『眉村卓コレクション異世界篇I』出版芸術社
本書に収録された短編のうち「名残の雪」は、現在公開中の映画「幕末高校生」、1977年にNHKで放映されたドラマ「幕末未来人」の原案となった。「名残の雪」はこのほか、『思いあがりの夏』(角川文庫)や『虹の裏側』(出版芸術社)といった作品集に収められている。
なお、「幕末未来人」を含めNHKの少年ドラマシリーズの作品は、NHKにもマスターテープがほとんど残っていなかったが、ファン有志の地道な努力でいくつかが発掘され、DVD化もされた。

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先週末より映画「幕末高校生」が公開中だ。この映画の原型は、1994年にフジテレビで放送された同名のドラマである。今回の映画公開にあたり、この20年前のドラマ版「幕末高校生」を紹介しようと思ったのだが、あいにくDVDなどソフト化もオンデマンド配信もされていないようなので、断念した。これを機会に、フジテレビオンデマンドあたりでの配信を期待したいところだが。

その代わり、NHKオンデマンドでは現在、「幕末未来人」(全16回)というよく似たタイトルのドラマが配信されている。これも「幕末高校生」と同じく、高校生が幕末にタイムスリップするというお話だ。まあいずれも眉村卓の短編小説「名残の雪」(1974年発表。『思いあがりの夏』、『眉村卓コレクション異世界篇I』などに収録)を原案としているのだから、似ているのは当然である。この記事では、「幕末未来人」を、元になった「名残の雪」ともくらべながら紹介してみたい。

■名作ぞろい!「少年ドラマシリーズ」
「幕末未来人」は1977年、NHKの「少年ドラマシリーズ」の枠で放映された。このシリーズは1972年より始まったもので、その第1作「タイム・トラベラー」は、筒井康隆の『時をかける少女』を原作としている。のちに繰り返し映画化・ドラマ化された『時かけ』のこれが最初の映像化だった。

「タイム・トラベラー」は当時の中高生をとりこにした。とくにこのドラマに飛びついたのは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」などでSF的な嗜好性を培われた少年たちだったという(増山久明・片岡力「NHK少年ドラマシリーズとは何だったか」、『NHK少年ドラマシリーズのすべて』)。第1作の好評を受けて、シリーズではその後もSF作品が多数とりあげられた。眉村原作の「まぼろしのペンフレンド」(1974年放送)や「なぞの転校生」(1975年放送)、筒井原作の「七瀬ふたたび」(1979年放送)などはその代表例だ。いずれもファンに語り継がれている名作である。

ここにあげた作品が、いずれものちにリメイクされていることも特筆される。「なぞの転校生」はテレビ東京でのドラマ化が記憶に新しい。『時をかける少女』にしてもそうだが、少年ドラマシリーズは全体的に、原作のセレクトの確かさを感じさせる。「幕末未来人」の原作「名残の雪」もその例に漏れない。

「名残の雪」が繰り返し映像化されているのには、発想の卓抜さなど原作そのものの魅力によるところも大きいのだろう。ただし厳密にいえば、「幕末未来人」も「幕末高校生」も、眉村作品の扱いは「原作」ではなく「原案」ということになっている。これというのも、小説から設定のいくつかは用いつつも、物語そのものは大きく改変されているからだ。

■原案小説は入れ子構造
「幕末未来人」と「幕末高校生」でタイムスリップするのはいずれも高校生だ。対して「名残の雪」では、もう少し年長の男子大学生2人がタイムスリップする。それも彼らは作品の冒頭から出てこない。物語は、出版社が暴漢に襲われ、守衛が殺されるところから始まる。その守衛とタイムスリップがどうつながっていくのか、鍵を握るのは彼の遺した手記だ。生前に仲の良かった編集者は、守衛の妻から頼まれてその手記を読み始める。

この小説のキモの一つは、守衛による手記のパート(甲)と、その手記を読む編集者が語り手となるパート(乙)と、入れ子構造になっていることだ。じつはこの構造こそ、ラストでのどんでん返しの仕掛けになっていたりする。

どんなラストが待っているかは実際に読んでいただくとして、私が「名残の雪」で一番印象に残ったのは、タイムスリップした現代の学生が、新選組に入隊することで、生き甲斐を見出そうとするシーンだ。自分のいた日本はたしかに大国で、世界のなかでもきわめて恵まれた状態にあった。しかし、そのなかにいた自分たちは、本当に幸福で、生き甲斐を持っていたのか? 学生はそう自問自答を続ける。

《そうは思えない。何もかもがふやけ、シラけていたのではあるまいか? 早い話が、私自身、何の目標も持たず、ぶらぶらしていたのではないか? ぜいたくだという人もあるだろう。(中略)それが事実だとしても、私たちが不幸だったのに変わりはないのではあるまいか? 私はそう信じる。(中略)そして、その私たちの世界こそ、今の、これから変革されてゆく日本の、その到達点なのだ。(中略)あの日本を作り出す――それが、正義なのか?(中略)私はここで、あの日本が作られないほうへ力を貸すことだって出来るのだ。それがなぜ悪い? 違う日本ができるかも知れない、そのほうへ乗っても、いいのではないか?》

