「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」が地上波初登場。97年上映当時、熱狂と大混乱を巻き起こしたこの映画、あれから17年たった今、果たしてどのように見えるのか?

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関東圏で8月25日「THE END OF EVANGELION AIR/まごころを、君に」(以下・旧劇場版)が「映画天国」で放映されます。
地上波初放送です。
むしろ「放映していいの?」とそわそわしている人が多いであろう、問題作です。
完全に一見さんお断りな上、残虐シーンの多いこの映画、金曜ロードSHOWで流せないのはよくわかる。

上映された1997年は、変な年でした。
マガジンハウスの文芸誌『鳩よ!』で、その年に印象的だった言葉を識者に募ったところ、あがったのが『もののけ姫』の「生きろ」と、旧劇場版エヴァのラストのセリフ「気持ち悪い」だったそうな。
一方で「生きろ、そなたは美しい」という映画が大ヒットしており、もう一方で「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」と叫ぶ映画が大ヒットしていた。なんだろねこれ。

TV版が放映された96年から、『デラべっぴん』『スタジオボイス』『クイックジャパン』『ユリイカ』など、アニメ雑誌ではない雑誌が、軒並みエヴァを、庵野秀明を取り上げるようになりました。
めっちゃくちゃ売れたようです。ぼくも買いました。
興味深いのは「こんなのがあるらしいよ」という遠巻きな視点ではなく、熱心な編集者によるエヴァ布教記事だったこと。
まさに「エヴァバブル」。出版業界エヴァブーム炸裂の時期でした。

特に伝説化しているTV版弐拾伍話・弐拾六話と、エロスとタナトス入り交じる難解な旧劇場版は、未だに語りぐさになっています。
当時の作品への反響と、エヴァに心かき乱された人の話を振り返りながら、なぜ旧劇場版エヴァが未だ引っかかるのか探ってみます。

●誰かに言いたくて仕方ない症候群
97年当時、本当にあった話を回顧してみます。

CASE1・Yさんの証言
エヴァンゲリオンのラストがどうなるか、予想激論番組をオールナイトニッポンが特番で組んでいたことがある」

実際の音源を聞いていないので、今こそ是非聞きたいところです。
当時、ファンのエヴァの弐拾伍話・弐拾六話と旧劇場版への期待は、それはもう膨れ上がって大変なことになっていました。
それだけに、最終回へのブーイングも想像を絶するものでした。
今見ると、あれはすごい手段だと理解できます、が。当時は、ねえ。

CASE2・Aさんの証言
「とある雑誌編集部で、オシャレ系編集者がドハマリ。映画でなにがどう解明されるか、Q&A方式の答案用紙つくって、社内中にばらまいていたことがある。ただしその答案用紙は一切紙面に反映されない、個人の趣味のもの。また、とある行きつけのバーのマスターが、TV版をダビングしたビデオを渡し「観ろ」と強要してきたことがあった」

エヴァンゲリオンは「布教(人に作品の良さをアピールすること)」を行う人が多い作品でした。
話す相手が欲しくてしかたなかった。
難解なワード、読めない物語展開、弐拾伍話・弐拾六話と「AIR/まごころを、君に」の読解を求められるスタイル。多くの謎本が今現在でも出続けるのも納得。
エヴァのフィルムコミックを友人に押し付けた人は多いのではないでしょうか。
ぼくも当時、自分がこんなにハマった物は他人もハマるに違いない、という錯覚に陥っていました。ATフィールドを失ってLCLの海に溺れていたとしか言えません。

CASE3・Sさんの証言
「カルチャー系男子と仲良くなりたくて、「エヴァンゲリオン見たいなー」と言ったところ、彼の家に連れて行かれて、本当に本当に本当に解説付きで一晩中見るハメになった。弐拾四話で挫折し、仮眠をとって目覚めた後、開口一番彼がピュアな瞳で言ったのが「じゃあ続き見る?」。イエスとしかいえなかった」

(頭を抱えています)
いやっ、それはっ、確かに拷問だ、だけれども、ファンとして言わせてもらうけど、本当に見てもらいたかったんだと思いますよ当時は!
今でこそニコニコ動画やyoutube、バンダイチャンネルなどありますから「見ておいてねー」くらいの気持ちで言えます。
しかし当時、エヴァンゲリオンの面白さや高揚感を知ってもらうには、もう直接ビデオに録画したのを見てもらうしか無かった。目の前のうら若き女性よりも、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーのことが脳を占めていたのですから仕方ないでしょう?

CASE4・Tさんの証言
「レイが好きという人に、いかにアスカが素晴らしいかをニュースグループで延々と書いていたら、ハブられました」

この人は外部の人間に対して分厚いATフィールドを貼っていたにもかかわらず、エヴァを知っている人には相手のATフィールド反転させて侵食できると思い込んでいたようですね。
他人はあなたではないんですよ?
……だって、話す相手がクラスにいなかったんだもんしょうがないじゃないか。

当時のファンの渇望感を産んだ原因は、圧倒的な情報流通不足でした。

●情報が手に入らなかった時代
TV版エヴァンゲリオン放映時。
静岡では電波が入らないため、どうしてもリアルタイムでエヴァが見たかったファンが毎週、富士山の五合目に登って見ていたそうな。
最終回ではみんな脱力し、みんな下山する力でなくて、泊まったとかなんとか。

本当かどうかわからない、うわさ話ではあります。
ただこんな話が信じられるほどに、エヴァ放映時はファンは、飢え渇いていました。

TV版が放映された1996年、旧劇場版が上映された1997年は、情報化の過渡期でした。
インターネットが日本で広まり始める、本当に最初期です。
ISDNモデムが大々的に発売されたばかり、接続すると莫大な電話代がかかるので深夜の定額時間帯「テレホーダイ」をダイヤルアップ接続で利用していた時期です。

