3階級制覇の夢は、ひとまず、おあずけとなった――。5月7日、大阪ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)で行なわれたIBF世界フライ級タイトルマッチで、挑戦者の井岡一翔(25歳・井岡ジム)は老練なチャンピオン、アムナット・ルエンロン(34歳・タイ)の前に12回判定負け。プロ15戦目で、初の黒星を喫した。7戦目でミニマム級、11戦目でライトフライ級を制覇してきた井岡だが、ここで小休止を強いられることになった。なぜ、井岡は敗れたのだろうか。

 130年におよぶ近代ボクシングの歴史上、世界3階級制覇(4階級、5階級、6階級制覇を含む)を達成しているボクサーは、優に30人を超える。日本で唯一の達成者である亀田興毅(27歳・亀田ジム)がそうであるように、その多くは現在のような「17階級×4団体」が定着した1980年代以降に集中している。3階級制覇に2度挑んで跳ね返されたファイティング原田の時代(1960年代)とは、ボクシングビジネスを取り巻く事情や環境、そして世界王座そのものの価値も比べようもないほど大きく変化していることは否めない。それでも、「トリプルクラウン(3冠)」がトップボクサーたちのひとつの目標であり、それが今も高い山であることに変わりはない。つい2週間前には長谷川穂積(33歳・真正ジム)が登頂を目指したが、3度のダウンを喫して7回TKOで敗れたばかりだ。

 今回の井岡のチャレンジは、決して無謀でもなければ、勝算が低かったわけでもない。オンラインカジノのオッズでは、9対2で井岡有利。3冠達成の可能性は高いとみられており、井岡自身も、「ひとつの通過点」と位置づけていたほどだ。フライ級はライトフライ級よりも約1.9キロ重い分、減量の負担が軽減された井岡は上々のコンディションだったというが、リングの上では思ったようなボクシングをさせてもらえなかった。

 特に前半は、完全にチャンピオンが試合をモノにしていた。長く速い左ジャブで機先を制し、井岡が距離を詰めてくると、タイミングのいい左右のアッパーを突き上げた。これは、左右のグローブを縦に構え、顔面をカバーする井岡に対しては有効なパンチだった。大きなダメージを与えるまでには至らないものの、挑戦者の意識を防御に向け、攻撃を躊躇(ちゅうちょ)させる効果は十分にあった。現に、井岡は思い切りよく飛び込むことができず、左右の拳はガードに使う場面のほうが多かった。また、圧力をかけて前に出たものの、パンチの数は少なく、後手を踏んだ印象は否めない。3人のジャッジのうちふたりが40対36、もうひとりも39対37で、アムナット優勢とつけたほどだ。スタミナに不安を抱える34歳のチャンピオンは、残りの8ラウンドを互角で乗り切れば勝利が転がり込む計算ができたことになる。

 勝負の分岐点は、この前半にあったといえる。井岡は左ジャブを起点にしてボクシングを組み立てるタイプで、総合力に大差がある場合はともかくとして、序盤から一気呵成(いっきかせい)に攻め立てることは少ない。前半は相手にペースを渡さない程度にやり合い、押したり引いたりしながらボディブローでじわじわと相手にダメージを植えつけ、相手との戦力バランスが崩れる中盤から終盤で引き離す展開が多い。長丁場を意識した、賢く堅実な戦い方といえるだろう。特に相手との力量が拮抗している場合は、その試合運びの巧みさが目立つ。2年前の八重樫東(31歳・大橋ジム)戦や、昨年大晦日のフェリックス・アルバラード(25歳・ニカラグア)戦などは、その典型といえよう。

 ところが今回は、前半で大きく出遅れた。しかも、打開策が見つからないまま、中盤を迎えなければならなかった。アムナットの右ストレートとアッパーの脅威にさらされ、左右のガードを外すわけにはいかない。踏み込みが浅いために、得意のボディブローも十分な効果がみられない。距離が詰まると老獪なチャンピオンにクリンチで攻撃を寸断されてしまう。それでも、序盤の失点を取り戻すために攻めなければならない――そんなジレンマを抱えながら、井岡はラウンドを重ねたはずだ。

 その結果、119対108=アムナット、115対112=アムナット、114対113=井岡、という3人のジャッジにより、井岡の3階級制覇は失敗に終わった。119対108を付けたアメリカ人ジャッジの採点は論外としても、アムナットの勝利は妥当なところであろう。井岡は数発のボディブローを除き相手に明確なダメージを与えることができず、顔面へのクリーンヒットも数えるほどで、大きな山場を作れないまま試合終了のゴングを聞くことになった。前半の攻防で井岡の攻撃力を半減させ、さらに中盤から終盤にかけてクリンチワークを多用するなど、チャンピオンの試合運びの巧さが目についた試合だった。「消化不良」「ごまかされた」という印象も残ったが、それも含めて9歳年長のアムナットが井岡を上回ったといえる。

 ただ、負けたとはいえ、この日の井岡の戦いぶりを見て、相手との体力差やパワーの面での不足は感じられなかった。また、1クラス上の階級の壁という印象も受けなかった。不足していたのは、やはり「経験」ということになるのではないだろうか。下がりながら巧みに試合をコントロールする相手をどう攻略するか、ジャブからの組み立てができない場合にどう次の矢を継ぐか、噛み合わない中でいかに攻勢をジャッジにアピールするか――、そんな課題が浮き彫りになったという点では、収穫があったといえる。

 3階級のみならず、4階級、5階級制覇を目指すためには、井岡自身がこの敗北を受け入れて自己分析し、さらに客観的な分析をする必要があるだろう。そうすれば、この挫折が「通過点」になる日が必ず来るはずだ。3月で25歳になったばかりの井岡は、まだまだ成長の途上といえる。

原功●文 text by Hara Isao