『忘却の声 上』アリス・ラプラント 東京創元社

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 誰にでも平等に老いの影は忍び寄る。当たり前の事実であるが、人は青春、あるいは朱夏の季節には思いを馳せても、その後に来る白秋の時季については顧慮しようとせず、まして玄冬を自らが生きることなど考えもしないものである。

 アリス・ラプラント『忘却の声』(東京創元社)は、その老いの問題と正面切って向き合った意欲作だ。作者はジャーナリストであり、スタンフォード大学で創作講座を持つ作家でもある。2011年に発表した本書が小説家としてのデビュー作でウェルカム・ブック・プライズを受賞している。これは医療・健康を扱った文学やノンフィクションに贈られるもので、歴代受賞者には『レナードの朝』で有名なオリバー・サックスやフィリップ・ロスなどがいる。最近は日本でも医療小説大賞が創設され、医療や介護の問題を扱った作品への注目度が上がっているが、その潮流は海外にもあるようなのだ。また、ミステリー界では英国推理作家協会ゴールド・ダガー、バリー賞最優秀新人賞、マカヴィティ最優秀新人賞の最終候補作にもなった。趣向のおもしろさが評価されたようなのだ。

 本書は主人公の意識の流れで構成される長篇である。主人公の一人称で視点は統一され、それ以外の人々の声や、彼女が見聞した文章などはゴシック体で書かれている。そうした「外からの声」が目に付くように強調されているのは、主人公が信用できない語り手だからなのである。

 ----なにかあったのだ。いつだってわかる。気がつくと目のまえに惨状がひろがっている。粉々になったランプ。かすかに見覚えのある顔に浮かぶぎょっとした表情。ときには制服姿の人がいることもある。救急救命士。看護師。薬をのせた手が差しだされる。もしくは針を刺そうとかまえている手が。

 不穏な書き出しで物語は始まる。何事かが起きたようなのだ。やがて主人公は自宅のキッチンへと戻ってくる。そこには太くて黒いマーカーペンで書かれた掲示が貼ってある。

「わたしの名前はドクター・ジェニファー・ホワイト。わたしは六十四歳。わたしは認知症。わたしの息子マークは二十九歳。わたしの娘フィオナは二十四歳。介護人のマグダーレナがわたしといっしょに暮らしている」

 彼女が信用できない語り手であることの理由はそれだ。認知症のために時にまだらに抜け落ちてしまう意識の流れや、突如として甦ってくる過去の記憶のために、ジェニファーによる叙述は常に混乱し、霞がかかっている。しかしそれでも、彼女を巡る人間関係は鮮やかに浮かび上がってくるのだ。息子のマークが放蕩無頼の生活を送っていること、娘のフィオナが彼を信用しておらず、母親に近づけないようにしているということ、ジェニファーの年上の友人であったアマンダ・オトゥールが不審死を遂げたらしいこと。

 しばしばジェニファーは記憶を遡ろうとするが、その際に重要な意味を持つのはこのアマンダだ。アマンダは富裕な家庭の生まれであるジェニファーに拭いきれない劣等感を抱き、友人とは言うものの激しい対抗心を燃やしていた。その彼女が犯罪の形跡がある状況下で死体で発見されたとき、右手の指が四本切断されていた。そしてジェニファーは、かつては腕利きの外科医として知られる人物だったのである。手指の切断は、彼女が得意とする領域だった。当然のことながら警察は、ジェニファーに嫌疑の目を向けようとする。

 語り手が曖昧なことしか言えないにも関わらず、アンフェアにならないぎりぎりのところで踏みとどまり、作者はミステリーとして必要な情報を提供している。その語りの技巧に冴えがある。さらに重要なのは、ジェニファーが容易な感情移入を拒む理解不能な存在として描かれていることだ。彼女の世界は孤絶している。だからこそ真相がわかったときには、読者の胸に喩えようのない哀しみの感情が励起されてくるのである。共感を誘うだけが悲劇の書きようではない。主人公との埋めようのない距離、理解できない隔たりを強烈に意識させることが作者の狙いだろう。とても近いのに永遠に到達できない遠くの物語だ。

(杉江松恋)