日本代表 (撮影/岸本勉・PICSPORT)

写真拡大

 日本は何をしたかったのだろうか。自分たちのサッカーを貫いたうえで、ギリシャから勝点3を奪うのではなかったのか。

 堅守速攻を特徴とするギリシャは、そのとおりの戦略で臨んできた。第1戦は途中出場だったミトログルも先発してきた。想定の範囲内でゲームは動き出し、前半30分過ぎにふたつの幸運が訪れる。

 ひとつはミトログルの負傷交代である。

 序盤から少なからず脅威を感じさせた彼がピッチから去り、それによってギリシャが最初の交代カードを35分で切ることになったのは、間違いなく日本のプラス材料だった。188センチのミトログルは、カウンターとセットプレーのいずれにおいても重要な役割を果たすはずだったからだ。

 二つ目はカツラニスの退場だ。中盤のハードワーカーとして存在感を示すキャプテンもまた、38分でピッチをあとにする。サントス監督は4−4−1へシステムを変更するために、前半終了を待たずに2枚目の交代カードを使わざるを得なくなった。

 数的優位のデメリットもある。ゴール前を固めてくる相手の守備ブロックを攻略できず、一発のカウンターやリスタートから失点を喫するチームは例外でない。

 日本がまずすべきは、ギリシャを疲弊させることだった。オンザボールとオフザボールで疲労度が違うのは、はからずもコートジボワール戦で身体に刻んだ記憶である。守備ブロックのなかへ勇気を持って飛び込むことで、局面を打開する足がかりが見つけられる。

 日本は正反対のプレーをした。相手の守備ブロックの外側で、足元から足元へパスをつなぐばかりなのだ。

 1対1の仕掛けを心がけたのは、大久保だけだった。本田も、途中出場の香川も、ドリブルよりパス、リスクよりセーフティの意識が先立っている。
大久保を除いた攻撃陣はほとんど仕掛けず、ボランチもボールをさばくだけでは、相手のバランスは崩れない。崩すことができない。

 そもそも、勝利への意欲が薄いのだ。

 グループステージも第2戦になると、剥き出しの野生がぶつかり合う。前日にカメルーンと対戦したクロアチアは、球際で激しくファイトした。1対0と先制した直後に、1トップのマンジュキッチが自陣右サイドまで下がり、スライディングでクロスをブロックしている。前半が20分も過ぎないうちから、ストライカーが必死になって守備をする。W杯で勝点3を奪うには、それぐらいのハードワークと決意が必要なのだ。

 日本はどうだったのか。ファウルの数は多いが、球際でバトルした結果ではない。失ったボールを慌てて取り返そうとした末に、反則となったプレーが多数を占める。どちらが戦っていたかを問えば、間違いなくギリシャだった。

 ナタウのピッチに立った日本のテンションは、国内で開催されるテストマッチのようだった。勝ちたいという気持ちが、あまりにも小さくて薄かった。

 ザックの采配にも、触れなければならない。香川のベンチスタートと大久保の先発起用はいい。後半から登場した香川のプレーを見れば、スタメン落ちは納得できる。
だが、追いかけるチームが交代ワクを残すのは、あまりにももったいない。

 使える選手がいないのか? 使いたい選手がいないのか。控え選手はのきなみコンディションが悪いのか? 

 ギリシャがどのような戦いをしてくるのかは、半年以上も前から分かっていたことだ。理由がなんであれ、責任は監督にある。

 挙句の果てに、2試合連続のパワープレーである。勝利への執念ではなく、迷走と言うしかない。明らかにブレている。

 4年間の成果を発揮するW杯を、かくも内容の乏しいゲームで終わらせていいのか。プライドは、意地は、誇りはないのか。こんな試合を見るために、我々は4年間待ったわけではない。