10周年を迎えたHumming Urban Stereo「Pizzicato Five 小西康陽さんとのDJイング、特別な思い出」

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2014年は渋谷系、ラウンジ・ミュージック、チルアウト風の楽曲が韓国で人気を集めてから10周年になる年だと見ても過言ではない。2003年、韓国風の渋谷系ミュージックを標榜したCaskerの1stアルバム「鉄甲惑星」がリリースされ、翌年にHumming Urban Stereoのデビューアルバム「Short Cake」、CLAZZIQUAI PROJECTの1stアルバム「instant pig」が相次いでリリースされた。Humming Urban Stereoの「サラダ記念日」「ハワイアン・カップル」、CLAZZIQUAI PROJECTの「Sweety」、Caskerの「猫と私」のような曲は、従来の音楽界で見られなかった新しいスタイルの歌詞であったにもかかわらず、大衆は素早く受け入れた。そして、Humming Urban Stereoの「イチゴキャラメル」のようなソフトで甘い曲は、当時のモダンな女性たちの賛歌になった。

女性たちがあんなにHumming Urban Stereo(イ・ジリンのソロプロジェクト)の曲に夢中になった理由は何だろう?洗練されたリズムとメロディー?楽しいサウンド?食べ物の名前をタイトルにするセンス?それよりもたぶん、Humming Urban Stereoの曲自体が自身たちが聞きたい音楽であると同時に、誰かに聞かせたい音楽だったからであるだろう。デビュー10周年を迎えてスペシャルアルバム「REFORM」をリリースしたHumming Urban Stereoと会った。

―所属事務所が“Waltz Sofa”と書いてある。「Waltz Sofa」はHumming Urban Stereoのアルバムごとにそれぞれ異なるバージョンで収録された曲のタイトルでもある。この単語はどうやって作ったのか?

イ・ジリン:Humming Urban Stereoの初期に、親しいミュージシャンやデザイナーたちとの集まりで使った名前だったが、今は僕の独立的なレーベルの名前として使っている。デビュー当初にインタビューをする時、僕が自分の音楽を説明しながら渋谷系、ラウンジ、チルアウトという単語を使うと「それって何ですか?」という答えがよく返ってきた。それで、簡単に説明する方法を悩んでいるうちに「Waltz Sofa」という単語が思い浮かんだ。僕の音楽はフロアでダンスを踊りながら楽しむよりは、ソファーで横になってリラックスしたり、リズムに乗って肩を動かしながら聴く音楽に近いという話をしているうちに自然に作られた単語だ。

―2004年、「Short Cake」を発表してから10年が経った。感想は?

イ・ジリン:20代の僕は「果たして30代になっても曲を書き続けられるだろうか?」とたまに考えた。後にアイデアが枯渇するかもしれないから、今着実に曲を書いておこうとも考えた。だが、今は皮肉にも20代の頃に作っておいた曲をあまり好まないようになった。実はミュージシャンにとって10年はそんなに長い歳月ではない。大したことでもないから大げさにしたくなかったが、僕自身の中には自らよくやったと励ましたい気持ちがあったようだ。それで、10周年記念アルバム「REFORM」を作ることになった。

―電子音楽ではリミックスの作業が一般的だ。だが、今回のアルバムはリミックスではなく、最初から曲を新たに作り直した“リフォーム”だ。

イ・ジリン:最初に意図したことよりも作業が大きくなった。最初はアルバム全体を自分で作るつもりではなかった。例えば「ハワイアン・カップル」のような曲は僕の体と心にあまりにも深く刻み込まれているから、他の人に違う感じで作ってほしかった。それで、周りの友達や海外の作曲家にリフォームを頼もうと色々探した。でも、オリジナル曲のイメージが強いせいか、周りの友達は曲のリフォームに負担を感じて、海外の作曲家はこの曲をトラップ(trap:ヒップホップの下位のジャンル)ジャンルにしようとした。それで試案を受けたが、曲とはあまり似合わないと思って結局、自分でやった。リフォームをしても従来の曲と最小限の共通点は必要だと思ったからだ。リフォームの作業だから僕はオリジナル曲から和声を引き出してそれを変形した。オリジナル曲よりもっと素敵な楽曲を作ろうとは最初から思わなかった。その代わり、オリジナル曲と似たようで似ていないように変えようと努力した。

―原曲はエレクトロニカだったのにディスコになった曲があるし、その逆になった曲もある。全般的にバンドスタイルの編曲が強くなった。

イ・ジリン:「Scully Doesn't Know」はディスコの感じにしたし、「Insomnia」はアコースティック風にアレンジした。

―ボーカルも変わった。G.NA、NSユンジ、Brown Eyed Girls ナルシャなどセクシーな女性歌手が大勢参加した。作業はどうだったのか?(この質問はマネージャーが代わりに答えた)

