前回はイータン・ウォッターズ『クレイジー・ライク・アメリカ』(紀伊国屋書店)から、日本でうつ病が急増している背景に抗うつ剤SSRIを販売する大手製薬会社のマーケティングがあるということを述べた。これは陰謀のような話ではなく、グローバル化によって、わたしたちはみなアメリカ人と同じように心を病まなければならなくなったのだとウォッターズはいう。

[参考記事]
●製薬会社が「病」をつくり出し治療薬を売りさばく-論文捏造問題の背景にある肥大化したクスリ産業の闇--

 これはたいへん刺激的な主張なので、今回は同書から拒食症とPTSD(心的外傷後ストレス障害)についての分析を紹介してみたい。

拒食症は文化的な病

 ウォッターズは、拒食症がどのように生まれたのかを調べるために香港を訪れた。1980年代には拒食症は欧米人の病気だとされていて、日本や韓国で若い女性の症例が報告されていたものの、香港や中国ではまったく知れられていなかった。

 香港が長くイギリスの統治下にあり、ひとびとは欧米の価値観に馴染んでいた。広告やファッション雑誌にはスリムなモデルが登場し、スリムなセレブがもてはやされてもいる。欧米で拒食症の原因とされる要因はすべて揃っていたが、それでも若い女性が拒食症にならないことが世界の研究者の注目を集めたのだ。

 もちろん80年代の香港でも、食事を拒否して痩せるという症状はわずかながら報告されていた。だがその症例を詳細に調べると、欧米の拒食症とは大きく異なっていた。患者は地方出身の貧しい女性で、ダイエットやエクササイズに興味はなく、自分が痩せていることを正確に認識し、太りたいと口する。ただ、失恋などの出来事を期に食べることをやめてしまうのだ。

 こうした症状は、19世紀前半のドイツで流行した拒食症に酷似していた。

 フロイトが精神分析理論を唱えた19世紀中頃(ヴィクトリア時代)のヨーロッパはヒステリーの全盛期で、痙攣性の発作、麻痺、筋収縮、言語障害、記憶喪失、脊椎過敏症、昼盲症、低温過敏症、幻影、起立歩行不能など、その症状はじつにさまざまだった。

 これらのヒストリー症候群のなかで、胃の痛みや食欲不振、嘔吐、喉のつかえなどから起こる拒食の例も報告されていた。それは最初、たんなる端役にすぎなかったが、19世紀後半になると徐々に目立つようになってくる(たとえば1860年から64年にかけて、リスボンの学校に通う若い女性114人のうち実に90人が、脚の脱力や麻痺と何カ月もつづく嘔吐を繰り返したことが報告されている)。

 1873年、ヒステリー研究の権威とされていたラセーグによって、この症状は「ヒステリー性無食欲症」と名づけられ、その後「神経性無食欲症」という用語に統一された。病名が特定されたことで拒食症は急速に広まり、19世紀末にはヒステリー患者のなかでもっとく多く見られる症状になった。

 ところが20世紀になると、多くのヒステリー症状とともに拒食症も消えてしまう。20世紀中頃のニューヨークの病院の入院記録には、拒食症は平均して1年に1症例しかなかった。

 このことは、ヒステリーと同じく拒食症が文化的な病であることを示している。

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