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また一人、稀有(けう)なセンスを持つ男が海外へ活躍の舞台を移した。セレッソ大阪からスイスの強豪バーゼルへ完全移籍したFW柿谷曜一朗。若い女性を魅了するプレーとルックスで、「セレ女」ブームの火付け役になった24歳が安住の地をあえて飛び出し、未知の国で手にしたいと望むものを探った。

○憧れの背番号8は「いまはただ借りているだけ」

セレッソ大阪を象徴する選手が継承してきた背番号8を初めて託された昨シーズン。J1の舞台でゴールを量産していた柿谷に、こんな質問をしたことがある。

「憧れてきて8番を、どのような色で染めたいと思っていますか」。

 柿谷から返ってきたのは意外な言葉だった。

「いまはただ借りているだけですから。自分の色とか、そんなのは全然考えられません」。

このときすでに、柿谷は自身に足りないものが何なのかを理解していたのだろう。日本代表に初めて招集され、レギュラーに定着し、ワールドカップイヤーの到来とともに周囲から寄せられる期待が飛躍的に増す状況下で、柿谷は時間の経過とともに精彩を欠いていく。

開幕から10試合連続で無得点。5月3日の名古屋グランパス戦で初めてネットを揺らしたが、それでも波に乗れない。昨シーズンにリーグ3位となる21ゴールをマークした柿谷は結局、1得点をあげただけでワールドカップを迎えた。

○自分自身と重圧に負けた初体験のワールドカップ

今シーズンから指揮を執り、6月に契約を解除されたランコ・ポポヴィッチ前監督は、ボールポゼッションを高め、パスを丁寧につないで攻撃を組み立てるスタイルを掲げた。ボールを持ったらまず前線の柿谷を見て、タテパスから手数をかけずに攻めた昨シーズンまでとは180度異なる。

ただ、戦術的な変化が柿谷の不振の原因とする見方をセレッソの岡野雅夫社長は言下に否定したことがある。

「一人だけ走っていない。ピッチの上で突っ立っているだけ。明らかにコンディションが悪い。メディアの皆さんもチヤホヤするだけじゃなくて、ダメなときはダメと書いてくださいよ」。

ピッチの上でもあれこれ思い悩み、自ら勝手に袋小路へと入り込んでいった。要するに柿谷は自分自身に負けていた。プレッシャーを力に変える術を持ち合わせていなかったのだ。ワールドカップ・ブラジル大会は結局、2試合で計25分強に途中出場しただけで何のインパクトも残せずに終わった。

スイスの強豪バーゼルへの完全移籍が決まり、セレッソの一員として臨む最後の一戦となった15日の川崎フロンターレ戦後に行われた壮行セレモニー。ほぼ満員で埋まったスタンドへ向けて柿谷が絞り出した言葉に、背番号8を「借りている」と言った、1年以上も前から追い求めてきた答えが凝縮されていた。

「もっと、もっと強くならないといけないと思いました」。

○日本代表OBの予言「柿谷はワールドカップで役に立たない」

6月上旬に、ある日本代表OBに取材をする機会があった。話が弾み、開幕直前のワールドカップに及んだときに、そのOBは語気を強めてザックジャパンの攻撃陣に言及した。

「柿谷はちょっと役に立たないな。ユースの出身だから鍛えられ方が足りない。昨シーズンと今シーズンとで、調子の波が激しいですよね。要は心が弱いんですよ。その点、大久保は違う。彼の出身である国見高校の猛練習は半端ではない。極限まで鍛えられた強さがあるから、本番では重宝がられますよ」。

サプライズ的に招集された大久保嘉人(川崎フロンターレ)はギリシャ戦とコロンビア戦に先発し、最終的には主力を担った。予言を的中させたOBは、一方でこうも語っていた。

「ただ、柿谷のセンスは素晴らしい。これは事実です」。

これまでに数多くの日本人選手が海外移籍を果たした。だが、体育会特有の厳しい指導が欠けていると指摘されることが少なくない、Jクラブの育成組織出身者が確固たる結果を残したケースは皆無と言っていい。

日本代表クラスの選手で言えば、ガンバ大阪ユース出身の稲本潤一(現川崎フロンターレ)がプレミアリーグのフラムに在籍した2002年からの2シーズンで、輝きを放ちかけたくらいだ。

○新天地バーゼルの厳しい環境で「心の強さ」を融合させたい

相手DFとの駆け引き。タテに抜け出すスピード。テクニカルなトラップ。シュートの際の多彩なアイデア。これらは4歳から所属したセレッソの育成組織で身につけたものだ。サッカーのプレーに限定すれば、今までの軌跡は間違っていない。

バーゼルはかつて中田浩二(現鹿島アントラーズ)が所属したことで日本でも知られる。1893年創立と歴史と伝統を持つだけでなく、スイス・スーパーリーグを5連覇中と実力も抜きんでていて、9月に開幕するUEFAチャンピオンズリーグにも出場する。しかし、柿谷が求めるものは別の次元にある。

それは「未知の文化と風習」。当然ながら言語も食事も異なる。自分を知っている人間も、助けてくれる人間もいない。甘やかされる環境も望めないスイスでゼロから居場所を築き、結果を残したときに「強さ」を手にできると信じて、柿谷はサッカー人生の設計図を自らの意思で描き直した。

「この8番がもっと、もっと似合う選手になって帰ってきたい」。

いつしか「セレ女」と命名された、若い女性を中心とするファンの大声援に促されるように、柿谷が無人のゴールにボールを蹴り込んでセレモニーは終わった。セレッソへの愛情が極まって流した万感の涙を未来の力に変えるために。柿谷は現地時間17日から、新天地ですでに始動している。

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○筆者プロフィール : 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。

(藤江直人)