『チューリングの妄想』エドゥムンド・パス ソルダン 現代企画室

「私は電気蟻......。死にたいのに、死ぬことができない。」

『チューリングの妄想』は幾筋ものプロットが交錯するのだが、その中ほどにこんな一文があらわれる。この電気蟻とは、フィリップ・K・ディックの同題短篇に由来するのかもしれない(ハヤカワ文庫SF『アジャストメント』所収)。「電気蟻」では、現実のあらゆるものはプログラムされたものだと明かされる。ディックが得意とした不確かなリアリティだ。

 ディック作品に比べると、『チューリングの妄想』は、ほぼ揺るぎのないリアルな地平で進行する。はっきり仮想現実と呼べる要素は、せいぜいウェブ上で展開される疑似世界「プレイグラウンド」くらいだ。プレイヤーはアバターを介してそこに参加する仕組みで、その「外側」には通常の現実が広がっている。

 ただし、その現実は平穏なものではない。作者エドゥムンド・パス・ソルダンはボリビアの現代作家で、この小説もボリビアの状況を反映している。かつての独裁政権から民主国家へと表向きだけは移行したものの、体制は相変わらず民衆を支配しており、グローバル資本の流入が人々の暮らしをさらに圧迫する。反体制の動きもあるが、それが大きな火種にならぬよう監視されている。それを担っているのが国家諜報機関ブラック・チェンバーだ。

 主人公のひとりチューリングは、独裁政権時代からブラック・チェンバーに勤務する暗号解読のエキスパートだ。チューリングというのはもちろんニックネームで、ブラック・チェンバー初代長官であるアルベルト(いまは引退)がつけた。かつてはエースとして活躍した彼だが、やがて暗号解読がコンピュータに全面的に依存するようになったため、閑職へ追いやられてしまう。しかし皮肉なことに、いっそう進歩した情報技術の世界では、暗号解読者は暗号作成者にまったく太刀打ちができない。そんな状況で、チューリングのような古いタイプの専門家がまだ必要とされるのだ。いわば、ジリ貧ながらかろうじて踏みとどまっている老兵。

 そのチューリングのもとへメッセージが送られてくる。「人殺しお前の手は血で汚れている」と。文章自体は粗末な単一換式暗号だったが、問題はブラック・チェンバーの非公開アドレスがどうして知られたかだ。相手は遣り手のハッカーか、それとも内部の人間か?

 暗号解読だけを生きがいとし政治意識の薄いチューリングとは対照的に、もうひとりの主人公カンディンスキーは革命の意志を抱いた「怒れる若者」だ。彼が発端としたのは疑似世界「プレイグラウンド」で、管理者を出しぬこうとするアナーキーなムーヴメントだった。それを足がかりにメンバーを集め、やがて現実社会へと場を移していく。それが民衆を巻きこんだ〈抵抗運動〉へと発展する。

 主要登場人物はこれだけではない。チューリングの娘フラービアも大活躍する。ハッカー文化に精通しながらも政治的にはあくまで中立的な立場を貫いてきた彼女だが、〈抵抗運動〉から脱落した青年ラファエルと関わったことをきっかけに、カンディンスキーの思想・行動に疑問を抱くようになる。彼女自身のハッキングの才覚(それはITスキルよりも、ネット文化・慣習を熟知しているアドバンテージによるところが大きい)をフルに発揮し、カンディンスキーの正体へ肉薄していく。フラービアは、いわばこの物語の探偵役だ。〈抵抗運動〉のサイバー攻撃に手を焼くブラック・チェンバーの現長官ラミレス・グラハムは、フラービアの腕前を見こんでその捜査を後押しする。

 さて〈抵抗運動〉は大きなうねりとなり、市街で大規模なデモが起こる。それを弾圧しようとする警察・軍と衝突。その騒動に巻きこまれたのが、チューリングの妻(すなわちフラービアの母)ルスだ。封鎖されていた大学(彼女の勤め先)に入りこんだことが咎められ、デモ参加者とともに収監されてしまう。ルスはかつてブラック・チェンバーに勤務していたが、独裁政権に荷担することに良心の痛みを覚え退職し、いまは歴史学者として独裁政権の政治犯罪を告発する論文をひそかに準備していた。その論文の原稿も警察に押収されてしまう。原稿は暗号化されているのですぐに政治犯として処罰されることはないだろうが、なんとしても取り戻さなければならない。

