私が高校で世界史を学んだ頃は、ヨーロッパ中世は暗黒の時代とされ、そのなかでもビザンティン帝国というのはよくわからないものの筆頭だった。

 古代ローマ帝国は紀元1世紀から2世紀にかけて即位した5人の皇帝(五賢帝)の時代に最盛期を迎えたのち、混乱と分裂に陥る。これを収束させたのがコンスタンティヌス1世で、ササン朝ペルシアの侵略に備えるため330年に首都を東西交易の要衝だったビザンティウムに移すとともに、キリスト教を公認した。これがヨーロッパ史の古代と中世を分ける画期となった。

 ローマ帝国の新首都ビザンティウムは、コンスタンティヌス1世の死後、コンスタンティノポリス(コンスタンティヌスの都)と改名されたが、その後も帝国の混乱はつづき、テオドシウス1世の死後、395年に東西に分裂することになる。

 西ローマ帝国は4世紀後半から始まったゲルマン民族の大移動に耐えられずに476年に滅亡し、その領土からイギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなど西ヨーロッパ諸国が生まれた。それに対して後世、ビザンティン帝国と呼ばれるようになった東ローマ帝国は、オスマントルコの侵略に苦しんだあげく最後には領土がコンスタンティノポリスの城壁の中だけになり、1453年にメフメト2世率いる10万のオスマントルコ軍に攻められ滅亡した。

 最盛期のビザンティン帝国の領土は現在のトルコ(アナトリア半島)を中心に、バルカン半島から黒海周辺(ブルガリア、ルーマニア)、地中海東岸(シリア)まで広がっていたが、近代の成立とともに“世界の中心”となった西ヨーロッパに比べて影が薄く、第一次世界大戦の原因になるまで世界史の教科書にもほとんど登場しない。

東ローマ帝国のギリシア正教

「ビザンティン帝国って何だろう」と疑問に思ったのはギリシアの首都アテネを訪れたときだった。

 西ローマ帝国(西ヨーロッパ)と東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は、キリスト教を国教としながらも、カトリックと正教のいずれを正統とするかで分かれることはよく知られている。正教の代表はギリシア正教なのだから、アテネにはローマ(バチカン)のサン・ピエトロ大聖堂に匹敵する壮麗な教会があるにちがいないと思っていた。

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