レスリング界にとてつもない怪物が現れた。山本アーセン、17歳。すでに世界カデット選手権(年齢枠16、17歳)やハンガリー選手権を制した実績を持つ。祖父はミュンヘン五輪で日本代表だった郁榮、母親は史上最年少で世界王者になった美憂、さらに総合格闘家の"KID"徳郁は叔父で、世界選手権V4の聖子は叔母というサラブレッドだ。

 一族が集まったらどんな会話になるの?と訊くと、アーセンは笑いながら答えた。

「食事の時でも、あのタックルはね!という話になる。お母さんとはきょうだいみたいな関係ですね。普通にベッドの上でバックドロップをかけたりしていますよ(笑)」

 アーセンがまだ3、4歳の頃、筆者は彼のタックルを目撃したことがある。そのスピード、相手の懐(ふところ)に入る踏み込み......とても幼児とは思えない動きだった。案の定、小学校に入学すると、何度となく全国少年少女レスリング選手権で優勝する。アーセンにとって、レスリングは遊びの延長だったという。

「小学校低学年の時、平日の放課後は友達と遊んで土日はレスリングの練習。週末になったら、やったぁ!みたいな期待感でいっぱいでした。レスリングもそうだけど、スポーツは楽しむためにあるものですから」

 13歳になると、日本レスリング協会の福田富昭会長の計らいで単身ハンガリーへ。幼少時にハワイで暮らしたことがあったため英語には不自由しなかったが、ハンガリー語はしゃべれない。最初の数週間は本当にきつかったと振り返る。

「言葉がわからないし、友達もいない。でも、そういう時にこそ自分を見せなければダメだと思って、英語で俺はこういう男だよって笑いを織り交ぜながら説明しました」

 いまではハンガリー語の読み書きは全く問題ない。昨年秋、現地で世界選手権が開催された時には、日本チームの通訳として駆り出されたほどだ。

「ハンガリーに渡ったことで精神的にすごく強くなったと思いますね。日本を離れて初めて親のありがたみもわかったし、行って正解だったと思います」

 ロシアとともに旧東ヨーロッパ圏は上半身だけを攻め合うグレコローマンスタイルが盛んな地域。日本ではフリースタイルの方が盛んだが、アーセンは小6の時からグレコローマンで勝負しようと心に決めていた。

「おじいちゃんがグレコローマンをやっていたというのもあるけど、過去のオリンピックを振り返ってみると日本はフリースタイルが強い。対照的にグレコでメダルを獲っている人は少ないじゃないですか(金は4名のみ)。だったら次は僕が獲りたい」

 同年代の選手中でアーセンの実力は抜きん出ている。留学先のハンガリー選手権を8連覇し、昨年の世界カデット選手権では、ヨーロッパの同選手権の絶対王者に君臨するトルコの選手を破って初優勝を果たした。

 今年はひとつ上の世代の大会――世界ジュニア選手権での優勝を狙うべく、4月26日、横浜で行なわれた全日本ジュニアレスリング選手権(年齢枠17歳〜20歳)に66kg級で出場した。ほかの出場選手は全員大学生だったが、アーセンの存在感は突出していた。"スーパー高校生"と形容したくなるほど、実戦で活かせそうな筋肉の鎧(よろい)を身にまとっていたからだ。

 しかし、初戦でアーセンは涙を呑んだ。行く手を阻んだのはアーセンと並ぶ優勝候補の高橋昭五(日本体育大学)。場外際の攻防でアーセンは巻き投げに行くふりをしてタックルへ。その動きに合わせて高橋は横捨て身を決めた。アーセンからは高橋の手が先に場外に出ていたように見えたので自分の得点になると思ったが、主審は高橋に4ポイントを与えた。この場面が勝負の明暗を分けた。アーセンは、いまだに気持ちの整理はついていないと唇を噛む。

「敗因? 心の弱さが出ちゃったかな。試合が始まった直後は動きも良くて、自分のステップも踏めていた。組んでも、相手が逃げているのがわかった。正直、気を抜かなければ大丈夫だろうと思っていたんですけどね」

 試合後、カナダに住む母に電話を入れると、労いの言葉をかけられた。

「大丈夫。負けることも必要だし、練習なんだから」

 この一戦を映像で見た男子グレコ強化委員長の西口茂樹も「全く恥じることはない。いい勉強になったはず」と評価する。

「ただし殻に閉じこもっていたらダメ。リオデジャネイロ五輪に出たければ、全日本チームの合宿に参加して66kg級のレベルを知った方がいい」

 この敗北をプラスととらえるように、アーセンも気持ちを切り換えた。

「同じ過ちをオリンピックやシニアの世界選手権で犯したらアウトじゃないですか。ジュニアの1年目で経験できたので意味のない敗北ではない。本当にいい経験になったと思います」

 これまでも挫折知らずだったわけではない。一昨年にはハンガリー選手権以外、主要な大会では優勝できないというスランプに陥った。俺は何をやっているのかなと諦めにも似た気持ちになった。

「思い切ってレスリングを辞めて勉強した方がいいのかな?と考えた時もありましたよ」

 精神的に追い込まれたアーセンを救ったのは、亡き祖母・憲子さんだった。ある日、夢の中に憲子さんが現れ、美憂やアーセンたちが練習に集中できるようにサポートしてくれたのだ。夢から覚めたアーセンは自分がレスリングをやる動機を思い出した。

「そうだ、俺はオリンピックで優勝するためにやっているんだ」

 ポジティブ思考は母親譲りだという。

「母親としてもアスリートとしても尊敬している。お母さんは新しい技が欲しくなったら、とことん追求する。その姿勢を見習ってきたので。去年の冬なんか、『アーセンのタックルを教えて』と頼んできましたからね。俺のタックルが世界王者に認められたんだと思って、メチャクチャうれしかったです」

 もうすぐハンガリーの高校は卒業だが、その後もアーセンは現地でレスリングを続けるつもりでいる。

「あっちの練習場所はクラブチームなんだけど、ハンガリーのトップ選手が集まっているところなんです。オリンピック選手もいて、エリート合宿のようなすごくいい環境」

 リオデジャネイロまであと2年、オリンピックの具体的なイメージはまだ沸かない。

「僕のまわりには夏季も冬季も含めてオリンピック経験者がたくさんいるけど、みんな『想像できないほど大きいよ』と口を揃える。これからイメージしていくつもりです」

 ミュンヘンで祖父の郁榮は疑惑の判定に泣き、7位に終わった。

「アーセン、これを見ろ」

 小学校低学年の時、実家で祖父からアルバムを渡されたことをアーセンは鮮明に覚えている。中にはミュンヘンの記事や写真がスクラップされていた。当時の状況を説明しながら、郁榮の頬に一筋の涙が流れ落ちた。子供心にアーセンは祖父の心中を慮(おもんぱか)った。

「おじいちゃんの涙を見たのはもう一回あって、僕がハンガリーに留学する時、成田空港まで見送りにきてくれたんですよ。おじいちゃんが泣いたら、僕ももらい泣きしてしまいました。おじいちゃんは強がりだけど、けっこう寂しがり屋だから」

 ミュンヘン以降、山本家はオリンピックに出場していない。一族の期待を背にしながら、アーセンは今まで通り楽しみながらレスリングに打ち込んでリオデジャネイロ行きの切符をもぎとるつもりだ。

「17歳になっても心は子供のままだけど、おじいちゃんやお母さんたちが叶えられなかった夢を叶えます。俺がみんなをオリンピックに連れていってやりますよ!」

布施鋼治●取材・文 text by Fuse Koji