5日に放送された「SWITCHインタビュー達人達(たち)▽鳥嶋和彦×加藤隆生〜ヒットを生むコツ! 」(NHK Eテレ)で、集英社専務取締役の鳥嶋和彦氏が、鳥山明氏発掘し、週刊少年ジャンプをヒットさせた戦略と苦悩を詳細に語った。

鳥嶋氏は「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」などを国民的人気漫画に育て上げた編集者で、「週刊少年ジャンプ」の編集長時代には「ONE PIECE」や「NARUTO−ナルト−」などメガヒット作品を次々と世に送り出した。

番組では、社会現象になったゲーム「ドラゴンクエスト」も鳥嶋氏がいなければ誕生していなかったと、当時の秘話を鳥山明氏からのメッセージとあわせて紹介した。

鳥山氏の伝説的デビュー作「Dr.スランプ」も、連載スタート時はまったく人気が期待されていなかったという。鳥嶋氏は「今だったら表紙になって新連載巻頭カラーで始まるんですが、当時は期待されてなかったんですね。だからオールカラーではなかった」と、鳥山氏が期待された新人ではなかったことを懐かしく語りだした。

また、国民的漫画作品とも言える「ドラゴンボール」の連載スタートの事情を尋ねられると鳥嶋氏は「鳥山さんが『Dr.スランプ』が始まって、半年ぐらいで辞めたいって言い出した。ところが彼がやめたいって言う時はもうアニメも始まって人気絶頂の時なんで編集部からするとOKしてくれるわけがない。で、もしも『Dr.スランプ』より面白い作品ができたら辞めてもいいと」と裏事情を明かした。

鳥嶋氏は鳥山氏と二人三脚で、「Dr.スランプ」に代わる新しい企画を生み出す苦労を振り返り、「そうすると約束しちゃったものはしょうがないんで1週間かかって描いていた「Dr.スランプ」を5日で描くようにしてその2日をちょっとずつ貯金して読み切りを描いて「Dr.スランプ」に代わる人気があるものを見つけようという作業を1年ちょっとやったんですね」と語るが、当時発表された作品はどれも人気を得られなかったそうだ。

転機となったのは、ジャッキー・チェンのカンフー映画であったらしい。鳥嶋氏は、鳥山氏がビデオを見ながら漫画を執筆することが気になり、「『どういう事?』って聞いたら、ジャッキー・チェンのビデオをずっとかけてて仕事してると。で、『何回ぐらい見てるの?』って聞いたら、1つの映画を50〜60回見てるって。で『そんなに好きだったら一回カンフーの漫画を描いてみない?』って言って。それが『ドラゴンボーイ』って言う短い漫画なんですよね。これがものすごい人気で」と、鳥山氏の背中を押したエピソードを語った。

その単発作品「ドラゴンボーイ」を原型とした連載企画が「ドラゴンボール」へと生まれ変わったそうだが「ドラゴンボール」はすぐさまヒットした作品でもなかったそうだ。

連載初期の「ドラゴンボール」を振り返り鳥嶋氏は、「駄目だったですね。じりじり人気アンケートの結果が落ちて。このまま行くと、えーと…終わるなと。」と、ヒット作の意外な過去を暴露した。

鳥嶋氏は、当時少年ジャンプで人気のなかった「ドラゴンボール」と、同誌の超ヒット作「北斗の拳」を比べ、トップの漫画を研究して、それをいかに追い抜けるかという目標設定を鳥山氏としたという。その結果、止め絵でなくコマの連続展開で魅せる表現を追求したという。その結果、「ドラゴンボール」は連載36週目で初めて読者アンケート1位を獲得したという。

さらに鳥山氏との才能を評価する鳥嶋氏が「ひとつ鳥山さんの天才たる所以の回があるんですよ」と語ると、「ドラゴンボール」連載4年目、166話が掲載された少年ジャンプを取り出し、「鳥嶋さんね、もうこのままでは『ドラゴンボール』終わるしかないと。実はもう筋肉をちゃんと書かないと戦闘のビジュアルとして自分の満足行く画面にならないと。悟空を大きくしたいんだっていうわけです」と小さな主人公、孫悟空の体を成長させたい要望があったエピソードを挙げた。