アギーレ新体制の初陣メンバーに選出され、ウルグアイ戦ではスタメン出場。約2年半ぶりの代表復帰となった。(C) SOCCER DIGEST

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 9月5日、新生日本代表の初陣となるウルグアイ戦でスタメン起用された田中順也。今夏、活躍の場をポルトガルの強豪スポルティングに移し、さらなる飛躍を期すシーズンを迎えている彼を、スペイン在住のライター豊福晋氏が現地で直撃した。
 
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 柏レイソルの合宿で韓国にいた田中順也の下に連絡が入ったのは、6月下旬のことだった。
 
 当時はブラジル・ワールドカップの最中で、田中は地球の反対側でプレーする日本代表をチームメイトとともに応援していた。ワールドカップに出たい想いは当然あったけれど、力不足だったという認識もあった。TVの向こうに映る世界は、距離にも増して遠く感じられた。
 
 連絡は代理人からのものだった。
ポルトガルのスポルティングが獲得に興味を示しているということでした。ポルトガル側の代理人がすぐに答が欲しいと。突然の話でした」
 
 リスボンのホテルのロビーで、田中はほんの数か月前の出来事を思い出していた。8月23日、スポルティングのユニホームを着て、念願のリーグデビューを果たした。田中はそこで決勝点を呼び込むシュートを放ち、スタジアムに詰めかけた地元ファンの喝采を浴びている。
 
 移籍に迷いはなかった。スポルティングは世界的に名の知れたビッグクラブだ。しっかりとしたクラブから話があれば、海外挑戦をしたいというのは、田中がプロ入り後から考えていたことだった。
 
 スポルティングから条件や契約書が届き、彼は「移籍します」と強化部に伝えた。彼にとって幸運だったのは、柏の強化部トップに信頼関係のある吉田達磨氏がいたことだった。クラブとしては戦力ダウンにつながる田中の放出は避けたいと考えるのは普通のことだ。
 
「吉田さんは元選手だったから気持ちを分かってくれたんです。『スポルティングはチャンピオンズ・リーグに出るし、自分も選手だったら間違いなく移籍を選ぶだろう。俺だったら行く。強化部のトップとしては止めるが』と言ってくれた。吉田さんじゃなかったら、(柏を)出られなかったと思う」
 柏にはもうひとり話さなければならない人がいた。監督のネルシーニョだ。彼は大学でプレーしていた田中を評価し、育て上げた人でもある。ネルシーニョに時間を作ってもらい、ふたりはいろんな話をした。
 
「大学まで目立った経歴もなかった僕が、プロに入ってリーグ優勝まで経験させてもらった。勝つチームのなかで、日々の努力について彼に全部叩き込まれましたね。毎年タイトルを獲らせてもらったし、これ以上の感謝はない。その結果で代表にも入れた。彼に上手く育ててもらった5年間でした。大学時代はほとんど感覚だけでやっていましたから」
 
 ネルシーニョに口酸っぱく言われたのは、ピッチの上での動き方だった。田中はFWにサイドハーフと、攻撃的なポジションならどこでもこなせる選手だ。90分間走り続けられる運動量は彼の持ち味でもある。しかしネルシーニョはそんな田中に反対のことを求めた。
 
「ネルシーニョには『お前は動きすぎる、使いどころを考えろ』と言われ続けましたね。自分は運動量が持ち味なのに、動くなということで最初は苦労しました。それでも、監督の要求に応えているうちに、徐々に分かっていった。それで少しずつ成長できて、日本代表にも手が届くようになってきた。今回のように、いきなりビッグクラブにも入れて……。それもネルシーニョや、周りに叩き込まれてきたことがあったからでしょうね」
 
 プロになってから海外移籍に対する興味はあったものの、田中は幼い頃から海外サッカーを観てきたわけではない。さらに言えば、Jリーグにもほとんど興味がなかった。自分がプレーすること以外は、なにも関心がなかったのである。