独り歩きしてしまった“自分たちのサッカー”、内田が語った「普段通り」の意味

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 大きな期待を背負い、小さからぬ野心を抱いた日本代表の旅路は、わずか十日余りで閉幕を迎えてしまった。

 敗因を一つに限定するのは不可能だし、それはそもそも不正解でもあるだろう。複数の要因があって、日本は敗れた。今年に入って主力選手に不調や負傷が相次いだのは不運だったと言えるし、それを補うだけの力がなかったとも言える。ただ悔やまれるとしたら、そして後世の教訓とすべきはやはり、初戦の内容だ。

「自分たちのサッカー」というフレーズが独り歩きしてしまった感があるが、個人的には内田篤人が使っていた「普段どおりにやる」という言葉のほうがしっくり来る。「自分たちのサッカー」と言っても、何も相手のことを何も考えずにプレーするというニュアンスではないだろう。「やってきたことをやる」。そういう意味だったと解釈していた。

 できなかった理由は幾つかあるが、平常心を欠いたように見える選手が複数いたことが大きかった。長谷部誠や本田圭佑、遠藤保仁といったW杯を知る経験豊富な選手たちが軒並み負傷明けだったり不調だったことが大きく、経験のない選手をサポートする余力がなかったのかもしれない。いずれにせよ、「普段どおりにやる」ことができぬままに日本は敗れた。

 これを「メンタルが弱かった」と総括してしまうのは簡単だ。実際、「ブログを更新していたのは戦う気構えがなかった証拠」なんて批判まで目にしたのだが、個人的には真逆の見解、感触を持っている。

「ブログくらい普通に更新しておけ」と。

 普段どおりに戦ったという内田は、確かに普段どおりの強さを見せてくれた。日本の選手に必要だったのは修行僧のような禁欲さで自分を律し、古の武人のような潔癖さで決死の思いを固めることではなく、もっとリラックスし、もっと普段着の状態でこの場へ挑むことではなかったのだろうか。

 普段からブログを更新している選手ならば、更新すればいいのだ。カードゲームで自分のカードが当たらないと大量購入してしまった絵をアップしてもいいだろう。齋藤学が変なカエルとツーショットで収まっている写真が、大爆笑の的になっているのでも良かったと思う。

 もちろん、気合いは大事だ。集中力も重要だ。しかし、ガチガチになってしまって、気負いの余りに持っている力を十全に出せていないように見えた選手たちのことを思うと、必要だったのは「ブログを更新しないこと」ではなくて、もっと普段着でいることだったのではないかと思う。内田は「普通のサッカーの試合」としてW杯に臨んだと言う。彼ほどの精神性を持つのは簡単ではないと思うが、過緊張で試合に入ったのはもったいなかった。

 普段どおりのサッカーをしようとして、普段どおりの力を出せなかった今大会。4年後への教訓を考えるなら、それは「気合いが足りん! もっと真面目にやれ!」といったネガティブな精神論ではなくて、いかにしてリラックスして普段どおりに試合へ入るかというポジティブな精神論ではないだろうか。

 これから4年、新しい日本代表が新しい形でスタートを切る。その代表がロシアでの戦いへと臨むときに掛けるべきは、「修行僧のようになれ!」ではなくて、「普段どおり、リラックスしてやれば大丈夫だ」という言葉でありたいと思っている。

文=川端暁彦