『わたし、解体はじめました─狩猟女子の暮らしづくり』(畠山千春/木楽舎)

写真拡大

「森ガール」「山ガール」に始まり、「林業女子」「農業女子」ときて、ついに現れた「狩猟女子」。ゆるふわ系女子アウトドアカルチャーも行く所まで行き着いた感があるが、狩猟ともなれば、ファッションやレジャー感覚で気軽に楽しめるようなことでもなさそうだ。自分の手で動物を捕まえ、絞めて解体し、肉を食べるのである。人間と動物の「命」の関係、生きることや食べることの意味、あるいは、大量に肉を消費する社会の現実......など、日頃は目をそらしている面倒な問題に否応なく向き合うことになる。なぜ、20代のどこにでもいる女の子がそんな世界にハマり、新米猟師となっていったのか。その過程を綴ったのが『わたし、解体はじめました─狩猟女子の暮らしづくり』(畠山千春/木楽舎)である。

 きっかけは東日本大震災。横浜で平凡な会社員をしていた著者は死の恐怖を感じ、余震と放射能に怯える中で考える。

〈食べものにしろ、エネルギーにしろ、暮らしの中の大事な部分を人にお願いして自分はお金を払うだけ。そうやってひたすら消費し続けるだけの暮らしは、もうしたくない〉

 震災直後、同じように思った人は多かったはず。だが、ほとんどの人がすぐ元の生活に戻っていく中、著者は行動を起こす。それが「解体」だった。少々唐突な気もするが、もともと自給自足の暮らしに興味があり、「食べることが大好き」だった著者には、自然なことだった。

 最初は震災の半年後。ネットで「鶏 解体」と検索してヒットしたブログや動画で方法を調べ、養鶏農家から仕入れた鶏を数人の仲間と絞めた。首をうまく落とせず、返り血を浴びて「ごめんね、ごめんね」と言いながらも、肉を処理していくうちに「あれ、美味しそう」と感じ、食べ終わった時には大きな満足感に包まれる。

〈「命を奪って食べる」よりも「さっきの鶏が自分の一部になった」という感覚のほうがしっくりくる気がしました。(略)この結びつきを感じられたことが、私にとって大きな発見でした〉

 この体験を個人ブログ「ちはるの森」に書くと反響が大きく、著者は初心者ながら各地でワークショップを開くことになる。鶏の首をひねるか、棒で頭を殴るかして気絶させ、包丁で首を切り落とし、ポリ袋の中で逆さにして血抜きをし......五感を使って「命」を感じるワークショップは好評だった。面白いことに、参加者はたいてい少量の肉で満腹になるという。〈絞めたてのお肉は新鮮で、生命力に溢れているからでしょうか〉と著者は書く。ちなみに、彼女自身は解体を始めてから、来客や特別な時以外にはほとんど肉を食べない「ゆるベジタリアン」になったという。

 こうして、著者はどんどんディープな方向へ突き進んでいく。

〈自然の中に入れば、動物も自分も一対一の命。(略)狩猟を通じて、もっともっと自分が「一動物である」ということをちゃんと感じたい〉

 と狩猟免許を取ると、関東から福岡へ引っ越し、罠を仕掛けて獲る猟を学ぶ。解体する動物の種類も増えた。イノシシ、シカ、合鴨、うさぎ、イタチ、アナグマ、自分で育てた烏骨鶏......。

 ただし、描かれる仲間や道具立ては、どこか「今どきの女子」らしい雰囲気が漂う。7人でシェアする古民家暮らし。「tracks」という名の若手猟師グループ。Googleマップを使った猟場開拓。ワークショップにトークイベント。「狩猟」という行為とのギャップを新鮮に感じる人もいれば、反感や拒絶感を覚える人もいるらしい。本書でもさらりと触れられているが、著者のブログ「ちはるの森」は大炎上を起こしたことがある。それはうさぎ猟の様子を書いたエントリだった。

 新潟の地元猟師たちについて冬山に出かけ、うさぎを獲って解体し、食べ尽くすまでの一部始終をレポートした記事には、写真もふんだんに挿入されている。真っ白な雪原にうさぎの血が飛び散る様は、なるほど生々しい。しかしそんな内容でも、タイトルには「うさぎはかわいい味がした。うさぎ狩りと解体してきたよ。」とあり、著者は屈託のない笑顔を見せている。「そんなの見たくない」「かわいそうだ」という人には、格好の攻撃材料となっただろう。本人は、日刊SPA!のインタビューで騒動について聞かれ、「ブログは不特定多数の人が見る場所なので、表現が直接的すぎたかなとは反省しました」と語っているが、一方で、こんな思いも口にしている。

〈昔は軒先とかで鶏絞めていましたし、もっと暮らしの近くにあったことだと思うんです。あと、狩りといえば「マタギ」のイメージがあって、みんな無言で真面目で笑わずに真剣に......って思っている人多いと思うんです。もちろんそうだとは思うんですけど......。(略)そこで笑顔が出たからといって、命に対する敬意がないかどうかっていったら、違うんじゃないかなと思っていて。命に対する敬意というのは、その人の暮らしの中からにじみ出すものであって、一部だけで判断することはできないんじゃないかなっていう気持ちがあ ります〉

 狩猟や解体はもちろん、肉屋の店先で枝肉や部分肉を捌く光景すら、あまり目にしなくなった現代。スーパーの陳列棚に並ぶパック詰めの肉が当たり前の都市生活者にとっては「見たくない現実」を「狩猟女子」は突きつけてくる。あくまでも笑顔で、ゆるふわな語り口で。事件事故や戦争報道でお題目のように繰り返される「命の大切さ」よりも、よほど有効な「命の教育」なのかもしれない。
(大黒仙介)