「山本けいオフィシャルブログ」より

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 女子中学生たちにLINEで「ただでは済まさない」「身元を特定されているのを分かっているのか」と脅迫的なメッセージを送っていたことが問題となっている、山本景大阪府議。誰もが概要を知ってあ然とした事件だったが、さらに事態は発展。『スッキリ!!』(日本テレビ系)でテリー伊藤が山本議員を「キモい」と論評し、除団処分を下した橋下徹大阪市長にも「僕らの立場ではキモいくらい言われるのは当たり前」と追及されてしまったからだ。

 当初はテリーに人権を侵害されたとして放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てすると言い出すなど、応戦の構えだった山本府議。いまはそれも協議によって取り下げることに。24日には、「"キモい"イメージを取りのぞきたい」とトークイベントに挑み、ロリコン疑惑を払拭するべく過去に年上女性とのあいだに子をもうけたことを明かしたが、離婚原因を「出産直後に元妻から突然『一緒にいたくない』と言われた」と告白するなど、さっぱりイメージアップにつながることはなかった。だいたい、渦中の議員がのうのうと公の場でハイボールを飲みながら話す内容なのかと考えると、ますますキモさは増していくばかりである。

 テリーや橋下に限らず、中学生に対して山本府議が行った行為は、多くの人にとって「キモい」という感情を引き起こしたことと思う。それは、大の大人が中学生相手にブチ切れたからなのか。それとも彼が議員だからなのか。あるいはロリコンの気配がするからなのか......。そもそも、「キモい」とはどういった感情なのだろうか。

 精神科医である春日武彦氏の著書『「キモさ」の解剖室』(イースト・プレス)は、キモさをこのように分析している。

「キモさとは得体の知れないことへの戸惑いや狼狽、違和感に対する心地悪さ、理解の及ばないことへの不安や苛立ち、自分の知識や感覚では把握しきれぬ存在への畏怖といったものが絶妙に混ざり合った「気配」のことではないでしょうか」

 まず、この"理解の範疇からはみ出している"という点は、山本府議にもいえること。LINEでハブられたからといって、同じ中学の友だち同士ならいざ知らず、大人が「ただでは済まさない」とキレるという、意味のわからなさ。わたしたちがキモいと反応してしまうのは、山本府議の「得体の知れなさや言葉で説明しきれない違和感」だったのではないだろうか。

 また、著者はキモいという感情のもつ要素を分解し、「グロさとキモさ」「可愛さとキモさ」「危うさとキモさ」「面白半分とキモさ」「心の弱さとキモさ」「不可解さとキモさ」など、いくつかのタイプに分類している。そのなかでも今回の山本府議に当てはまるのは、この3つではないか。


●陰湿さとキモさ
〈陰湿で卑劣な精神の持ち主は、善人を装いつつ他人の心を傷つけたり「えげつない」振る舞いをすることによって、キモさを剥き出しにする〉

●厚かましさとキモさ
〈ためらうことなく良識を踏み越えたり、他人の尊厳を踏みにじる行為は周囲を困惑させる。事情があったにせよ、凡人にとってはそれは恐ろしさやキモさの感覚として受け取られる〉

●鈍感さとキモさ
〈鈍感であることによって、わたしたちは無意識のうちにキモい精神を露呈させてしまいかねない〉


 とくに最後の「鈍感さとキモさ」は、山本府議のキモさを考える上で重要だ。

 山本府議の問題で人々をおののかせたのは、問題発覚当初、「生徒が侮辱的なメッセージを送ってきたから怒っただけで正当な行為だ」などと言い切っていたこと。その後は頭を丸めたり(この行動も安直すぎて驚くが)、中学生に謝罪の弁を述べたが、それでも問題の発端となった産経新聞への情報提供者を"誤った情報で名誉を傷つけられた"として容疑者不詳のまま刑事告訴するなど、世間がどの部分(中学生にLINEでキレる、ということ)に困惑しているのか、まったく気付いている様子がない。著者はキモさに無自覚であることを、「このギャップはある種のホラーではないでしょうか」と述べているが、山本府議にも同種のホラー感が漂っている。

 ただ、覚えておかなくてはいけないのは、「キモいという言葉には相当な破壊力があります」(本書より)ということだ。公人たる山本府議はこの言葉を受けとめるに値すると思うが、「面と向かって「お前、キモいよ」と言ったとしたら、その発言は100パーセント、相手を傷つけます」という本書の指摘を、ついつい口癖のように「キモい」と言いがちな人は胸にとめておきたい。

「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言われるが、自分も、気付かぬうちに他人にはキモいと思われているかもしれない。経験を語っているつもりが、他人には自慢話に聞こえている。最新ファッションに身を包んで自分はイケてると思ってるつもりが、そのドヤ感が他人には勘違い野郎だと思われている──キモさのハードルが低いこの社会では、ささいなことでもキモい奴認定を受けてしまう可能性がとても高い。大事なのは、他人を「キモい」と言ってしまう自分を自己正当化せず、自分もまたキモい部分があるのだと自覚しながら生きていくことなのかもしれない。

「生きることとキモさを発散することは同じではないだろうか」

 著者のこの一言を、いつも忘れたくはないものだ。
(サニーうどん)