5月特集 F1 セナから20年後の世界
川井一仁が語るセナpart2

 アイルトン・セナが新興チームのトールマンからF1にデビューしたのは1984年。その後、ロータス・ルノーでの2シーズンを経て、87年にホンダがロータスへのエンジン供給を開始。

 それが「セナとホンダ」という伝説の始まりとなる。一方、86年にホンダのモーターホーム運営スタッフとしてF1のパドックで働き始めた川井一仁氏は、同じく87年、中嶋悟のF1フル参戦と共にスタートしたフジテレビF1中継のレポーターへと転身。以来、日本のF1ファンに「川井ちゃん」と親しみをこめて呼ばれ、最も近い場所でセナの戦いを見つめ続けた日本人のひとりとなった。

 そんな川井氏にとって、セナは唯一の「カリスマ」であると同時に、F1の「同級生」という意識もあったという。

 僕が初めてセナと言葉を交わしたのは、たぶん86年のイギリスGPだったと思う。F1デビュー3シーズン目でロータス・ルノーのエース、当時の僕はホンダのモーターホームの管理を手伝っていた。

 ブランズハッチ(※注:イギリスのサーキット、当時のF1イギリスGPはシルバーストンとブランズハッチの隔年開催となっていた)の1コーナーはメインストレートから一気に下りながら右に曲がり込む、ジェットコースターみたいなコーナーで、その1コーナーで見ていたら、セナのブレーキングがものすごく安定していて、ともかく、同じロータスに乗るチームメイトのジョニー・ダンフリーズの危なっかしいブレーキングとはまるで別モノ。ヘルメットを見るまでもなく、どちらが運転しているのか言い当てられるぐらいだった。

 その時にすでにロータスとホンダの契約のハナシがあったのかどうかは思い出せないが、どういう理由か、セナがホンダのモーターホームに遊びにきたとき、直接、彼に聞いてみたんだ。「ねぇ、あの1コーナーは何を目印にしてブレーキングしてるの?」とね。そうしたら「1コーナー手前のマーシャルポスト目指して突っ込んで、ぶつかる直前にターンインすればピタリと理想的なラインに付けるんだ」と教えてくれてさ。それを聞いた後は、危ないからマーシャルポスト(コース係員が待機する小屋)の近くに立たないようにしたもんなぁ(笑)。

 そういえば、その頃、セナに女性を紹介したこともあったなぁ。その時、一緒に仕事をしていた同僚がイギリスのシルバーストンのテストにモデルを連れていったら、F1のこともセナの顔も知らないのに、コース上でセナの走りを見るとすぐに、「あの人すごい!カッコいい!」と彼女が言いだしたわけ。

 それで、手紙をセナに持って行ってくれということになった。彼女はモデルだったので、自分のプロフィール・カードを同封したらしいけど、そんなものが手紙の中に入っているとはこっちは知らなかったんだけどね。手渡して1時間もしないうちに、セナが、「あの子の電話番号知ってる?」と戻ってきた(笑)。その時のセナの顔ったら......。女性に関してはシャイな奴だったからね。セナも若かったんだよ。

 この後、ロータス・ホンダに乗った頃からセナに風格がでてきた。速いドライバーは例外なくそうなんだけど、ともかく「偉そうで生意気」だった(笑)。全身から「私、大物ドライバーですから!」というオーラがバッチバチ出ていた。

 それと、F1フォトグラファーの金子博さんが「セナって笑わないんだよなぁ」と言っていたんだけど、たしかに、セナが心から笑っている顔ってほとんど記憶にないんだ。もちろん、つくり笑いぐらいはするけれど、彼は自分を思い切り解放している姿を、ほとんど見せなかったと思う。

 セナがはしゃいでいる姿で、唯一思い出すのは、今はもうなくなっちゃった鈴鹿のログキャビン(※)で大騒ぎしていたときぐらいかな。
※鈴鹿サーキットホテルにあったカラオケ用ログハウス。以前は最終戦日本GPを終えたドライバーやチーム関係者がレース後の打ち上げパーティに利用したが、今は使われていない。