マネージャー:今回のアルバムはただ“リフォーム”だけしようと思ったわけではない。個人的にはHumming Urban Stereoの音楽は可愛くてソフトで甘い曲だけであるという大衆の固定観念を破ってみようとした。実はHumming Urban Stereoは今まで多様なスタイルの電子音楽をやってきたが、大衆は初期のヒット曲だけ覚えている。それで、大衆がよく知っているその初期のヒット曲をこれから見せたい音楽スタイルに変えてみようと考えた。そして、そんな編曲から来る不慣れな感じを和らげるために聞き慣れたボーカルを探した。でも、反応を見たらファンは依然として原曲への愛情の方が大きいようだ。

―アルバムを聞いて、NSユンジが意外とHumming Urban Stereoの曲とよく似合うと思った。

イ・ジリン:NSユンジは思った以上に一番上手く歌を歌ってくれたボーカルだ。NSユンジの「愛」という曲を聞いて、彼女が持つ音色が気に入った。非常に上手く歌ってくれて作業が早く終わった。

―Humming Urban Stereoの音楽はジャンルの特性上、ボーカルが目立たず音楽自体と調和をなすことが重要だ。つまり、歌手として個性的に歌を歌うのではなく、楽器の一部としてドライに歌を歌う必要がある。

イ・ジリン:僕は録音する時にボーカルが持った固有のグルーヴを排除する。僕が曲を書く時にバックの音程をベンディングして歌うように意図した部分では、歌手が無条件にベンディングして歌わなければならない。もしその曲を歌う歌手が前の部分にテンションを与えて歌い上げるスタイルだとしても例外はない。僕の作業ではボーカルのグルーヴよりもトーンや発声のニュアンスを重視する。それは僕がボーカルを選ぶ重要な基準だ。

―これまでシナエ、イ・ジンファ、yozoh、タル、D'SoundのボーカルSimoneなどをはじめ、ユ・インナ、チェ・ガンヒ、Lady Jane、As One、WAXなど多くの女性ボーカルと作業してきた。一番記憶に残るボーカルは?

イ・ジリン:(イ・)ジンファが一番記憶に残っている。ジンファには初めて“Humming Girl”というニックネームをつけたし、歴代ボーカルの中で一番仲が良くて多くの共感を交わしたボーカルだ。もちろん音楽というのは親しいからといっていい仕上がりになる訳ではないが、僕が初めて音楽を始めた時、親しい関係じゃないと手伝ってもらえることが難しい状況だったにもかかわらず、僕を信じて一緒に作業してくれたことが本当にありがたい。

―Humming Urban Stereoの10年は、一般歌手の10年とは違うと思う。Humming Urban Stereo、Casker、CLAZZIQUAI PROJECTなどが登場する以前にも、少数のマニアの間でPizzicato Five、Fantastic Plastic Machineなどの渋谷系ミュージックを聞く動きはもちろんあった。でも、そのようなジャンルは音楽界で大きな流行とならなかった。そして、Humming Urban Stereoなどを起点にして音楽界のトレンドに渋谷系スタイルが流行し始めた。このような影響力は十分記念すべきだと思うが。

イ・ジリン:ここ10年間を振り返ってみたら、Pizzicato Fiveの小西(康陽)さんと一緒にDJイング(DJに英語の現在進行形「〜ing」をつけた言葉で、DJのあらゆる行動を意味する)をやったことが本当に特別な思い出だ。また、ユン・サン先輩にお会いしたことも素敵な経験だった。そのようなことが本当に幸せだった。「Short Cake」のアルバムを準備する時は、Caskerの(イ・)ジュノ兄さんが色んなことを手伝ってくれた。その時はこんな音楽をやる人がいなかったから、人に学ぶことができなかった。YouTubeや関連書籍もなかった。ただ一人でずっと調べてやるしかなかった。そんな時、ジュノ兄さんの作業室に行って兄さんが作業するのを肩越しに見ながらたくさん学んだ。

―初のアルバム「Short Cake」はどうやって作ることになったのか?

