「コーチのスベン、私を信じてくれて、ありがとう。ジェローム、私を健康な状態に保ってくれて、ありがとう。そしてここにはいないけれど、ユタカ。私のフィジカルを強化し、クレーの上でスライディングできるようにしてくれて、ありがとう」

 愛しくてたまらない銀色のトロフィーを胸に抱き、マリア・シャラポワ(ロシア)はチームスタッフひとりひとりの名前を挙げて、感謝の言葉を重ねていった。

 2012年に続き2度目となる、フレンチオープンの優勝者スピーチ。今回の優勝でフレンチオープンは、彼女が唯一、複数回優勝したグランドスラムとなった。

 それにしても......、である。数年前に、シャラポワがフレンチオープンを2度も優勝すると見た識者がいたら、それは相当の慧眼(けいがん)の持ち主か、あるいはかなりの捻(ひね)くれ者だ。

「もしも数年前に、『あなたは他のどのグランドスラムよりも、全仏でたくさん優勝することになる』なんて言ってくる人がいたら、私は飲みに出かけちゃうか、あるいはその人に、『飲みに行ったほうが良いわよ』って言うわね」

 トロフィーを満足そうに眺めながら、シャラポワは優勝会見で笑みをこぼした。

 本人も認めるように、多くの人がシャラポワのフレンチオープン優勝に懐疑的だった最大の理由は、クレー(土)という独特なコートの特性にある。クレーコートは、足もとが滑る。また、バウンド後に球速が著しく落ちるため、ラリーが長引きやすい。ゆえにフットワークに難のある選手や、体力に不安を抱える選手には不利なコートだ。ドロップショットやロブが効果的なため、多彩な球種が打てる技巧派が脚光を浴びるステージでもある。

 いずれにしても、これらすべての要素は、シャラポワに不利に働く。彼女のスラリと伸びた足は、ハードコートではダイナミックな動きを可能にするが、滑るクレーでは本人すら持てあまし気味。

「クレーの上の私は、氷の上の牛のよう」

 彼女が自虐的に自身をそう表したのは、2007年全仏のことだった。

 そんな彼女に訪れた転換期が、2012年シーズンである。この年のシャラポワは、シュツットガルト大会を皮切りに、ローマ大会、そして全仏とクレー3大会で優勝。また、今季もシュツットガルトやマドリッドを制するなど、2012年以降はクレーで54勝4敗の驚異的な勝率を誇っている。今やクレーは間違いなく、彼女が最も成功を収めるサーフェスだ。

 もちろん、このような劇的な変化は、偶然に訪れたものではない。

「選手は、生まれながらにしてクレーコートプレイヤーになるわけではない。特に私にとっては、クレーは未知のコートだった。だから自分で、クレーでプレイする能力を獲得するしかなかったのよ」

 不得手を克服するのみならず、得意にまで転化させたのは、シャラポワのプライドと克己心の成せる技。そして彼女の変化を外部から支えた、スペシャリストの存在があった。

 それが冒頭に触れた、「ユタカ」なる人物だ。

 彼女の言う「ユタカ」とは、日本人トレーナーの中村豊氏のことである。中村はアメリカでトレーナーの資格を修得し、これまでにもIMGアカデミーや、オーストラリアテニス協会などで腕をふるってきた。シャラポワとはアカデミー当時から知る仲で、その縁もあり、彼女がコーチを含め環境を一新した2011年末に、パーソナルトレーナーに就任した。2012年の全仏優勝時、シャラポワが「私の動きを変えてくれた人」として、再三、名前を挙げてきた人物でもある。

 実は昨年末のシャラポワは、その2年前と極めて似た状況にいた。再び肩を痛め、2011年8月を最後に、ツアーを離れることを余儀なくされる。それまでのコーチと別れ、新たな指導者を探していた時でもあった。「昨年の10月には、コーチもいないまま、肩の痛みの解決策を求めてヨーロッパにいた」。

 行く先が見えず、不安の最中にいた半年前を、シャラポワはそう振り返る。そうして最終的には、ロジャー・フェデラーらの指導経験を持つスベン・グローネフェルトをコーチに招き、元ラグビー選手のジェローム・ビアンキをフィジオセラピストとして雇った。そのように新スタッフが集まる中、唯一変わらずシャラポワの側に居続けたのが、トレーナーの中村である。

