29日放送の「ゴロウ・デラックス」(TBS系)に明智光秀の子孫で作家の明智憲三郎氏が出演し、本能寺の変の「真相」を語った。

この日、ゲストとして出演した明智氏は、もともと三菱電機でシステムエンジニアをしていたが、50年にわたり独自に本能寺の変を調べてきたという。

明智氏は、信長を暗殺したとされる明智光秀の子孫ということで、自分を「明智」と紹介するのも「辛くて辛くてしょうがない時代」を送ったが、光秀が恨みつらみで殺した通説を「本当だろうか」と不思議に思い、真実が知りたい一心で光秀について調べつづけたのだという。

本能寺の変については、光秀が信長の厳しい仕打ちを恨んでいたため、本能寺の警戒が薄かったことにつけ込んで暗殺した、とするのが現在での通説となっている。

しかし、番組では、通説とはまったく異なる明智氏が主張する本能寺の変の「真実」が明智氏の著書「本能寺の変431年目の真実」にもとづいて紹介された。

明智氏の主張では、信長はかねてより徳川家康を危険人物と見なしていた。そして、信長が家康を本能寺におびき寄せてから暗殺するよう、光秀に命じていたのだという。

というのも、本能寺の変の当時、家康は本能寺に向かって上洛している最中であったとの記録が残っており、また、光秀の家臣が記した記録にも本能寺に行くのは家康を討ちに行くのかと思っていたとの記載がある。

しかし、「イエズス会日本年報」には信長が中国を征服するという野望を持っていたとの記録がある。光秀が中国への侵攻を命ぜられれば、最悪の場合、明智一族が滅亡してしまうことも考えられる。明智氏は、光秀は中国行きとなるか、謀反を起こすかのどちらかを選ばざるをえない状況だったと指摘した。

そして、そうした危機を感じた光秀は、信長が家康を討とうとしていることを家康本人に伝え、光秀は家康と信長を暗殺することで協力関係を結んだのではないかと説明した。

またスペインの貿易商人アビラ・ヒロンが記した「日本王国記」に、信長が本能寺での最後の言葉は「わしは自ら死を招いた」と書かれていることも、明智氏の説の正しさを証明しているという。つまり、自ら仕掛けた家康の暗殺計画によって信長自身が暗殺されたということだ。

また、本能寺の変を予想していた秀吉は「中国大返し」で長距離を短時間で移動し、山崎の戦いで光秀を討っている。その後、秀吉は自らの正当性を主張すべく、「光秀が恨んで信長を殺した」と、本能寺の変のわずか4か月後に歴史書を書かせた。秀吉は信長を裏切った光秀を成敗した武将として、権力者の地位に収まったのだ。

これについて、明智氏は「日本中が430年前の秀吉に騙されている」と述べた。

明智氏の説明を受けた外山恵理アナウンサーは秀吉について「嫌なやつ」とひと言。ドラマ「信長のシェフ」で明智光秀役を演じている稲垣吾郎も光秀に思い入れがあるようで、終始「へえ」「はあ」と驚きを隠せない様子だった。

なお、明智氏は10年ほど前から信長の子孫である織田家の人との付き合いがあると語っている。

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