イ・ジリン:2003年に初めてMIDI(デジタル化されたシンセサイザーやその周辺機器などを連動させて演奏するための統一規格)を触った。もともとはバンドをやっていたが、大人数でやる作業が僕には容易ではなかった。でも、MIDIは一人でできるのが好きだった。人と言い争う必要がないからだ。それで、アルバイトをしながら時間があるたびに作業したが、それがすごく面白くて寝る時間がもったいないぐらいだった。アルバイトを辞めて作業に没頭して5曲を作った。そうやって完成したCDをどうしようか悩んでいる時に、周りの人が委託販売ということを教えてくれた。当時はまだレコードショップが多かったので、委託販売してみようと思って弘大(ホンデ)にあるショップを回った。その時、唯一僕のCDを聞いてみると言ってくれた人がHYANGミュージックのキム・ゴンヒル社長だ。社長は音楽を聞いた後、持ってきたCD全部が欲しいとおっしゃった。本当にとても感謝した。

―そして、徐々に口コミで知られるようになった。

イ・ジリン:当時、シン・ヘチョル先輩が進行していたラジオ番組「GHOST NATION」では、毎週インディーズチャートを放送していた。そしてある日、友達が僕の音楽が「GHOST NATION」で流れたと教えてくれた。僕の歌は最初、インディーズチャートで20位を記録した後、徐々に上がって4週間1位を獲得した。すると、「GHOST NATION」の作家から出演してほしいという連絡が来て、突然番組デビューをすることになった。番組に出演した後、CDはすぐに完売し、色んなところから公演の出演オファーが入ってきた。本当に嬉しかった。当時、友達と車を借りて釜山(プサン)に公演しに行って、海を見たりした。Humming Urban Stereoが好きな人がいるということがとても不思議で幸せだった。

―多くの企画事務所からラブコールが来たと思う。

イ・ジリン:僕はTOY、015Bなどのようにゲストボーカルと一緒に活動する仕組みだったのに、大型事務所では女性のメインボーカルと一緒にチームを組むことを望んだ。そんな時、そんな条件なしに契約してくれた会社がパステル・ミュージックだった。パステル・ミュージックに訪れた時、輸入CDをたくさんもらった。それで、ここと契約したら聞きたい海外のアルバムを存分に聞けると思った。本当に純粋だった。ハハハ。

―Humming Urban Stereoは女性ファンの間で人気がすごかった。

イ・ジリン:愛されることは本当に気分が良かった。ハハ。初の単独公演を2005年に弘大駅の近くにあるサウンド・ホリックで開催した。初公演だったのにチケットがほぼ売り切れた。あの時来た友達全員が口を揃えて「本当にきれいな女性が多い」と話した。それで公演中に見ると、観客が本当にとてもきれいな方ばかりだった。僕も驚いて、所属事務所も驚いた。

―自身の10年間の音楽を振り返ってみると?

イ・ジリン:初期の音楽はソフトな方だった。ソフトで甘いイチゴキャラメルのような感じがしたといえるだろう。男たちは嫌いな音楽だった。ハハ。でも、ある瞬間からそのような音楽が退屈になった。「ハワイアン・カップル」がヒットすると、周りから似たような曲を書いてほしいという要請が殺到した。アルバイトで「ハワイアン・カップル」の亜流作のような曲を書き続けているうちに、とても苦しくなった。それで、そのようなスタイルから徐々に離れるようになった。もちろん、そのカラーを僕の音楽から消すことはできない。僕が違う人になることはできないからだ。その後は音楽がだんだんファンキーな感じになった。歌詞も成熟して、ますますいやらしくなった。最近やっている作業の中ではセックスアピールする歌詞がある。

―セックスアピールする歌詞を書く理由は?

イ・ジリン:書くのが一番簡単だからだ。ハハハ!すらすら出てくる。今は「ハワイアン・カップル」のような歌詞を書こうとしても簡単に出てこないと思う。もともと「ハワイアン・カップル」はアルバムに収録する予定じゃなかった。実はその曲はいたずらで作った曲だった。それなのに、パステル・ミュージックのイ・ウンミン代表がその曲が一番いいから2ndアルバム「Purple Drop」に収録しようと話した。それで、僕は絶対その曲をタイトル曲にはしないと意地を張った。だが、その時のタイトル曲は放送禁止になったのに、「ハワイアン・カップル」は映画で女優イ・ヨニさんが歌ったり、CMに挿入されて有名になった。その後、僕は3rdアルバムが出た後も「ハワイアン・カップル」を歌わなければならなかった。

―最近はどんな音楽を好んで聞いているのか?

イ・ジリン:最近、マイケル・ジャクソンのニューアルバムとカナダのデュオChromeo(クローメオ)のアルバムを注文した。あ、それからこの間、チボ・マットのニューアルバムが出た!まだ活動していることに驚いたが、以前のスタイルを維持していてとても嬉しかった。

―今後の計画は?

イ・ジリン:ここ10年間、Humming Urban Stereo以外の外部作業を行った曲を集めて新曲と一緒にアルバムで出す予定だ。フルアルバムも順次リリースするつもりだ。次に出る5thアルバムは、僕がより好きなスタイルになると思う。