イエス・キリストが磔刑に処せられたのは12使徒の1人ユダが裏切ったからだ――。新約聖書にこう書かれたことで、ヨーロッパではユダヤ人は裏切り者(キリストの敵)と見なされ、迫害の対象となった。だがちょっと考えればわかるように、イエス自身が「ユダヤ人の王」を名乗り、弟子のほとんどもユダヤ人だったのだから、これは言い掛かりもはなはだしい。キリスト教を受容する過程のなかで、いつのまにかイエスや弟子たちが自分たちと同じ民族になり、ユダヤ人差別を正当化するためにユダだけがユダヤ人とされたのだ。

 キリスト教の歴史のなかで、こうした史実の改変はあちこちで行なわれている。

 私たちは欧米経由でキリスト教を理解しているため、無意識のうちにヨーロッパ中心主義を当然のものとしてしまう。宗教革命以前は西ヨーロッパのキリスト教はカトリックだったから、これはカトリック(バチカン)中心史観でもある。

 それでは、バチカンが隠蔽し改竄しなければならなかった歴史とはいったい何だろう。

 それは、「もうひとつのローマ」の存在だ。

初期キリスト教の歴史はいきなり帝都ローマへ

 イエスの死後、キリスト教は邪教としてローマ帝国の弾圧にさらされる。なかでも“暴君”ネロがローマ大火をキリスト教徒による放火として信者を処刑し、初代ローマ教皇ペテロが逆さ十字にかけられて殉教したことは広く知られている。こうした逸話から、カトリック史観では、初期キリスト教の歴史はエルサレムからいきなり帝都ローマへと移ってしまう。

 しかしこれは、徒歩やロバで移動するしかなかった当時の交通事情を考えればあり得ない話だ。

 キリスト教は、ユダヤ教の選民思想を否定することですべての民族に開かれたグローバル宗教となった。だがこれは、当のユダヤ人にとってはキリスト教を積極的に信仰する理由がない、ということでもある。わざわざ自分たちの既得権(全知全能の神によって選ばれた民族)を放棄する必要はないからだ。

 それでは初期のキリスト教はどこで、誰に対して布教を行なったのだろう。

 どこで、というのは地図を見れば明らかだ。エルサレム(ユダヤの土地)で布教が進まないのであれば、まずは近くの都市を目指すほかないない。

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