「まだわずかながら残っている、彼女の未開発の能力を引き出す――。それが、私たちチームスタッフの一致した目標でした。それができれば、必ず結果はついてくると信じていました」

 新チーム結成時の指針を、中村はそう明かす。ここで言う「結果」とはもちろん、2013年には手にできなかった、「グランドスラムのタイトル」だ。

 そのなかで中村に求められた役割は、大きく分けてふたつあった。

「ひとつは、彼女が最も得意とする攻撃的なプレイスタイルを重視した上で、フルパワーのプレイを継続できるように、持久力を強化することです」

 持久力を強化すると言っても、どの筋肉をどう鍛えるかは、プレイの特性や戦略に応じて変わってくる。攻撃の際のポジショニングや、異なるコースに打ち分けられるボールへのアプローチの仕方も含め、新コーチのグローネフェルトと、日々徹底的な話し合いがもたれた。

 そしてもうひとつは、「肩に負担が掛からない動きの確立」だ。この方針に関しては、フィジオ(物理療法士)との連携が不可欠になる。古傷である肩に負担を掛けないためには、どのようなトレーニングが必要なのか? それらを綿密にフィジオと話し合い、「体幹や、下半身の部位の動きの効率性向上を追求した」と中村は言う。

 それぞれのエキスパートが互いを尊重し、連携してマリア・シャラポワという血統書付きのサラブレッドに向き合ったプロセスが、中村の言葉から浮き上がってくる。誰かひとりが欠けても、歯車はかみ合わない。ひとつ歯車が食い違えば、全体が崩壊しかねない。チーム全員が同じ青写真を見ることを意識して、強化は進んでいった。

 このように「チーム・シャラポワ」は熟練のプロ集団ではあるが、それでも成果が表れるまでには、それ相応の時間を要した。今年1月の全豪オープンでは、4回戦で当時世界ランキング24位のドミニカ・チブルコバ(スロバキア)に敗れている。3月のインディアンウェルズ大会では、3回戦で79位のカミラ・ジョルジ(イタリア)に金星を献上した。

「非常に苦しく、本当に厳しい時期でした」

 シャラポワが毅然とした仮面を被って隠してきた、苦しみの日々の真実――。シャラポワが抱えた苦しみは、チーム全体の痛みでもある。中村の言葉を借りれば、「『俺たちはできる!』と、なかば自己暗示をかけていた時期」でもあった。

 だが、そのような苦闘の中でも、「クレーシーズンでは、結果が出せるはず」との手応えを、中村は密かに掴んでいた。2012年から格段に進化した、「滑るようにスライドしながらボールを打つフットワーク」は、2年間に渡る体幹強化と下半身の安定により、さらなる成長を遂げている。「彼女のボールを打つ能力に、スライドのフットワークが加われば、鬼に金棒だ」との確信が、中村にはあった。

 そのような中村の確信を、誰にも増して痛感したのは、全仏決勝の対戦相手となったシモナ・ハレプ(ルーマニア)かもしれない。ハレプはフットワークの良さとミスの少なさ、そして何より、コートの空間を3次元にフル活用する戦略性の高さで、世界ランキング3位まで駆け上がってきた選手だ。そのハレプが、決勝戦後にこのような感想をもらしている。

「私は、しっかりとした戦術を持って試合に入っていた。アングルショット(※)を使い、オープンコートも作っていけた。それに、ボールも強打できていた」

※アングルショット=基本的にはトップスピンで角度をつけてボールを返球するショット。

「でも......」と、準優勝者は続ける。

「シャラポワは、ものすごく動きが良かった」

 30度に迫る暑さの中、3時間2分の死闘を制したシャラポワは、表彰式で勝者の証(あかし)を腕に抱き、万感を込めてこう言った。

「本当にみんなのおかげで優勝できたわ。このトロフィーを細かいピースに分けて、全員に分けられたら良いのに......」

 トロフィーを砕くわけには当然いかないが、中村たちには、その言葉だけで十分だろう。輝くトロフィーこそが、チーム全員が心血を注いだ結晶であることを、シャラポワを含めた全員が知っているのだから――。

内田暁●文 text by Uchida Akatsuki