今週はこれを読め! ミステリー編

"そうやって悦楽に浸るのか? のぞき魔め......"
"ヘンタイ野郎......仲間を売りやがって......ヘドロより汚え......"
----それでもおまえよりはましだ。

 誰とも心の悩みを分かち合うことができず、孤独な闘いを続けるしかない。
 そうした主人公の系譜にまた一人の名が連ねられることになった。
 マルコム・フォックス。

 イアン・ランキン『監視対象 警部補マルコム・フォックス』(新潮文庫)の主人公である。彼はスコットランド・エジンバラのロジアン&ボーダーズ州警察に奉職する刑事だ。所属はPSU、すなわち職業倫理班。同じ警察官の汚職や逸脱行為を調査し、摘発するのが現在の仕事である。だから一部の同僚からは蛇蝎の如く嫌われている。

 グレン・ヒートンという刑事を停職に追い込んだばかりのフォックスに、新しい任務が舞い込んできた。今度の監視対象はジェイミー・ブレックという27歳の捜査課に属する刑事である。彼にかけられた嫌疑は、児童を性的に虐待している画像を取り引きしているというものだ。インターネットを介し、国外の小児性愛者とやり取りをしている形跡があった。

 早速調査を始めたフォックスだったが、事態は思わぬ方向に動き始める。彼には介護施設に入っている父親ミッチと妹のジュードという2人の家族がいた。しばらく前からジュードは、パートナーであるヴィンス・フォークナーという男から継続的に暴力を振るわれていたのである。そのヴィンスが無惨な撲殺死体となって発見された。妹が殺人事件の重要参考人として扱われることに憤慨したフォックスは、自身でも事件の背景を調べようとして動き始める。しかし捜査を担当していたのは、ヒートンを停職に追い込んだことでフォックスに憎悪の目を向けるウィリアム・ジャイルズ警部だった。あからさまに敵意を向けてくるジャイルズを出し抜くために、フォックスはある男を利用しようとする。監視対象であるはずの、ジェイミー・ブレックだ。彼もまた、ヴィンス・フォークナー殺人事件の捜査に当たっていた。

 フォックスとブレックは、肚の内を明かさないままに共闘態勢をとることになる。その関係が本書の核になっている。肉親を救おうとしたために、フォックスは危ない立場に自分を追い込んでしまう。その不安定さによってたまらないサスペンスが醸し出されるのだ。ある登場人物がフォックスに言う。「あなたはだれかを信頼する必要があるという気がするのですが」と。しかしできないのである。彼が落ちこんだ陥穽はあまりに深い。

 これだけでも読者にページを繰らせるための牽引力には十分だが、作者はさらに仕掛けを連ね、プロットを複層化させている。フォークナーの事件を観察している中でフォックスだけが気づいているのだが、その周囲には二つの円環が生じていた。捜査陣の誰もが目を向けていない、とある別の事件との間に見えない影響関係がある。そして、フォックス自身が巻き込まれた事態を裏で仕組んだ者がいる。二つの円弧は一見交わらないようでいて、しかしながら中心にフォックスという接点を持っているようでもある。不安定な足場の上で必死に生き延びるすべを模索しなければならない。そうした事態に陥りつつも、彼は捜査の手を止めようとはしないのである。根っからの刑事なのだ。物語は最初から最後まで動きっぱなしだが、次第にギア比が上がり、歯車は高速で回転し始める。終盤150ページほどの展開は見事というしかなく、息をすることも忘れるほどにのめりこんだ。

 イアン・ランキンは『黒と青』などのリーバス警部シリーズ(すべて早川書房)で日本でもよく知られており、現在の英語圏を代表する警察小説の書き手である。その作家の新シリーズが開幕するのは楽しみと言うしかないが、本書の訳者あとがきによればすでに4作目までが発表されているらしい。しかも、第3、4作のStanding in Another Man's GraveとSaints of the Shadow Bibleでは、フォックスとリーバスが共演するそうなのだ。うわっ、これはたいへんなことになってきた!

(杉江松恋)



『監視対象: 警部補マルコム・フォックス (新潮文庫 ラ 18-1 警部補マルコム・フォックス)』
 著者:イアン・ランキン
 出版社:新潮社
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