『華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)』レイ・ブラッドベリ 早川書房

 SF史を飾る古典が、伊藤典夫の新訳によって鮮やかによみがえった。これほど人口に膾炙した作品を先入観なしに読めというのは無理な注文かもしれない。しかし、記憶や気持ちをできるだけリセットし、ブラッドベリの言葉と向きあうべきだ。彼が語る声に耳をすませよう。プロットだけ追うのではなく、内容だけ汲みとろうとするのではなく、文章の粒・リズム・感触を確かめる。そこに作品の命が宿っている。

 主人公のガイ・モンターグは、社会が禁じている本を所有者の家ごと焼却する昇火士(ファイアマン)だ。彼が生きている世界は黒、灰色、金属光沢で構成されている。色がないわけではないが、それは燃えたつ炎、もしくは冷たい電気の色だ。しかし、モンターグはある晩、隣家に越してきた娘クラリスに出会い、彼女によって世界にまったく別な系統の色彩がもたらされる。菫色の目、ピンクのバラ、黄色いタンポポ、茶色の牛。そしてなによりも印象的なのは、柔らかな白だ----ミルクのような白い顔、さやさやと鳴る白いドレス、静かに照らす月光。クラリスが喋り、クラリスが動くことで、作品空間に色が差される。

 色彩だけではない。ブラッドベリは五感によって多くを表現する。かすかな風の音、枯葉や杏の香り、イラクサが足裏にチクチク刺さる感触......。それらはただの形容ではない。むしろ、それが世界の本質だ。

 クラリスとの出会いをきっかけとして読書へ興味を持つようになったモンターグは、引退した大学教授フェーバーと知りあう。老教授は「書物には毛穴があり、その密度が高いほど、誠実に記された命の詳細な記録が得られる」と言う。凡庸な作家は表面をなでるだけだが、すぐれた作家は生きいきとした細部を語る。『華氏451度』もまた、生きいきとした細部(稠密な毛穴)を備えている。

 その細部は読者一人ひとりが実際にあたってこそ価値があるので、ここでくどくど論じるのは野暮というものだろう。しかし、もうひとつだけ。この物語の中でテクノロジーが生物として表現されており、それが世界に独特な調子をもたらしている。

 昇火士が焼却のためにケロシンを撒くホースは「蛇」、彼らが仕事に用いる特殊車両は「火竜」、本を秘匿している者を嗅ぎだす獰猛なロボットは「猟犬」、モンターグの妻が耽溺しているイアフォン型ラジオは「巻貝」、彼女が睡眠薬を飲みすぎたとき病院が派遣した便利屋が解毒に使った装置は「コブラ」......といった具合。この作品には、血の通った動物はほとんど登場せず、せいぜいクラリスの追想のなかだ。また、昇火士の仕事に疑問を抱くようになったモンターグは、フェーバーの知恵を借りて昇火局を出しぬこうと試みる。そのときに使う装置も生物になぞらえられている。超小型の双方向通信機の「蛾」だ。

 しかし「蛾」はあえなく見つかってしまい、モンターグは窮地に追いつめられる。そして、彼の前に立ちはだかる最大の敵というのが、モンターグよりもずっと本を読んでいる人物なのだ。この逆説こそが重要な読みどころだろう。この強敵は次々と書物からの引用を繰りだして、モンターグの意志を打ち崩そうとする。その一方で、この書物が禁忌となった社会がいかに成立したか(すなわち大半のひとは知るよしもない起源)を、過激な語調で、しかし明晰に説いていく。そのそぶりは、体制の正当性を主張しているというより、そこへ至る歴史のすべてを呪っているようである。この人物の存在が『華氏451度』の大きな謎であり、最後まで解消されぬままに残される。

 旧訳でこの作品を読んだひと、あるいはフランソワ・トリュフォー監督の映画「華氏451」を観たひとは、老婆が蔵書もろとも焼身自殺するシーンが忘れられないはずだ。あれは恐ろしい、鮮烈なイメージだった。しかし、この物語にはもうひとり焼死する人物がいるのを覚えているだろうか? ぼくはすっかり記憶から抜けおちていた。新訳版を読む際には、そこにも注目をなさるといい。なぜ、その男は死ななければならなかったのか?

 あと一カ所、重要な場面。こちらは穏やかなイメージだ。すべてを焼き尽くす火ではなく、それとは違う小さな火が見えるところがある。こちらもお見逃しなく。

(牧眞司)