元大関魁傑で放駒親方となり、相撲協会理事長も務めた西森輝門氏が、5月18日午後に亡くなった(享年66)。ゴルフの練習中、気分が悪くなり病院に運ばれたが、そのまま息を引き取ったという。
 「相撲協会では、清廉潔白な人物として知られていました。大相撲が危機に瀕するたびに火中の栗を拾い、立て直した。自分のことしか考えない人物が多い角界で、最も一般社会に近い人でした」(相撲関係者)

 放駒親方時代に最初に救いの手を伸ばしたのは、'85年、盟友だった輪島が所有する花籠株を担保に借金をしていることが発覚し、廃業を余儀なくされた時だ。
 「名門の花籠部屋が借金のかたに入っているとして一大スキャンダルになり、部屋の力士30人も動揺したが、放駒部屋が引き取った。2度目は、相撲界が八百長問題に揺れた4年前のこと。弟子の不祥事で表に立てない北の湖元理事長や武蔵川元理事長に代わって理事長に選ばれ、見事に協会を立て直しました。そして昨年には退職。功労者は通常、相撲博物館の館長に就任するのですが、本人は完全に身を引いて多くを語らず、取材等を申し込まれても断っていたのです」

 特筆すべきは、大関魁傑時代から、常にクリーンな力士だったことである。
 「ガチンコ力士だったから、3度も大関を陥落した。2度も大関に返り咲いたなんていう不屈の精神の持ち主はそういません」(元力士)

 本誌記者はかつて、放駒親方時代にインタビューしたことがある。テーマは外国人力士に関してだった。
 '92年当時、モンゴル人力士が大相撲の世界に入り、話題になったが、あまりの厳しさに脱走してモンゴル大使館に逃げ込んだことがあった。これが師匠会でも問題となり、外国人力士排除の動きも出たという。
 これに関し、放駒親方に質問すると紛糾している事実を認め、「日本とモンゴルの国際問題に発展するようでは困る」と、排除の意見を抑える考えを冷静に示していた。その後の角界を考え、理路整然としたキレ者の印象が強かったことを覚えている。

 大相撲は特殊な世界。が、だからといって何でも許される世界ではない。その中で、まさしく改革の流れを作った功労者だった。