「ラクで楽しいことから一歩踏み出さないとね」。スターとそれ以外を分けるもの
 第86回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画『バックコーラスの歌姫たち』が7月9日にDVDでリリースされました。

 1960年代から70年代のロック、ポップス、ソウルの名盤でバックコーラスとして楽曲に彩りを与えてきた歌い手たちにスポットが当てられており、当時のアーカイブ映像や現在の演奏シーンなども多く盛り込まれ90分があっという間に過ぎてしまいます。

◆実力も情熱もある、でもスターにはなれない

 映画『ホーム・アローン2』の主題歌「ひとりぼっちのクリスマス」で知られるダーレン・ラヴ。ローリング・ストーンズの名曲「ギミー・シェルター」で主役のミック・ジャガーを食ってしまうほどの迫力ある歌を聴かせたメリー・クレイトン。新しいところでは、『THIS IS IT』でマイケル・ジャクソンと堂々と渡り合う姿が印象的だったジュディス・ヒルといった面々が登場し、彼女たちの功績や仕事にまつわる苦悩が語られていきます。

⇒【YouTube】12月14日公開!映画「バックコーラスの歌姫たち」予告編」 http://youtu.be/aDoHEkG1CIY

 しかしこの映画の原題は『20 FEET FROM STARDOM』。彼女たちが決してスターではないことも同時に示しています。歌の実力は折り紙付きで、音楽への情熱に溢れている。なのにどうしても埋められない“20フィート”の距離。その決定的な差は何なのか。

 それをブルース・スプリングスティーンやスティング、スティービー・ワンダーといった正真正銘のスターたちが語っていくシーンが本作のハイライトの一つでもあります。

⇒【YouTube】Darlene Love and Merry Clayton 「Lean on me」 http://youtu.be/BS1oVW3E1uk

◆上手さでは語れないメアリー・J・ブライジの迫力

 ところでこの映画を観ている最中、ずっと一人の歌い手のことが頭から離れませんでした。スターになれなかった歌い手がいるのならば、バックコーラスが務まらないシンガーもいるだろう。

 それがメアリー・J・ブライジでした。彼女がバックコーラスで流麗なハーモニーを付けている姿が全く想像できない。そもそも技術的な引き出しの数は『バックコーラスの歌姫たち』に登場する玄人のシンガーたちとは比べ物にならないほどに乏しい。

 それでもメアリー・Jは、板の中央に君臨し続けます。歌がフラットしようがシャープしようがおかまいなしです。しかしその歌には、人の神経を逆撫でするようなトゲがあります。聴き手の気持ちを不安にさせ、怒りを呼び起こすような暗い力がある。そんな邪気に似た覇気は、軽いポップソングを歌ったところで簡単に消えるものではありません。

 メアリー・J・ブライジの新作『Think Like A Man Too』のリードトラック「A Night To Remember」は80年代前半に活躍したアメリカの黒人グループ・シャラマーのカバー。というよりも、完コピと言った方がいいでしょう。キーも同じならば、バックトラックからアレンジ、ボーカルのメロディラインに至るまで同時に再生したら区別がつかないほどにいっしょです。

⇒【YouTube】Mary J.Blige 「A night to remember」 http://youtu.be/W_v0dnSK4KY

 ただ一つ違うのは、メアリー・Jの歌のすみずみに音楽からはみ出る瞬間があることです。曲を壊しかねない力とでも言えばよいのでしょうか。たとえばメロディのしっぽで不安定なフェイクが入ったり、まだ頭の中で構成が定まっていないアドリブが繰り広げられたりすると、このウェルメイドなポップソングが途端に不穏なものになるのです。

◆音程が怪しくても声が潰れてもひるまない

 そんな彼女の音楽に歯向かう力を最大限まで引き出したのが、エルトン・ジョンでした。2000年10月20、21日の2日間に渡ってマディソンスクエアガーデンで行われたライブに招かれたメアリー・Jがエルトンとデュエットした曲が「ブルースはお好き?」。

 男性のキーのまま、低いメロディラインを苦しそうに歌っていた彼女が堰を切ったようにオクターブを上げてシャウトし始める3度目のブリッジからコーラスまでの経過は壮絶です。

⇒【YouTube】Elton John & Mary J.Blige 「I guess that’s why they call it the blues」 http://youtu.be/6c7xn3zG0iA

 声はほとんど割れていて、それが正当な発声法によらないことは明らかです。オクターブを上げたことでメロディラインが飛ぶと、頼れるものは汚い声に技術と準備の足りていないフェイクのみ。しかしメアリー・J・ブライジは、ひるみません。音程が怪しかろうが声が潰れそうになろうが、その晩最もデカい声で歌い切りました。

 結果、「ブルースはお好き?」という曲は壊れました。しかし、その壊し方が美しかった。壊すと決めたその瞬間に変わった彼女の顔色が凛々しかった。歌い終えたメアリー・Jは泣いていました。

 チャカ・カーンはメアリー・J・ブライジについて、はっきり「下手」と語ったといいます。しかしもしかしたら下手であることが彼女を舞台の中央まで引きずり出したのかもしれません。

 ソロとして勝負するかバックコーラスとして楽しく音楽を作っていく道を選ぶかで迷っているジュディス・ヒルに対して、スティービー・ワンダーはこう言いました。

「ラクで楽しいことから一歩踏み出さないとね」

 この言葉が真実だとしたら、メアリー・J・ブライジは最初から何百歩も踏み出さざるを得なかった宿命を抱える歌い手に他なりません。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>