この当時の主なネットの情報交流は、どちらかと言うとパソコン通信が主流でした。
ニフティーサーブの掲示板ではエヴァンゲリオンの用語の意味は何なのか、ラストどうなるのか、劇場版はどう結論を見せるのかと常日頃論議されていました。
また「草の根BBS」と呼ばれる、個人がサーバーを立ち上げてダイヤルアップ接続で集まる掲示板では、エヴァファンが集まってテレホタイム(23時から朝8時)に、眠い目をこすりながら書き込み・チャットをしたものです。

この時のパソコン通信の書き込みが、旧劇場版では実写パートで混ぜ込まれています。
まだ2ちゃんねるの無い時代です。
「庵野、死ね」などの文字は、実際のパソコン通信の書き込みを元に、GAINAXのスタッフが作成したもの。
他にも「ガイナは成金だ。金をばらまいている」とひどく叩かれていたことを、庵野秀明自身が語っています(『パラノ・エヴァンゲリオン』より)。実際は売上をスタッフに還元していただけだったのですが。

実写パートでは、ファンレターや、劇場で映画を見ている観客など、「こちら側」を見せる演出が多いです。

シンジ「わからない。現実がよくわからないんだ」
レイ「他人の現実と自分の真実との溝が正確に把握できないのね」

レイ「虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね」
シンジ「僕ひとりの夢を見ちゃいけないのか?」
レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ」
(『まごころを、君に』より)

エヴァに熱狂していた人達に、冷水をぶっかけるがごとき演出がバンバン入っています。
延々とアスカ・レイ・ミサトが「嫌い」「身の程わきまえなさいよ」「さっさと死んじゃえば?」「苦手というより一番キライなタイプなのよ」「はっきり言って迷惑なの」と、こだまのように言い続けるシーンは、未見の人には是非見て欲しい。
そして最後の「気持ち悪い」締め。

庵野秀明「オタクって自分の世界を大事にするんですよ。それが自分の世界だから。そういう人に世間を見ろと言っても、難しいんですよね。世間に染まったらそれはオタクではなくなってしまうし。だから自分の世界に固着してしまう。」「(ファンの言動を見ていると)どうも自分を見てるみたいな感じもあって、(攻撃的な発言を)言ってしまうんですね」
(『パラノ・エヴァンゲリオン』より)

上映後、論議をかもしたのは事実です。しかし現在結果として、この心をグサグサ刺す旧劇場版の内容が、さらにエヴァ熱を加速させました。
97年以降のインターネットの広がりで、怒りの爆発を表現した人、なおエヴァへの愛情が深まった人、さらに渇望してLAS(カップリングです)などの二次創作に流れた人が交流しやすくなりました。
インターネットの黎明と、エヴァ旧劇場版の公開タイミングは、偶然というにはあまりにもドンピシャなタイミングでした。

庵野秀明「当たるアニメなんてないですよ。当たったアニメがあるだけです。勝つは偶然、負けるは必然という言葉の通りだと思います。たまたまのもんでしょう。これが二年前だったらダメだったろうし、二年あとでもダメだっただろうと。」
(『パラノ・エヴァンゲリオン』より)

●旧劇場版の禅問答
旧劇場版でのシンジは、びっくりするほど何もしていません。
彼が自分からやったことは、「他人は自分と違っていいんだ」と認めたことくらいです。
あんまりにも不甲斐ないシンジ。アメリカでは「キライなアニメキャラワースト」として何度も名前があげられます。

シンジが「まごころを、君に」の中で「僕の相手をしてよ! 僕にかまってよ! アスカ助けてよ、僕を見捨てないで! 僕を殺さないで!」と喚き散らすシーンは、ある意味この作品のクライマックスです。
ひっどい情けないのですが、人間が抱える病理をむき出しにし、メタ的にキャラに投影させています。
対してレイ・ミサトは「そんなに辛かったら、もう止めてもいいのよ」「そんなにイヤだったら、もう逃げ出してもいいのよ」「私と一つになりたいんでしょ。身体を一つに重ねたいんでしょ」と言う。
そしてアスカは「でも、あなたとだけは、死んでもイヤ」と言う。「気持ち悪い」と言う。
この内なる声の禅問答の呪縛が、十数年続いて「新劇場版:Q」に至るのですから恐ろしい。

エヴァ禅問答は多くの人がネタにしています。
中でも綾波レイに深く傾倒していた作家・滝本竜彦は『超人計画』で、自分が脳内彼女・レイと対話する形式のエッセイを書いています。

「『意志を放棄し努力をやめて、楽なほう楽なほうに流れていく浅ましい動物人間に成り下がってはダメ、ゼッタイ。きっとどこかに突破口があるはずだから……』
おそらくレイは、自分のセリフを信じていない。
私を説得できるとも思ってはいない。
だからその呟きは祈りなのだ。私もレイの胸にすがりつき祈った。」
(『超人計画』より)

笑い話的に書かれたエッセイです。でも真摯すぎて笑えない。心のなかにレイがいた人は少なくないのだもの。
旧劇場版を見て「こんなこともあったなあ」と思えるか、はたまたかつての「エヴァは僕の・私の心だったんだ」が蘇ってしまうか。
ぼくは未だに脳内アスカが叱咤してくれる幻影を見て生きながらえている人間なので、旧劇場版を見る度にオエってなります。
ああ、アスカ、僕をかまってよ!
……破とQも楽しみですね。

『劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に』 [DVD]
『スキゾ・エヴァンゲリオン』
『パラノ・エヴァンゲリオン』
滝本竜彦『超人計画』

(たまごまご)