コートジボワール戦、ギリシャ戦を終えて1分1敗。日本中が騒々しいムードに包まれている。

 論調は一変。ザッケローニ采配はもとより、選手への批判も目立っている。想定外の事件が起きたかのようである。しかし、コートジボワール、ギリシャに対して1分1敗は妥当な結果だ。両国と10回戦っても、こうなる確率が一番高いと言っていい。ギリシャが11人のまま90分を戦ったなら2敗の可能性の方が高い気もするが、それはともかく、ザックジャパンのこれまでの戦いを見ていれば、この成績は予想の範疇から逸脱するものではないのだ。

 実際、ブックメーカーも大会前からこの結果を一番に推していた。コロンビア、コートジボワール、日本、ギリシャ。C組の予想はこの順で並んでいた。

 しかし、前にも述べた通り、日本のサッカーくじ「toto」への投票行動は、まったくその反対だった。2勝1分。これこそが一番の多数派だった。

 いま日本人の楽観性が、露わになった状態にある。現実とのギャップに多くの人が戸惑っている。原因は様々だが、いちばん責任が重いのは、情報の送り手だと僕は思う。

 メディアの商法として、手っ取り早いのは「がんばれ、ニッポン!」を煽ることだ。応援報道というヤツである。これを成立させるためには、日本がある程度、強い存在に見える必要がある。メディアのそうした願い、思惑と、日本サッカー協会の親善試合の組み方(ホーム戦過多)は実に相性がいい。それには負けにくい設定が施されている。
 しかもアジアの本大会出場枠は4.5。アジアの世界的なレベルを考えれば、緩すぎる設定だ。日本が予選落ちする可能性は10%程度。本当に接戦が期待できる試合は、せいぜい2試合ぐらいだ。他は楽勝して当たり前。平素の試合を通して問題点は露呈しにくいのだ。

 こうした環境の中に置かれていると、世界が狭く見えてくる。サッカー観戦に不可欠な世界観も生まれにくい。コートジボワール? ギリシャ? 馴染みのない集団に対して、畏敬の念を払えなくなる。相手をリスペクトする習慣が芽生えにくくなる。サッカーの試合を戦う上で、これは好ましくないスタンスだ。研究を怠り、毎度「我々のサッカーをすれば」と言っている国に、幸は訪れにくい。

 求められるのは推理する力だ。現状のサッカーで行けそうなのか。W杯本大会で戦えばどうなるのか。本大会のレベル、サッカーの世界性をイメージし、そこからフィードバックする形で平素の試合に目を向ける。

 4年後を予想するためには、とにかく世界のいまにしっかり目を向けることだ。日本戦以外の試合にもとくと目を凝らすことだ。W杯は世界観を磨くまたとない場所である。日本と他国とは、何が違うのか。日本を客観的に見る絶好の機会になる。

 日本代表の試合を見ているだけでは日本代表の本当の姿は分からない。世界と関わりにくい環境に置かれている日本の場合は、特にそれが言える。

 ザックジャパンの問題は、不成績だけではない。試合がつまらないことにある。いま僕はリオデジャネイロにいるが、ここには世界各地から多くのファンが集まっていて、「サッカー」で大いに盛り上がっている。

 みんな試合をよく見ている。観戦を楽しんでいる。自国以外の試合にも、本当によく目を凝らしている。前にも述べたが、今大会は好ゲームが続出。リオだけでなく、W杯はまさに世界中で盛り上がっていると思われる。そうした中で、ザックジャパンの2試合を見せられると、肩身が狭くなる。世界のファンに対して申し訳なく感じる。観戦して楽しくないサッカー。ザックジャパンはそう評すことができる。

 W杯は、日本人のためだけにあるのではない。ザックジャパンもしかり。日本人だけのために存在するのではない。W杯本大会に出場するチームには、良いサッカーをお見せする気持ち、出し物を披露する意識が不可欠になる。