触れたりと、日本びいきのところを見せていたが、昨今の日本政府の言動には我慢がならないようで、「正直にいうと、日本製品を買おうと思わなくなった」と唐突に漏らした。隣で奥さんが慌てて「個人と国家の問題は別だから」とたしなめていたが、それまでの会話が和やかだっただけに、少なからずショックを受けた。

 しかしよくよく考えてみると、これが戦争を体験している親を持つ世代の普通の感覚なのかもしれない。表面的には親日であっても、心の奥底には日本に対し割り切れない思いを持っているのではないか。

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