『タイタス・アウェイクス (ゴーメンガースト4) (創元推理文庫)』マーヴィン・ピーク&メーヴ・ギルモア 東京創元社

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 マーヴィン・ピークが遺した《ゴーメンガースト》三部作を、夫人のメーヴ・ギルモアが書きついだ第四部。晩年のピークは体調が急速に悪化していくなか、主題リストをつくっており、本書はそれに基づいている。ピーク本人が書けば違った仕上がりになっただろうが、ギルモアの筆運びもみごとだ。滑らかな抑揚がある(あるいは翻訳者、井辻朱美さんの手柄というべきか)。

 もとの三部作には、画像的イマジネーションが横溢していた。ピークは挿絵画家としても一流で、それが文章表現にも反映されたのだろう。とくに開幕篇『タイタス・グローン』で描きだされる、石迷宮ゴーメンガースト城の量感は圧倒的だ。物語のなかに超自然の怪異や歴然とした魔法・呪術は登場しない。それでもこの作品がいまなお「幻想文学の傑作」と呼ばれるのは(アメリカでアダルト・ファンタジイのレーベルで出版されたせいもあるが)、第一に、畏怖の念を惹起するゴシックの空間性ゆえであり、第二に、それと相即する物語性----深くよどむ因果が登場人物を絡めとっていく展開である。

 それに対して、本書『タイタス・アウェイクス』はかなり趣が異なる。主人公タイタス・グローンは前作(三部作の第三部)『タイタス・アローン』で、第七十七代ゴーメンガースト城主である身分を捨て、城から脱出を果たしていた。さらに本書の開幕早々に、城の外延ともいえる領地ゴーメンガースト山にも決別する。山もまた崇高美の点でゴシック建築と通底する。これらに背を向けるところから、新しい物語がはじまるのだ。

 それはまた、タイタスの原点である血統や、記憶に染みついた過去からの遁走でもある。彼はひとつところにとどまらず、それに相即して情景描写も簡潔だ。主人公の動きにも小説の進行にも、速度がある。
 とはいえ、つねに身軽であろうとするタイタスの志向はあまりに極端だ。忠実につきしたがう犬にも名前をつけず、ただ〈犬〉とだけ呼んでいる。いつかときがくれば、この〈犬〉も置き去りにするつもりなのだ。愛情がないわけではないが、それ以上にしがらみが嫌なのだ。彼のこの徹底した心性は「孤高」の美学などではない。むしろ、なりふりかまわぬ自儘と言うべきだ。

 雪のなかで行き倒れになったタイタスは、つましい暮らしの老女に拾われる。老女の家には若い娘がおり、ふたりは親子だと思われるが言葉が通じないので確認もできない。そもそもタイタスは意思を通じあわす努力もしない。ただ本能のままに娘と情を交わす。彼女が妊娠するとあっさりと気持ちがさめ、すぐにも旅へ出たくなる。しかし、なんとなくうしろめたさを感じて----このあたりが英雄でもなければ悪党でもないタイタスの人間性だ----、鬱々とそこに滞在する。それでいて、娘が死産するとこれ幸いとばかりに出立するのだから、ちょっと呆れる。まあ、この作品は市民的規範に拠るのではなく、ひとりの人間の魂の遍歴なので、これはたんにひとつの過程にすぎない。この突き放した感覚は神話のそれだ。

 死産した娘だけでなく、タイタスは旅するなかで何人かの女性と関係を持つのだが、そこには肉欲を満たすためという以上の情緒が働いている。優しい姉フューシャの面影だ。彼にとって好ましい女性は、永遠に失われてしまったフューシャの反映なのだ。その記憶からさえタイタスは離れようとする。しかし、拭えない。だから、よけいに動きつづけようとするのだろう。

 タイタスが出会った女性のなかで、もっとも気持ちが通じあうのは画家のルースだ。街道を歩いているタイタスを、ルースが運転する自動車が轢きかけてふたりは出会う。ちょっと驚くのは、《ゴーメンガースト》の世界に自動車があることだ。城のたたずまい、山の雰囲気、言葉が通じぬ人たちの暮らし......そうした背景から、てっきり中世的な世界だと思っていたが、そうではないらしい。むろん、ピークはゴーメンガースト城を「いつとは知れぬ時の、いずことも知れぬ地」に置いたのだから、通常の意味での時代性を問うことに意味はない。『タイタス・アウェイクス』には、このあと二十世紀的な事物がいくつかまじってくるが、それで世界全体の色調が崩れることはない。その均衡もまた、この作品の神話性と言えよう。

 話が逸れた。ルースと出会い精神的なつながりと安寧な生活を得たタイタスだが、それでも彼女の元にとどまれない。ちょっとしたきっかけでふらふら出ていってしまう。タイタスがモデルになった絵を見た金持ちの老女(アマチュアの画家)が「ぜひ会いたい」と言ってきただけで、もうルースのアトリエへ帰る気をなくすのだ。かといって老女の勧めに従って、彼女の豪邸に寄宿するわけでもない。道端で不潔な男に出会い、やりすごそうと思えばできたのにそのそぶりすらみせず、男の言うがままに連いていってしまう。もちろん、ろくな目に合うはずもない。けっきょく、重症患者の世話をする看護人ペレグリンに拾われて、病院で下働きをすることになる。

「多数の人間の残骸に囲まれて」と表現されるほどの環境で、タイタスは希望もなく笑うこともごくまれな日々をすごすのだが、タイタスは入院してきた画家(ここでもまた画家だ!)とその彼に寄りそう妻と出会い、強い愛着を抱く。しかし、それもつかの間。回復の見こみがない画家が転院させられたことで、タイタスはむなしさに襲われ、またあてのない旅へ出る。しかし、画家の存在感はタイタスの心に深く刻みこまれている。彼は介助なしには歩けないほど弱っていたが、唯一残された意識的な器官である目は、タイタスがいままでに見たこともないほどイキイキとしていた。

 フューシャの面影が過去にあるとしたら、どんな苦難にも輝きを失わない双眸の印象は現在にある。タイタスはその後の流浪のなかで、同じ目(ただし人物は異なる)と巡りあい、到達点へと導かれていく。自分の全存在を託せる場所へ、生きる理由へと。まだ若いタイタスにとって、それは終着ではなくむしろ始まりだが、《ゴーメンガースト》の物語はここでみごとに締めくくられる。

(牧眞司)