『ドラえもん(感動編)』 (小学館コロコロ文庫)

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 昨日、お送りした国民的アイドルキャラクター『ドラえもん』の黒歴史。前編では、"日テレ版ドラえもん"ことテレビアニメ『ドラえもん』の第一シリーズが、藤子・F・不二雄の意志によって封印されていることを、安藤健二氏のルポ『封印作品の憂鬱』(洋泉社)をもとにお伝えした。後半である今回は、『ドラえもん』こそが藤子不二雄の解散劇を招いた、という噂について紹介しよう。

 まず、藤子不二雄が突如「解散」を発表し、世間を驚かせたのは1987年のことだった。ご存じの通り、藤子不二雄というのは藤本弘氏(藤子・F・不二雄)と安孫子素雄氏(藤子不二雄Ⓐ)のユニット名で、デビュー時の足塚不二雄(名字は尊敬する手塚治虫の名から「手塚の足下にもおよばない」という意味で付けたもの)などを経て、53年から名乗っていた。藤子不二雄Ⓐによる名著『まんが道』(中公文庫)にも詳しいが、そもそも2人は小学校からの付き合い。互いにアイデアを出し合い、ときに刺激し合い、2人で"マンガ家になる"というひとつの夢を追いかけてきた仲である。

 解散発表の際は、その理由を「私たちはお互い50ン才。もうあんまりアトがありません。新しい展開としてそれぞれがやりたいことをやってみるのも面白いんじゃないかと思ったわけです」と述べ、そのほかのインタビューでも"喧嘩別れしたわけではなく、自分たちの個性を尊重するためにコンビを解消した"ことを強調していた藤本氏と安孫子氏。だが、安藤氏の著書『封印作品の闇』(だいわ文庫)によると、これはあくまで表向きで、じつは解散にいたったのには別の理由があったのだという。それはずばり、2人の"収入格差"問題だ。

 もともと藤本氏と安孫子氏がコンビを組んでいたときには、藤子不二雄として得た収入を折半していた。たしかにコンビ時の長者番付を見ると、その納税額はほぼ同じ。が、コンビを解消した2年後以降の長者番付を見ると、藤本氏のほうが"圧倒的に"納税額が多い。安藤氏の取材でも、複数の関係者が「八〇年代の『ドラえもん』の大ヒットで、はたから見て稼いでいるのは藤本先生だというのは明らかになっていました」と口を揃えたという。

 しかし、それまで折半でやってきたにもかかわらず、なぜ突然、収入が問題となったのか。引き金となったのは、藤本氏の体調問題だ。コンビを解消する直前に藤本氏は胃潰瘍の手術を受け、「その後も肝臓を悪くして通院」していたのである。藤子不二雄の2人とトキワ荘時代からの知人で、赤塚不二夫のブレーンを務めていたマンガ家・マンガ評論家の長谷邦夫氏は、『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)にこう書いている。

「重病を抱えた藤本は自分の死を考えれば、これまでのような二人でほぼ五〇%分割に近い著作権料のままでは、藤本家全体が承服できることではないと思ったのだろう。(中略)彼ら二人っきりだったら、友情という絆だけで、どのようにも分割できる。しかし、二人にはすでに家族が存在する。後にトラブルを起こさないよう、明確に分離しておかねばならない。子供時代よりの美しい絆も、現実の前にはかくもはかないものに変わらざるを得なかったのだ」

 もちろん、解散理由にはさらなる深い問題も絡んでいたようだ。安藤氏が『封印作品の闇』でテーマにしているのは2人の解散理由ではなく、2人の合作となっている『オバケのQ太郎』が絶版状態で復刊されない理由なのだが、その封印の真相を、小学館の元幹部はこのように証言している。

「藤本先生の側の許可がどうしても出ない。未亡人の藤本正子さんの許可が下りないんだ」
「これは私の推測だが、安孫子先生のお姉さんで藤子スタジオ社長の松野喜多枝さんと、交渉したくないというのも、あったんだと思う。二人の間には、藤子不二雄がコンビを解消したときからの因縁があるんだ」
「(コンビ解消の理由は)松野さんの存在が大きかったはずだ。彼女が藤子スタジオのマネージャーになったのは、『ドラえもん』の連載の途中からだったと記憶している。それまでは、藤本先生とも安孫子先生とも、直接打ち合わせできていたが、その後は必ず松野さんを通さないとできなくなった。(中略)松野さんが自分の弟である安孫子先生に、スタジオの軸足を移そうとしたのかはわからないが、スタジオ内でのパワーバランスが崩れてきたような話は聞いたことがある」(同書より)

 この合作『オバQ』は、09年に発刊された『藤子・F・不二雄大全集』に収録され、20年以上にわたる封印が解かれた。よって、封印の理由と見られていた"家族同士の問題"はすでに解決したということなのかもしれない。だが、収入格差による家族同士のトラブルを懸念し、長年のコンビを解消していたとなれば、その原因をつくったのは『ドラえもん』だということにもなるだろう。

 とはいえ、忘れてはいけないのは、『ドラえもん』は藤子氏と安孫子氏の友情があったからこそ誕生したということだ。安藤氏が「目頭が熱くなってしまった」という、2人の過去のやりとりを引用しよう。

安孫子「そういえば、ぼくらの漫画は、主人公二人っていうのが多いな。」
藤本 「『ドラえもんとのび太』『オバQと正ちゃん』......」
安孫子「やっぱり、何でも打ち明けられて、信頼し合えるっていう友だち関係は、すごく好きだなぁ。」
藤本 「ぼくたち同士、なが年の友だちだし、そういったことが自然に作品に反映されるのかもしれないね。」
安孫子「ジャイアンみたいないじめっ子だって友だちなんだというのっていいなあ、やっぱり。」
藤本 「これからも二人で一人、仲良く描き続けていきたいね。」
安孫子「楽しい漫画を力いっぱいいっしょうけんめい描こう!」
(『コロコロデラックス1 ドラえもん 藤子不二雄の世界』小学館/1978年)

 ──『ドラえもん』が不朽の名作となり得た裏側には、こうした藤本氏と安孫子氏の"唯一無二の輝かしい友情"がある。実際、安孫子氏は雑誌のインタビューで「(収入の問題で)トラブルは一切ありませんでした。(中略)二人とも漫画を描くことが大好きで、そのまま漫画家になった、という感じでプロの意識がなかった」(「アサヒ芸能」02年9月5日号)と答えているように、藤本氏と安孫子氏の2人のあいだでは"二人で一人、仲良く描き続けて"いただけなのだ。結果として家族を配慮する気持ちから解散してしまったと思われる2人だが、大人になってもこのような美しい関係を築けるとは、なんという奇跡だろう。

 藤子・F・不二雄生誕80周年記念として製作され、現在大ヒット中の映画『STAND BY ME ドラえもん』。ぜひこの機会に、『ドラえもん』裏ヒストリーともいえる2人の物語を触れてみてほしい。そこには、映画にも負けず劣らずの感動が待っているはずだ。
(水井多賀子)