 ともかく、セナは自分のやっていることにすべてを注ぎ込む、集中し過ぎるほどのめり込んでしまう完璧主義者だった。もちろん、気難しい人だったから、インタビューをしていて、セナの機嫌が悪くなったり、怒ったりすることも多かったよ。セナとずっと仲が良かったブラジル人ジャーナリストが、突然「お前とは二度と口を聞かない」と言われることもあった。

 僕もセナを怒らせたことがある。88年シーズン後のオフに、セナがインタビューの時間に遅れてきたことがあって、45分間の予定だったのに20分しかできないと言うから、いきなり「モナコGPのリタイアの話ですけど......」と切り出したんだ。そうしたらセナが「お前は何でそんな悪いことばかり聞くんだ?」と怒り出すから「勝ったレースはどうでもいい。それよりも勝てなかったレースで『なぜ勝てなかったか?』に興味があるんだ」と答えた。そうしたら彼は、インタビューの途中で切り上げて帰っちゃったんだよ。

 面倒くさいけど一応、仲直りしないといけないから、3カ月後、ブラジルであったシーズン前のテストの取材に行くときに、成田空港の模型屋で5万円ぐらいする2気筒のラジコン用エンジンを買っていったんだ(※注:ラジコン飛行機の操縦はセナの数少ない趣味のひとつだった)。

 でも、ヤツに直接謝るのはこっちとしてもシャクだったから、当時、セナのマネージャーをやっていた叔父さんのアルマンドに「あの時ゴメンなって、これをセナに渡しといてね......」と頼んだわけ。そうしたら後で、コースサイドでテスト走行を見ていた俺の肩をセナが後ろからポンポンッと叩いてきて、「あれ、ありがとう。あの時は俺も悪かったから......」ってさ。まぁ、それで仲直りだよね(笑)。

 セナで特に印象に残っているレースは何かと考えると、いろいろありすぎて、何を挙げたらいいのかわからない......。88年のモナコとか、93年の雨のドニントン(イギリス)......。ともかく、数え上げたらきりがない。でも、あえて言えば、89年の鈴鹿、日本GPだろうか。予選で2位のアラン・プロストを1.7秒もぶっちぎって、予選ポールポジションを獲得した時の、あの圧倒的な速さというのは印象的だった。

 今ほど緻密ではないにせよ、あの頃すでに走行データの分析ができるようになっていたけど、同じマクラーレン・ホンダに乗るプロストより1.7秒も速いっていうのは異常だったね。プロストだってその時、すでに世界チャンピオン2回獲得していたんだから、ほんとに尋常じゃない速さだと思う。

 ミハエル・シューマッハ、ルイス・ハミルトンやセバスチャン・ベッテルだって予選一発の速さを持っていると思う。でも、たとえば今年のハミルトンが、同じマシンに乗るチームメイトのニコ・ロズベルグを予選でコンマ5秒以上引き離すっていうのは、よほどのことがない限りあり得ないからね。

 そういう意味でも、セナの持つ「予選の天才」としての魅力、あの「一発の速さ」というのは、まさに神がかり的と言ってもいいものがあった。

 もちろん、「レーシングドライバーはレースで勝ってナンボ」と言う人もいるけれど、やっぱりレーサーを「好きになる」最大の理由っていうのは、「一発の速さ」だと思う。同じマシンを「誰よりも早く走らせる才能」。それが、セナの魅力だったし、多くの人たちの気持ちを揺さぶったんじゃないかな。

 だから、あの後も「記録」という意味で言えばすごいドライバーはたくさんいたけれど、少なくとも自分がこれまで生きてきた中で、セナは唯一の「カリスマ」であり続けているんだと思う。

part3へ続く

プロフィール
川井一仁(かわい かずひと)
1960年埼玉県生まれ。モータースポーツジャーナリスト。日本でF1のテレビ中継が開始された1987年から、ピットレポーターとして活躍。
現在はフジテレビNEXTのF1中継のほか、「F1GPニュース」(フジテレビONE)のキャスターも務める。

川喜田研●インタビュー・構成 interview by Kawakita Ken