『叱られる力』(文藝春秋)

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 阿川佐和子氏の『叱られる力』(文藝春秋)が売れている。キャッチコピーは「叱られて、叱ってわかることはたくさんある」。前著の『聞く力』は150万部を突破し、2012年の年間ベストセラーに輝いた。第二弾にあたる本著も、年間ベストセラー入りは確実だろう。

 しかし、この本、読んでいくとちょっと引っかかる。ある一定の読者層に向けて書かれている感じがするのだ。その対象とは、中高年(の、特に男性)。中高年男性にとことん優しく、気持ちよくしてくれる──まるでポルノ小説のように。

『叱られる力』は「どうやったら叱られる力がつくのか?」「叱られる力とはなにか?」について説明するような自己啓発本ではない。阿川氏の経験に基づいたエッセイだ。「叱り」「叱られる」に関するエピソードが入り混じって展開している。

 阿川氏の周囲の編集者や友人が「叱られ慣れていない若者」に衝撃を受け、「私たちの若いころはこうだったのにね......」と語り合う一方で、小説家・評論家である父親の阿川弘之に叱られ続けた思い出が綴られる。


■「若者は叱られ慣れていない!」噴出する不満
 本著では、「叱られ慣れていない若者」たちのエピソードが次々に紹介される。

 できていないことを叱られて、「できないって言えなかったんです。わからないって言えなかったんです。何がわからないか、わからなかったから」と泣き出す後輩社員。

 一度も怒られた経験がなかったので、びっくりして涙を流してしまった新人女性部員。

 注意されて唖然としながら「僕、生まれて初めて怒られました」と呟く男性社員。

 叱られて出社拒否、辞表提出、エトセトラエトセトラ。

「それ(人見知り)って、甘えなんじゃないの?」「どうもこの頃、電話の応対のなってない若者が多すぎると思わない?」「今の若い人たちの声が小さくて舌足らず」「(叱りつけると)オオカミに出くわした赤ずきんちゃんのように怯える」などなどの言葉も飛び出す。

 阿川氏と周囲の人々は困り果てながら「いまどきは、家庭でも学校でも叱られずに育っている人が増えているんでしょうか」「そんなに親も先生も優しいんですね」とぼやく。

 もちろん、文句をつけっぱなしではない。「上手な叱り方と上手な叱られ方を忘れてしまったのかも」として、「借りてきた猫の法則」「飲み会でのコミュニケーション」といった「うまい叱り方」を提案している。

 ただし、「叱られ慣れていない若者」の姿は、伝聞でしか見えてこない。「なぜ叱られるのが苦手なのか?」「どのように叱られたいと思っているのか?」といった「叱られる側」の声がないのだ。「叱る側」の推測は載せているものの、実際どうなのかは直接聞かずにあっさりと終わらせる。阿川氏は「聞く」ことのプロフェッショナルであるはずなのに、「若者に聞く」という選択肢はなかったようだ。

 また、「そもそも若者を叱らなかった『親』や『先生』って自分たちの世代じゃないの?」という問題提起も存在しない。

■「叱るのはあなたのため」?
 もちろん、若者への説教一辺倒ではない。阿川氏が叱られた話も紹介されている。しかし、どのエピソードも、結局は「若いころにこれだけ叱られて失敗できたから今の自分がある」を導くもの。理不尽に叱られたり怒鳴られたりすることを「つらかった」とは言っているものの、肯定的にとらえているのがわかる。

 これは「叱る世代」の願望だろう。今は厳しく(時には理不尽に)叱り怒鳴りつけても、それは相手を思ってのこと。いつかはわかってくれて、感謝する日が来てほしい......。

「叱ると怒るは違う」「あなたのためを思って叱るんだ」「叱られなくなったら終わり」。

 これらの言葉は事実だ。けれどその境界はあいまいで、言い方や関係性で受け取り方は大きく変わる。

 たまに飲食店で従業員に怒鳴りつける人を見ることがある。「飲み物の提供が遅い」「オーダーを間違えている」といった内容で、指摘としてはもっともだ。その苦情を訴えることで、サービスが向上することもあるかもしれない。しかし、何もそんな言い方をしなくても......と思ってしまうことも多い。

