『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』チャールズ・ユウ 早川書房

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「SF界/文芸界注目の俊英」(コシマキの惹句)とうたわれるチャールズ・ユウの第一長篇。ふたつの"界"にまたがっている。なんだかカッコいい。
 SFっぽい文芸も、文芸っぽいSFも、このごろずいぶん増えてきたとはいえ、なかなか垣根(上の惹句なら"/"の隔たり)は高い。

 頑固なSF読者「うっぷっぷー、過去を甦らせるなんて言って、あんなバカ厚い小説を書くって、どれだけヒマなんだよ。SFだったらタイムマシンでスマートに収めるのに!」
 狷介な文芸読者「うわー、時間テーマなんて言って、アホくさいタイムトラベル理論を捻くり回すって、めっちゃセンス悪っ。文芸だったらマドレーヌと紅茶でエレガントに済ませるのに!」

 と、まあ、こんなふう(すみません、極端に模式化しています)。

 そんなところへ颯爽とあらわれたチャールズ・ユウが「まあまあ、ケンカはやめて。これでも読んで」と差しだしたのが本書『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』だ。この作者のスマートでエレガントな時間テクニックは、作中に書きとめられた次の一節に端的に示されている。〔原理的には万能タイムマシンを構成するにはこれしか要らない。(i)記憶媒体の中で、前方と後方、二方向に動かすことのできる紙切れ、(ii)そいつが、叙述と、過去形の直接的な適用という二つの基本操作を果たせばよい。〕

 ちょっと韜晦ぶった表現になっているのはユウなりのユーモアというか理系訛りというかそういう感性であって(それは翻訳を担当した円城塔にも共通する)、ひらたく言い直せば「本がタイムマシンなんですよ」ってことでしょう。

 このタイムマシンが便利なのは、そこに書かれた「世界(SF的な宇宙)」と、書いている「文章(テキスト)」を同時に操作できるところだ。「内容」と「表現」ってやつですね。読むうえでちょっと気をつけなければならないのは、この物語が何かリアルなできごとを伝えていると信じこむのではなく、たんなる言葉の連なりであることも忘れないことだ。そんなに難しくない。作品のところどころにそう読むための標識が立っているので。たとえば、〔物語空間環境下においては〕とか、〔タイムマシンに乗る典型的な顧客は「文字通り」、いつであろうと自分の行きたいいつかに行く〕とか。

 しかし、これは小説なので、物語が(実際であれ虚構であれ)世界や存在について語っていると、いちおうは見なさないと立ちゆかない。記号の戯れとか言うのはあとまわしでいい(っていうか、そんなこと言わなくていい)。要約するとこんなストーリーだ。

 主人公はタイムマシン修理工のチャールズ・ユウ。彼が扱うマシンは、量子デコーヒンレンスエンジンとかタウ調整器とかメカニズムがあるように書かれている。タイムマシンを発明したのは彼の父親だが、物語が開始する時点では行方不明になっている。母親は人生の幸福な時期をリピート体験しつづける疑似現実(養護施設みたいなもの)で暮らしている。ユウは狭いパーソナル・タイムマシンで暮らしていて、相手をするのは人工知能(美少女設定)タミーと、非実在ペットのエドくらい。どうしてこんなショボい人生になってしまったのか? 時間を行き来するユウの物語は、家族崩壊の理由を求める旅でもある。本書は内容的に見れば「家族小説」なのだ。プルースト『失われた時を求めて』が「恋愛小説」だったり、ウエルズ『タイムマシン』が「格差社会小説」であるように。

 その一方、異なる時点にいる自分と関わってはいけないルールは、伝統的なSFの考えかたを踏襲している。ところがユウは未来から来た自分と鉢合わせしてしまい、禁則違反を恐れて(というか動転して)、パラドックス中和用試作兵器(詳細不明)で相手を撃ってしまう。それがきっかけとなってタイムループが起こり、ユウは同じ人生を何度も繰りかえすはめになる。この物語がネジれているのは、自分と出会うことで発生するパラドックスを避けようとして、かえってループを発生させてしまう構図だ。このほか、いろいろ因果や時空がヨジれる仕掛けが凝らされている。ややこしい知恵の輪みたいで、ロジック遊びが好きなかたは挑戦しがいがあると思う。

 さて、ユウがループを脱するカギとなるのは、未来の自分が残した一冊の本。それを持てあましながら、われらが主人公はこう思案する。

  僕はある意味でこの本の作者であり、ある意味ではただの最初の読者だ。僕は読むと同時にこの本を書いていて、読みながら考えながら三つのモードを思うまま切り替えながらタイプしていて、能動的に受動的に入力しながら出力しており、本は刻一刻と僕の意識やギャップの全てに合わせて生み出されていき、そのギャップを埋めようと、何が起こっているのか僕が知る前に、僕自身の人生の物語を解釈しようとさえしていて、僕は自分の人生がどうなるのか、どうなっているのか、どうなってしまったのかを知り、僕はこの本を頭から一語一語、目や指や脳や声というデータを通じて再生産しており、その間も、まさにあれがこれであるという直接的な体験として受け取っており、それと並行して、父と僕と、二人で乗った様々なタイムマシン全てについての話、未来の僕から聞かされた話を解釈している。 

 じつは、読者にとってもこれは他人ごとではない。ユウが「この本」と呼んでいるのは、ほかならぬ(読者の目の前にある)『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』なのだ。さあ、この書物のかたちをしたタイムマシンを使って、あなたはどこへいく? なにをする?

(牧眞司)