大崎さんの家計簿

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就職難で“正社員メンバーシップ”に入れてもらえず、キャリアアップの望み薄な低賃金のポジションに甘んじ続ける若年層――世間の抱く非正規社員像はそんなところだが、ここにいつしか40代男性を散見するようになった。日本の“失われた時代”の長さの証拠だが、企業に必要な人材か否か以前に、そのコストの調整弁扱いされる彼らは、人生の折り返し点を過ぎた今、何を思うのか。

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正社員時代にマンション購入。ボーナス払いが1回38万円
リーマン・ショックで投信の損失60万円。が、IT株の一本買いで取り戻す。言われるまま入った月2万円、死亡保障7000万円の生保は解約。昨夏、預貯金がゼロに。「通帳を見てビックリした」唯一の資産・マンションのローン滞納の恐怖から現職に。食べログ・口コミサイトも駆使、JALのマイレージを昨年だけで4万マイル貯めた。通勤定期の範囲で下車、max700円の縛りで美味い定食やラーメンを探すのが楽しみ。

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「まあ、辞めちゃうのが悪いんですけどね……」と笑う大崎満氏(仮名、46歳)は今、6カ月更新の派遣社員として損保のコールセンターに勤務する。

「職場は損保子会社の正社員派遣社員が半々。子会社社員の20代半ばの女性に仕事を教えてもらいます。お互い敬語で話すけど、彼らの給与額は知りません。業務内容も違うし、ここまで年齢が離れたら腹も立ちませんね」

年収は約350万円。首都圏郊外に購入した中古マンションで一人暮らし。約1時間かけて都心に通う。年2回のボーナス払い時に38万円払うため、朝晩の食事は自炊。昼は弁当だ。「夜も帰宅してから晩飯を作るから、食べ始めるのは11時過ぎ。体重が100キロ弱に増えた(笑)」。

都内の有名私大を卒業後、IT系企業に正社員として就職していた。SEとして15年以上勤務し、年収は800万円弱。30歳手前でマンションのローンを組んだ。はた目には順風な会社生活に思えるのだが……。

「マネジャーにはなりたくなかった。何度も打診されたが、全部無視。会社が大きくなって給料が急上昇した半面、職場が実力主義でギスギスしてきた」

交際女性とは、マンション購入を結婚と早合点されたのが嫌で距離を置いた。2008年のリーマン・ショック後に出した退職届がなかなか受理されず、そのうち勝手に出社しなくなった。

旅行好きで、退職後2年で全都道府県を制覇。自らガイドブックを書くほど土地に精通。SNSで多くの20代女性と知り合い、リゾート地で遊んだ。が、実入りはよくて月10万円。退職金を加えて1000万円あった貯金は2年で半減。ハローワークの求人も、40過ぎはほぼNG。流れ着いた職場は介護施設だった。

基本給14万円に夜勤を入れて月平均18万円。夜勤の折は、老人30人のワンフロアを1人で見た。「精神的にしんどかった。老人と話は通じない。気が付くと床が糞尿で水浸し。患者への虐待が起こるのもわかる気がする」。

「給料が上がる要素ナシ。この世界で“壽退社”するのは男。相手の親に知られるとまずいから、転職するんです」

次の職を決めぬまま、1年で辞めた。唯一の財産・マンションのローンのボーナス払いが滞る恐怖。それをどうにか鎮められたのが、現在の職場だった。

「派遣としては恵まれたほう。ただ、1日休むと1万数千円実入りが減る」

母親はすでに亡い。姉夫婦と同居する80代の父親は、今も日本中を車で一人旅する。血筋といえば血筋なのか。

「職場の電話はいつも事故の話ばかりだから心配になる。父や姉と今後の話もしておきたいが、介護の資格を持ってるこちらに振られるのが怖い」

今は交際相手もいない。今の仕事を続けるつもりもない……と言いつつ、「いつか石垣島に住みたい」と漂泊の思いはやまぬようだ。

(西川修一=文 石橋素幸=撮影)