学生運動が激しかった時代はこれより少し前のこと。この頃には政治に無関心という若者も増え、「シラケ世代」などと呼ばれた。また高度成長を経て多くの日本人には、生活はたしかに豊かになったものの、精神的な充足にはまだほど遠いというのが実感だったはずだ。「名残の雪」には、そんな発表当時、1970年代の日本に対する痛烈な風刺が込められているようにも読める。

■SFにして時代劇でありながら青春ドラマ
そんな原案に対して、ドラマ「幕末高校生」の主人公たち――男子高校生の和田(星野利晴)と伊藤(沢村正一)は、けっしてシラケてはいない。ドラマは、神奈川県横須賀へ戦艦三笠を見に行った彼らが、船倉に迷い込み、幕末へとタイムスリップ(劇中での言葉でいえばタイムリープ)してしまうところから始まる。

和田は優等生タイプで、体力はないが英会話ができるし歴史にも妙にくわしい。一方、伊藤は熱血漢でスポーツマンタイプと、両者は対照的ながら相互補完的な関係にある。ドラマはそんな2人の関係を中心に進んでいく。ドラマ中盤には、原案と同じく伊藤が新選組に入隊、一方の和田は、新選組と敵対する長州の桂小五郎に接近し、2人にすれ違いが生じたりする。

原案にも登場する岡っ引きの仙吉は、ドラマでは隠密同心という役職に変わり、元クレージーキャッツの犬塚弘が演じている。犬塚扮する、べらんめえ口調できっぷのいい親分はいかにも頼もしい。少年たちの仇役となる浪士・樫岡を演じるのは、当時まだ一般的には無名だった蟹江敬三だが、そのヒールぶりはすでに堂に入っている。

さらに、女っ気がまったくない原案に対し、「幕末未来人」にはメインキャラとして2人の女性が登場する。流しの三味線弾きのたか(万里昌代)と、タバコ屋で働いていた謎の少女・ゆき(古手川祐子)だ。2人とも、少年たちが行動するうえで大きな役割を果たす。とくにゆきは、予知能力のようなものを発揮したりと、とにかくミステリアスで、最後までその正体が気にかかる。ちなみに古手川祐子はこれがドラマデビュー作だった。

原案の主人公は終始、孤独な印象があるが、ドラマの主人公たちは周囲の人と深くかかわり合う。設定はSFでありながら、厚い友情だの淡い恋だのを盛りこみ、ちゃんと青春ドラマになっている。脚本の蓬莱泰三は、同じくNHKの「中学生日記」や児童合唱の作詞(トラウマソングとして有名な「チコタン」の作詞もこの人)を手がけてきた人だけに、さすがにうまい。

ただ蓬莱は時代劇を書くのは初めてのうえ、撮影と並行して脚本の執筆を進めたので、あとからつじつまを合わせることも多かったという。脚本を読んだ友人からは「面白いけど、何で歴史が狂ってくるのかがわからん」と言われたとか(「特別座談会 帰ってきた『幕末未来人』」、『NHK少年ドラマシリーズのすべて』)。

劇中、生麦事件が史実より2日早く起きたときから、歴史が狂い始める。それがどうしてなのか、たしかにドラマのなかで説明は何もないが、私が観たかぎりさほど気にならなかった。理由については原案となった小説を読めばわかるので、補完は可能だ。

歴史改変に関して、原案では和田の持っていた歴史小辞典がちょっとした小道具として使われている。ドラマではこれが年表に変わり、ちょっとしたどころか、きわめて重要なツールとなって、物語後半をスリリングなものとしている。私はこの様子を見ていて、もし万が一自分が過去にタイムスリップしても、うかつに当時の人たちに歴史の知識を教えるものではないと、固く肝に銘じた。

「幕末未来人」の最終回では、ある人物が主人公たちに向かって「おまえたちは未来からの侵略者だ」と言い放つ。考えてみれば、上の世代からすると、無限の可能性を秘めた若者は誰でも“未来からの侵略者”だともいえる。いつの時代でも、ある種の大人たちは、そんな彼らの行く手を阻むことに余念がない。このドラマの終盤は、そんな大人たちに対する若者たちの抵抗劇とも受け取れる。

SFにして時代劇という設定ながら、現代の男子高校生の青春を描いた「青春未来人」と、1970年代当時の日本に疑問を呈した「名残の雪」と、それぞれに面白さがある。なお作者の眉村卓は、2012年に刊行された『眉村卓コレクション異世界篇I』の巻末で「名残の雪」について言及している。それによれば、この作品は発表後もできるならもっと書き足したいと思っていたのだが、いま書き直すとすれば根本的に構成を変えなければならないだろう、という。その理由として眉村があげるのは、国際競争で遅れつつあり、さらに災害により打撃を受けている日本の現状だ。そのうえで眉村は次のように結論づける。

《現代の視点で新しいものにしようとすれば、構図そのものからやり直さなければなるまい。だったら……これはこのままにしておくべきではあるまいか》

「名残の雪」という小説そのものに関しては、私も著者のこの意見に賛成だ。だが「構図そのものからやり直した」新たなバージョンもぜひ読んでみたいところではある。
(近藤正高)