代表監督時代の岡田武史氏 (写真) KIMINORI SAWADA

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19日放送、NHK「SWITCHインタビュー 達人達」では、元サッカー日本代表監督・岡田武史氏と建築家・迫慶一郎氏の対談が放送された。

昨年まで中国リーグ・杭州緑城の監督を務めていた岡田氏は、迫氏から「どうして中国を選ばれたか?」と訊かれれば、「どう考えても14億の人口が居て世界の中心になるのは間違いない国じゃないですか。この目で見てみたいというのはあったんですよ。皆がステレオタイプ的に“中国人はこうだ”っていうけど本当かなと思って、ちょっと一回生で見てやろうというのはありました」と説明すると、スペインのクラシコでジョゼップ・グアルディオラの采配に衝撃を受け、新たに挑戦する意欲が湧いてきたことも付け加えた。

また、監督としての理想を「ダメな指導者は嫌われる、バカにされると。優秀な指導者は尊敬される、怖がられる。最高な指導者はいるかいないか分からない。自分もそういうのが理想」と話した岡田氏は、1998年、2010年に指揮をした2度のW杯について訊かれると、「色んな采配や決断をしてきていますけど、その中に自分が絶対的に自信があるのは私心を入れていないっていうこと。俺がこう有名になりたい、俺が勝ちたいっていうのは絶対入れていない。それを自分に問い詰める戦いなんですけど」と切り出した。

実際、1998年には三浦知良らを代表メンバーから外し、2010年も中村俊輔を入れず若手主体のチームに
するなど、その決断は常に賛否をよんできた。「非情なこともしてきましたけど、私情を挟まずにやったらいつか絶対理解してくれると信じてます」という岡田氏は、「一番は、97年のW杯予選の時に最後ジョホールバルでイランとの決戦っていうのがあって、脅迫状、脅迫電話、色んな人が来る。目の前は24時間パトカーが守ってた。そんな状態で戦ってて、ジョホールバル行って家内に電話して“もし明日勝てなかったら日本に住めないと思う”と。家族で海外住むことになると冗談じゃなく言ってた」などと尋常でない当時の様子を語った。

それでも「そういってちょっとした後にポーンって吹っ切れたんですよね。まあ、日本の将来が俺の肩にかかっているっていうけど、そんなこと言われてもどうしようもない。今の俺以上のことはできないから、明日俺の全てを出す、命がけでやる。それでダメだったら俺のせいと違う。俺を選んだアイツ、会長のせいやって本当にそう思ったんですよ。完全に開き直っちゃって怖いもんがなくなったんです。その時にポンと浮かんだ感覚が当たるんですよね、不思議と」などと明かした岡田氏。今年のW杯に話題が及ぶと「問題ないでしょ。客観的にトータルで見たら、日本が十分に2位。ヘタしたらファルカオがいなかったらコロンビア破って1位でも出れる可能性があるくらいだと思ってます。(決勝リーグは)間違いなく行ける」と太鼓判を押した。