【美味しんぼ】人気グルメ漫画がもたらした功罪とは? 『美味しんぼ』30年の変遷

写真拡大

この4月から5月にかけて、日本で一番話題になった漫画は『進撃の巨人』でも『ONE PIECE』でもなく、『美味しんぼ』だということに異論を唱える人はいないでしょう。小学館の週刊ビッグコミックスピリッツに掲載された最新シリーズ「福島の真実編」で、被災地の取材に訪れた主人公(山岡士郎)たち主要キャラクターが揃って鼻血を出すシーンが問題視され、自治体や閣僚からも公式コメントが出される異例の事態になりました。

この記事の完全版を見る【動画・画像付き】

インターネット上でもこの「福島の真実編」をめぐって一般のユーザーが感想を述べたり、議論を戦わせたりしましたが、驚いたのは「読んだことないけど」「アニメしか見てないけど」という前提で話していた人が意外なほど多かったことです。たしかに『美味しんぼ』は1983年の連載スタート以来、単行本110巻にも届く超長寿コミック。原作をすべて読んでいる人はそう多くないでしょう。

そこで今回は長大な『美味しんぼ』をいくつかのパートに分けて作風の変化を紹介しながら、この人気グルメ漫画が社会にどのような影響を与えてきたかを考えてみたいと思います。

■4つの時期で見る『美味しんぼ』の変遷

【1.人情コメディ期】 

のちに山岡夫人となるヒロイン・栗田ゆう子が「東西新聞社」文化部へ配属されるところからストーリーは始まります。おりしも創立100周年を控え、社主命令で「究極のメニュー」企画が持ち上がったタイミング。社員たちに厳しい“味覚テスト”が行なわれ、それをクリアした栗田さんとグータラ社員・山岡が「究極のメニュー」担当者に命じられました。

初期だけあってキャラクターの外見は今とまったく違うものの、“食べ物”だけに関しては異常なセンスと知識をもった山岡が、偏見に凝り固まった金持ちや有名人をへこませていく痛快パターンはこの頃から確立されていました。「1週間後、こんなフォアグラよりもっとうまい物を食わせてやる!」という例のパターンですね。

父親であり最大のライバルでもある海原雄山も初期から登場。まだ設定が固まっていなかったのか、しばらくは周囲を見下し、あちこちに暴言を吐く嫌味なキャラクターでした。「わあっはっはっはっ!」と高笑いする雄山は今になって読み返すと新鮮です。

しばらくは山岡と雄山の対立を挟みながら、“食べ物で人助けする”という『美味しんぼ』の王道展開が続いていきます。ファンの間で屈指の人情エピソードとして名高い「トンカツ慕情」もこの時期、11巻に収録されています。

■2.対決期・ラブコメ期

15巻からライバル新聞社が「至高のメニュー」企画を立ち上げ、山岡と栗田さんは究極側の担当者として否応なく争いに巻き込まれていきます。しかも至高側の担当者は海原雄山! 父子の対立が大手新聞社の勝負とも絡み合い、ハイレベルでスリリングな料理対決のシーンが何度も描かれます。

また、栗田さんの女子力ならぬ“ヒロイン力”も格段にアップ。山岡に嫉妬したり、まわりから焚き付けられて赤面したりする甘酸っぱい展開が増えてきます。山岡には大財閥の令嬢、栗田さんにはイケメン青年カメラマンとイケメン社長が想いを寄せるという複雑な人間模様が絡みあいながら、最終的に山岡が栗田さんへプロポーズを成功させます。連載スタートから10年あまり経過した、43巻での出来事です。

この時期になると雄山もかなり性格が丸くなって、他人を思いやる描写が増えるほか、料理対決に敗れた山岡へ“人に感動を与えるのが料理だ!”と正論を説くシーンもたびたび見られます。栗田さんに“試験”を課してクリアしたら2人の披露宴に参加するなど、ガンコさを残しつつ物分かりがよくなりました。暴れん坊から人格者への見事なジョブチェンジを果たしたのです。

47巻では山岡と栗田さんの披露宴が催され、出席した雄山がそれとなく“息子への愛情”を見せるシーンは必見。のちの和解に繋がっていきます。

■3.和解期

結婚してからは従来の人情コメディや究極vs至高対決に加え、まだまだ雄山への確執が解消できない山岡への“人格矯正”が行なわれていきます(栗田さん主導で)。さすがに2児の父となったからには、以前のような無頼派気どりではダメということでしょう。

この時期、卑劣な手段で東西新聞社を乗っ取ろうとした“黒いマスコミ王”金上が新たな脅威として登場。山岡が窮地に立たされた時は雄山が助け、雄山が金上のワナにかかった時は山岡が救いの手を差し伸べるなど、究極と至高のタッグによる共闘が見られました。こうした経緯を重ね、かたくなだった山岡の態度も少しずつ軟化していきます。

そして記者が個人的に『美味しんぼ』最高のエピソードと感じたのは67巻に収録された「雄山の危機!?」です。雄山が不慮の事故で意識不明に陥った際、山岡は実家でもある高級料亭「美食倶楽部」へ乗り込み、雄山不在のなかで料理人たちを見事に使いこなして重要な接宴をやりとげます。父と子が直接かわした言葉は少ないですが、さりげない無言のコマにも両者の心情が込められていて、何度読んでもジーンときます。

