『路地裏の迷宮踏査 (キイ・ライブラリー)』杉江 松恋 東京創元社

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 読書とは、単に情報を受け取るだけの作業ではない。テキストから受け取ったものを各人が、自身の所持する感性と論理を駆使して再構築するというのが読書なのである。したがって読者には自由に本を読み解く権利がある。しかし同時に、テキストを真剣に読み解かなければならないという義務も課せられている。

 と、そんな風に私は考えています。このたび上梓した『路地裏の迷宮踏査』(東京創元社)は、自分が子供のころから親しんできた海外ミステリーの世界を題材とし、作品の送り手である作家という存在に着目したエッセイ集です。作家が真剣に送り出してきたものには、読者も真剣に応える必要がある。その作家・作品についてできる限りの情報を集め、まだあまり人に知られていないプロフィールなどを盛り込んだ人物月旦として、また私独自の解釈を吹く作品観賞として、あまり他ではご覧になったことがないはずの海外ミステリー入門書になっていると自負しております。本書にもし長所があるとすれば、大きな「統一理論」に頼らずに作品を読み、自身の小さな発見だけをよすがとして一篇一篇を組み立てていったことだと思います。それが「路地裏をふらふら散歩するように」という本全体の性格につながりました。各章に自分自身が出ているようで、いや、たいへん気恥ずかしい。

 内容は、カー、クリスティー、クイーンといった有名どころから、ハーバート・ブリーン、トマス・フラナガン、ピーター・チェイニーといったあまり耳慣れないところまでさまざまな作家を俎上に載せております。肩の凝る銀座の高級店ではなく、ひょいと入れる近場の寿司屋のような雰囲気でおもてなしするように気をつけましたので、どうぞお気軽に楽しんでください。

 本書の原型となった「路地裏の迷宮踏査」は、東京創元社「ミステリーズ!」に2003年の創刊号から52回にわたって連載をしたものです。あれはたしか2002年の暮れごろだったと思うのですが、今は東京創元社を辞められた松浦氏ともう一人の編集者の方が訪ねてこられ、新宿西口のルノワールでお話を伺いました。新雑誌の創刊にあたり、コラムかエッセイの連載が欲しいとのこと。「瀬戸川猛資さん『夜明けの睡魔』のような杉江さん自身にとっても代表作になるようなものを」との口説き文句にすっかり参ってしまい、その場で快諾したことを覚えています。

 しかし、その時点できちんとした形になっていたネタは三つだけ。連載第一回で書いた「エドマンド・クリスピンはグルーチョ・マルクスから何を学んだか」「教えてよ、ミッキー・スピレーン」「人騒がせなブラウン」です。私は一人の作家を好きになるとなるべく初期の作品から順番に読むようにしているのですが、そういったやり方をしているうちに気づいたことがクリスピンの項にまとまりました。また、スピレインの項については青山南さんの著書で学んだ「小説はゴシップが楽しい」(というタイトルのご著書もあります)という態度、すなわち作家自身の人生がそれぞれの作品ににじみ出ているのではないか、という野次馬的な関心の持ちようで見えてくるものがあることから閃いて書いた内容です。ブラウンの項では「気に入った作家の自伝や評伝はなるべく原著でも買う」ということが役に立ちました。本を読んだらおもしろかった、で終わりにせず、さらにその先を求めるというやり方は、実に豊穣な世界を読者に見せてくれるものであります。

 収録した中で「フィリップ・トレントの密かな愉しみ」や「ケメルマンの閉じた世界」といった章は、「行間を読む」という行為で生まれたものだと思います。「密かな愉しみ」はE・C・ベントリー『トレント最後の事件』(創元推理文庫他)についてのものなのですが、本当に「行間」を読んでいます。この「そうとは書いていないけど目を皿のようにして読み込めば、そういう風にも読める」という読書のやり方も、私の密かな娯楽であります。作者がはっきりとは書いていないことなので誤読といえば誤読なのですが、こうした空想力の膨らませ方は読者に許された権利だとも思うのです。瀬戸川猛資『夢想の研究』(創元ライブラリー)やジョン・サザーランド『ヒースクリフは殺人犯か?』(みすず書房)のような先達の仕事で、私はこうした遊び方を学びました。そうやって教わったことの百分の一でもみなさまにお伝えできれば、と思っております。どうぞ、よき読書を。

(杉江松恋)