 最近インターネットで話題になった日記で、「15分間の罵倒」というものがある(あまりの反響に、作者はブログを削除してしまった)。コンビニで働いている1991年生まれの女性が、ゴルフ便を頼みに来る常連の「私のお父さんぐらいの年齢の男性で、それなりにいい会社のサラリーマン」に15分間罵倒され続ける、という内容だ。要求のないただの罵倒に彼女は耐えて、男性客は帰っていった。

「叱る」行為の難しさは、「相手のために叱る」と「理不尽に怒る」がグラデーションになっているところにある。どこからがどう、とはっきり線引きすることができない。

 しかし本著では、叱る行為のプラス面だけが取り上げられている。マイナス面にふれていない本著の構成は、叱る世代にとっては気持ちのいいものだろう。パワハラやセクハラ問題については、深刻に触れられることはない。

 阿川氏のまわりは、男性社会で勝ち抜いてきたいわゆる「成功者」ばかりだ。叱られることでスポイルされたり、病んでしまったりした人は、彼女の視界には入らないのかもしれない。

■「良い娘」阿川佐和子
 本著の三分の一は、父親とのエピソードで占められている。父親は頑固で偏屈。理不尽な怒りを爆発させる。

 レストランから出て「寒い!」と思わず言ってしまったことで、父親が激怒。車で移動中、娘に対して怒鳴り続ける。不機嫌に問われた「何が悪いかわかったか?」に対して、阿川氏は泣きながらこう答える。「うん。サワコが悪かった」そうすると父は優しい声になり、怒りが収まる。

 こうした父の怒りに何度もあった阿川氏は成長するにつれ、「父をできるかぎり刺激しないように生きていたい」と思うようになる(もちろん、それでもふとしたきっかけで怒られてしまう)。言い方は悪いが、夫のDVに怯える妻のようだ。

 そんな恐ろしいはずの父を、阿川氏は嫌うことはない。反発を覚えたり怯えたりしながらも、距離はとらない。友だちに泣きついたり、自分の身の上を嘆いたりはするが、「こんなに怒鳴られているのだから、きっと私は強くなっているはず」と殊勝な面を見せる。

 阿川氏と父との交流は、現在も続いている。老いた父に、大人になった娘。父の性格は変わらないが、娘は父をうまく怒らせないコミュニケーションの取り方を心得ている。優しく語りかけ「ようやく『怖い存在』への余裕ある対処法を少しだけ身につけた気が」すると結んでいる。

 思春期には大なり小なりぶつかりつつも、最終的には父のことを大事にして、コミュニケーションを絶やさない娘。父親とほぼ縁が切れている私からすると、ちょっと近すぎると思うほどだ。2人の関係は客観的に見て「ケンカするほど仲がいい」親子になっているし、見る人が見れば一周まわった「ファザコン」にも映る。

 思春期を期に、コミュニケーションが断絶する父娘は多いという。そうした「父親」世代にとって、阿川氏は「理想の娘」だ。「今は自分のことをわかってくれなくても、(阿川氏のように)いつかはわかってくれる」と希望が持てるかもしれない。

 振り返ってみると、阿川氏の「叱られ」エピソードは、ほとんどが父親くらいの年齢の男性から受けたものだ。「良い娘」阿川佐和子は、父を上回るくらいの上司の怒鳴り声に耐え、毎日泣きながらも食らいつき、反省し成長する。阿川氏の「叱られる力」は、「叱る側の父親世代に愛される力」なのだろう。

 やはり本著は、「叱り世代」「父親世代」である中高年を、ポルノ小説ばりにとことん気持ちよくしてくれるものだ。「叱る側のこういうところが悪い」「若者はこんな考えを持っているのか」といった不安や動揺を誘う要素はなく、飲み会で交わされるような若者に対するぼやきや、「昔はよかった」という思いも共有できる。

 本著は、「叱られる力」とは題されているが、実は「叱られる世代」に向けては書かれていない。文春新書の読者層を考えればごく当たり前のマーケティングで、だからこそ大ベストセラーになるのかもしれない。
(青柳美帆子)