ただ、2人とも比類なきガンコ者なためか、完全な和解に至るまではさらに年月を要します。山岡と雄山が母親(妻)の写真を見ながら盃を酌み交わしたのは102巻。連載開始から25年が過ぎていました。

この出来事は“歴史的和解”として一般のニュースでも報じられたので、ご存知の人は多かったでしょう。単なる漫画中の出来事が広く報道されるあたり、『美味しんぼ』がもつ影響力の大きさを感じさせられます。

■4.社会派ドキュメンタリー期

103巻以降も究極と至高の対決は続いていきますが、3人目の子をもうけた山岡と栗田さんは担当者から降板します。後任には若手社員・飛沢が選ばれ、山岡たちはアドバイザーとして取材などに参加します。

この飛沢は東西新聞の社員でありながら雄山にも心酔して、なんと“弟子入り”までしてしまう個性の強いキャラクター。この時期は雄山もさらに人格者となり、飛沢を鍛えるため助言を惜しみません。飛沢は山岡と雄山、どちらからも教えを受けられるというすばらしい環境で能力を伸ばしていきます。

さて、本編は引き続き山岡視点をメインに、社会派ドキュメンタリーの色を強めます。連載初期〜中期は「東西新聞」「帝都新聞」といった実在しない社名ばかり出し、また捕鯨などデリケートな問題を扱う時も固有名詞の多くは架空でした(実在の名称が出る話もありましたが)。しかし近年はその傾向が変わり、実在する店舗名・地名・人名の出てくる頻度が格段に高まりました。

2011年の東日本大震災以降は原作者・雁屋哲氏も被災地の取材を熱心に行なっていたようで、108巻は丸ごと1冊「被災地編・めげない人々」として東北地方の惨状や、苦境でも負けない人たちを紹介しています。これが(今回話題にもなった)110巻以降の「福島の真実編」へと続いていくわけです。実際に読んでみると被災地へのエール、そして福島県産食品が受けている“風評被害”への憤りが描かれており、ニュース報道とはまた違った印象を受けることでしょう。

ドラマとしては父子の和解が完全なものとなり、最近はついに雄山を「父さん」と呼んで普通に会話している山岡が描かれました。古くから『美味しんぼ』を追いかけているファンとしては、このシーンだけで感動ものです。

■『美味しんぼ』がもたらした功罪

ここまでおさらいしたように、30年あまりにわたって“食と社会のつながり”“父子の対立と和解”を描き続けてきた『美味しんぼ』。いまや国民的グルメ漫画になり、発行部数は1億冊を突破しています。

まだインターネットもなかった連載初期、「魚はシメてから時間をおいたほうが美味しい」「日本が真夏でも良質な蕎麦粉を入手できる」など豊富な情報量で読者をうならせ、また“グータラ社員が偉い人間をやりこめる”というカタルシスに満ちたストーリー構成は誰が見ても分かりやすく、純粋な娯楽活劇として楽しめました。

数えきれないほど誕生した後発のグルメ漫画も「後から料理を出した側が勝負に敗れる」「たまたま主人公が訪れた潰れかけの店は必ず最後に繁盛する」といった、『美味しんぼ』が普及させた王道パターンの影響を受けています。情報量、人情、恋愛、料理バトル、父子の愛憎劇が多重に絡み合った『美味しんぼ』は、まさに日本の漫画界が誇る“傑作”のひとつに数えられるでしょう。

反面、あまりにメジャーになりすぎたため、作中の描写が大きな社会的関心を呼んでしまうことにもなりました。良い意味では“歴史的和解”報道であり、悪い意味では“放射能と鼻血描写”報道です。今回の騒動について雁屋氏はブログで「ここまで騒ぎになるとは思わなかった。」と語っていますが、これは自身の作品がもつ影響力を甘く見すぎていたのでは、と思われます。

過去に『美味しんぼ』の描写をめぐる問題は何度かありました。“乳幼児にハチミツ入の離乳食を与える”回は危険だとの指摘を受けて欠番エピソードになり、また“マイクロソフト製品を全面否定した”回がマイクロソフト社を怒らせ、実際に同誌から広告を引き揚げる騒ぎにもなっています。

また、14巻に収録された話では、山岡たちの上司が「上司の食事の誘いを断る者はガンにかかってしまえ!!」と茶化すシーンがあります。当時はそれほど有名漫画でなかったこともあり見過ごされましたが、もし現在の『美味しんぼ』で同じセリフを出したとすれば、患者団体などから抗議が寄せられかねません。雁屋氏とスピリッツ編集部には『美味しんぼ』が秘めている影響力を過小評価せず、また主観の入った(科学的根拠はないが被災地で鼻血が出る)シーンでは「※取材に基づいたフィクションです」の文言を入れておくなど一定の配慮を願いたいところです。

『美味しんぼ』は「福島の真実編」を終えてから休載しており、再開時期や新シリーズのテーマは発表されていません。ファンとしては今一度“食をテーマにした人情コメディ”の原点に立ち戻り、昔のように泣いて笑って感心しながら読み進められる『美味しんぼ』復活を心待ちにしています。