 そのルスの論文を手に入れたがっているのが、独裁政権に一矢報いたい一審のカルドナ判事だ。彼は「この国では法律など役に立たない」と絶望しており、正義感ではなく私的復讐心に突き動かされている。ルスやチューリングを危険に晒すことにも躊躇がない。

 先述したようにボリビアはいちおう民主化されているのだが、かつて独裁政権を敷いていたモンテネグロ大統領はいぜん権力の座にとどまっている。モンテネグロというのは架空の人物だが、実際のボリビアの政情(1970年代〜2000年代初頭)がそのまま物語の背景をなす。そうした設定だけを見ると、この作品は空想的な飛躍がなくSFというよりもテクノスリラーなのだが、一方でそうも言い切れない不思議な要素がある。それはブラック・チェンバーの創立者アルベルトの存在だ。

 彼はチューリングにとっては自分を引きあげてくれた恩人であり、ラミレス・グラハムにとっては謎めいた前任者である。アルベルトは70年代にCIAの軍事顧問としてボリビアに赴任し、そのままモンテネグロの配下に収まった人物だが、出所の怪しい噂では元ナチスだったとも言われる。その彼は、ブラック・チェンバー長官を引退後、神経を冒されて死の床についている。しかし、身体は不随でも意識は鮮明だ。彼はこの作品中で特権的に「私」(一人称)を名乗っており、古代から綿々とつづく暗号解読の専門家はすべてひとりの自分だと主張する。紀元前1900年、カヌムホッテップ二世の墓にヒエログリフを刻んだ人物。紀元前480年、ペルシア王の侵攻を察知し、それを味方に伝える木版通信を考えだしたギリシア人デマラトス。19世紀に暗号を用いた小説「黄金虫」を書いたエドガー・アラン・ポ-。第二次大戦中、ナチスの強力な暗号制作機エニグマのシステムを解明したマリアン・レイェフスキ。おなじくエニグマ解読に貢献し、のちには人工知能の父となったアラン・チューリング。そのすべてがひとつの精神、暗号作成者/暗号解読者なのだ。この書評の冒頭で引用した「死ぬことのできない電気蟻」は、この魂の独白である。

「私」の不死性/超人格・超時間/電気蟻的リアリティと相即するように(ただし物語上の因果関係はない)、チューリング(アルベルトの部下のほう)はある感覚を抱いている。それは仕事のみにとどまらない、暗号探しの衝動だ。つまり、この世界には暗号が隠されている。それは神の奇跡そのものであり、どうしても見つなければならない。現実とは自分にとって見知らぬ世界だが、暗号が解ければ視野が開ける。

 叙述上で注目すべきは、チューリングは「お前」(二人称)で呼ばれていることだ。チューリングのパートは地の文よりも台詞(独白も含めて)が多いので、二人称叙述がさほど目立たず奇異には感じないが、やはり破格だ。「私」であるアルベルトが作品世界全体に君臨し、弟子のチューリングに呼びかけているとも取れるが、このふたりのパート以外は通常の小説の叙述(なんの変哲もない三人称)が用いられているので即断は難しい。むしろ、パートごとに人称を変えて、モザイク的な小説空間を構成しているとみるべきかもしれない。

 その一方、この小説はスリラーとしての起伏もじゅうぶんに備えている。ただし、派手なアクションや諜報戦はほとんど表に出ず、フラービアの捜査もラミレス・グラハムの保身もカンディンスキーの逃走も、それぞれの思惑を裏切って意外な方向へ進んでいく。ちょっと「操りミステリ」を思わせる構図のなか、結末で突出するのは倒錯した英雄譚である。ぼくはボルヘスの皮肉な寓話を連想した。

(牧眞司)