日本サッカー協会の原博実専務理事

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 原博実専務理事(元兼技術委員長)が、ブラジルW杯の総括を行った。その席で、いの一番に出てきた反省点がコンディションの問題だった。

 ザックジャパンは、イトゥーというサンパウロ近郊の街をベースキャンプに選んだ。
 ブラジルは大きい。国土面積は日本の22.5倍もある。試合会場の気候も様々だ。真夏から晩秋までと幅広い。日本が試合をした3都市(レシーフェ、ナタウ、クイアバ)の気候はいずれも真夏。晩秋のイトゥーから足を運べば、そこには激しい気温差が待ち構えていた。試合の前日、そこまで長時間かけていくことが大変だった、と原さんは語った。

 アメリカ経由でブラジルに向かう前に行った指宿合宿についても触れた。そこで負荷を掛けすぎたため、大会初戦のコートジボワール戦に100%の状態で望めなかった、と。

 なるほど、と、つい納得したくなる。

 しかし、反省、検証するときに、コンディションの話は、一番言ってはならないことになる。言い訳として最もダメなモノ、許されないものになる。コンディションの問題は、サッカーというよりスポーツの基本、根幹に当たるだからだ。それを言っては何も始まらないのだ。

 思い出すのは、2006年ドイツW杯だ。ジーコジャパンはその初戦で豪州に1─3で敗れ、その瞬間、ベスト16への道が、ほぼ断たれることになった。そのサッカーの中身の話をしようとしたところ、ある人はこう言った。

「この敗戦は、コンディションの問題だから」

 開いた口が塞がらなかった。この人とはスポーツの話ができない。僕はそう直感した。コンディションの問題だから、何なのか。重要ではないのか。それさえ良ければ、勝てたと言いたいのか。

 4年間という膨大な歳月を費やし、膨大な経費も費やし、さあ今度こそはと強化に励んできたわけだ。そこで、コンディションを間違えると言うのは、何にも勝る大間抜け。大失態だ。スポーツマンとしても大失格。サッカーの中身で負けることより、遙かに恥じるべき醜態になる。もしそうだったとしても、絶対に口にすべきではない禁句になる。

 にもかかわらず、原さんは、サラッとそれを、しかも一番に触れた。

 コンディションの問題については、その数日、岡野俊一郎元サッカー協会会長がネットメディアで、同様の指摘をしていた。原さんの口から出たコメントは、それをイエスと同じ幅で認めたに過ぎない、ニュース価値の低いモノでもあった。そこにも僕は狡さを感じた。

 コンディションの問題は、反省点全体の半分近くを占めた。驚くべきは、自ら任命したザッケローニについての言及が、全くと言っていいほどなかったことだ。ザッケローニは、日本サッカー協会があるコンセプトに基づいて探した初めての監督だ。技術委員長の原さんは、攻撃的サッカーというコンセプトを示し、監督探しの先頭に立った人物だ。ザッケローニは、それなりの手順を踏んで辿り着いた人物なのだ。任命責任を取れ! と騒ぐ気はないが、いの一番にすべき検証は、自分が探し当てた人物が、この4年間に実戦したサッカーになる。

 原さんは、それには触れず、選手のプレイについていろいろ言及したが、その選手を選んだのはザッケローニだ。スタメンを組んだのもザッケローニ。布陣を決めたのもザッケローニ。W杯本大会に臨む23人名を決めたのもザッケローニだ。そしてザッケローニを選んだのは原さんだ。原さんが、何よりはじめに語るべきは、自分が見つけてきた監督についての話でなければならない。

 この会見では、新監督の名前も発表された。

「アギーレ監督は、オサスナをCL圏内に導き、サラゴサやエスパニョールを残留に導いた。優秀な選手を引き抜かれてもチームを立て直した実績がある。日本に適した監督だと思う」と、原さんは語ったが、この新監督もまた、原さんが見つけ出してきた人物なのである。もし4年先に行われるであろう総括で、アギーレ氏のサッカーについて触れなければ、それは総括とは言えないモノになる。

 原さんは自分が4年前に探し出したザッケローニという人物を、どう評価しているのか。それと新たに探し出したアギーレとは、どんな関連性があるのか。いまここで、ハッキリと口にする責任がある。

 そこのところを有耶無耶にすれば、4年後も日本サッカー界に幸は訪れない。ファンはそう信じるべきだと僕は思う。