この夏、ネトウヨに読ませたい三冊(1) 戦友を殺し、屍肉を食らう。それが戦場だ

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 69回目の敗戦記念日がめぐってくる。あたらしい戦争への準備が着々と進められている、この暑苦しい夏。「戦争」とはなにか、そのほんとうの姿を、読書によって知るにふさわしい季節だ。

 しかし、いまや戦争をめぐる本といえば、「右傾エンタメ」(©石田衣良)と侵略戦争正当化論や日本賛美本が出版界を席巻し、ベストセラーの上位を占めている。

 そして。派手で景気のいい戦闘シーンの合い間に、使命感や勇壮さに満ち、情愛あふれる人間関係が展開される世界が、戦争のイメージとして流布されている。

 日本軍は、愛する人のために自分を犠牲にすることをいとわず、勇壮で思いやりがあり、規律正しく戦った。こうした日本人の美しい心を破壊したのは、だらけた戦後の平和と民主主義だ。ああ、もう一度、戦争を起こして、美しい日本を取り戻したい。──おまえたちは、きっとこんなふうに、戦争への憧れを増幅させているんだろう。

 まったくの嘘っぱちだよ。そんな美化された戦争なんて、「右傾エンタメ」のなかにしか存在しない。

 戦争とはなにかを知りたければ、長い時間のなかで高い評価を得ているまともな文学作品がたくさんある。わが左巻き書店は本物の左巻きのための本を用意している本屋だが、この夏は特別に、おまえたちネトウヨが読むべき戦争小説3冊を揃えてやった。 
 戦争を賛美し、戦争を希求する者たちよ。おまえたちを、ほんとうの戦場に叩き込んでやろう。おら、この小説たちを読め。

 まずは『軍旗はためく下に』(中公文庫)、結城昌治の直木賞受賞作だ。結城は1952年実施の講和恩赦の事務に携わり膨大な軍法会議記録を読んだことを契機に、軍隊の暗部を知るところとなり、素材となる事件の取材を重ね、戦争の不条理をフィクションのかたちで告発した。全編に戦争の悲惨さと追い詰められた兵士の悲愴さが満ち満ちているが、中国戦線での一場面はこう描かれる。  
 
「日本軍が部落に着く頃は、住民はほとんど逃げたあとで、老人や幼い子供が残っているだけだ。兵隊は野獣に等しくなっている。飢を満たし、渇を癒し、女を見つければ強姦した。泣叫ぶ嬰児を、うるさいという理由だけで刺殺した兵隊もいた。あるいはまた、行軍の途中、通りかかった老人を敵の密偵に違いないと言い、追いかけて射殺した下士官もいた。彼らは単に獰猛だったのではない。心の奥底で、つねに何かを恐れ、気が狂いそうなほど怯えていたのだ」

 これだけで戦争とはどういうものか、その本質は充分に暴かれている。だが、戦争の惨酷とはもっと人間を暗い深淵へと突き落とすものであることを知らされるのが、次の証言だ。

「あるとき、海岸近くのジャングルで十人ほどが腹ぺこで屯していた。そこへA軍曹がふらっと現れ、野豚の肉と塩を交換しないかと言ってきた。...その連中は早速交換に応じ、その肉を水たきにして食った。」
 その後、下士官BがAを追跡したまま行方不明になった。
「Aは簡単に自白したそうですが、二度目の肉はBを射殺し、自分で食った余りだったらしい。そして最初の肉も上官を殺したものだということまで話しだした。」
 そして、この証言者はこう語り続ける。
「日本人同士でも、人間が人を食わない理由はありません。兵隊は飢えていたのです。頭がおかしくなって、泥土を食うほど飢えていました。モラルは人間のつくった幻想でしょう。しかしあの島では、あらゆる幻想が消えていた。野戦病院で見たある下士官は、生きた野鼠を、その粗い毛を吐き出しながら食っていた。...一本の小さな芋を争って殺された兵隊もいます。」

 戦友を殺して人肉を食うなんてあり得るはずがない!と否定したいだろ。だが、かわいそうだが、フジサンケイグループの反共オピニオン誌「正論」(産経新聞出版)でも戦時中の人肉食を認めてるぜ。「戦後、マニラ東方山地にこもった振武集団の参謀長だった少将が、集団で人肉を食べた兵たちを銃殺刑にした事実を暴露した。」(「正論」平成17年9月号。Web版「正論」でこの記事は今も読める)。

 登場人物が語っている通り、戦争はモラルという幻想を吹き飛ばし、人肉を食らうところまで人間性を破壊するものなのだ。それでも、信じないやつは、次回を読め。もっとおそろしい現実にたたきこんでやろう。
(左巻き書店店主・赤井 歪)

●左巻き書店とは......ものすごい勢いで左に巻いている店主が、ぬるい戦後民主主義ではなく本物の左翼思想を読者に知らしめたいと本サイト・リテラの片隅に設けた幻の書店である。