春の遠足=アファーミア遺跡/シリア【撮影/安田匡範】

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チュニジア、エジプト、リビアと革命が続く中東。今でも毎日のように、テロや紛争のニュースが絶えません。なぜ中東では革命や政変がこんなに起こるのでしょうか。今回のテーマは「中東問題」。これって何を指すか、知っていますか? 中東研究家の 尚子先生が、わかりやすく説明します。

「中東問題」と聞くと、「シリアの内戦? それともエジプトの混乱?」と最近の中東情勢を思い浮かべられる方も多いかもしれません。中東から連想されるのは、戦争やデモ、テロといった負のイメージが強く、「問題だらけで、どの問題のことかわからない!」と言われてしまいそうですね。

 ですが、「中東問題」とはふつう、さまざまな中東の混乱の根本を作り出しているといっても過言ではない、「パレスチナ問題」のことを意味します。

 パレスチナ問題は中東に4度の戦争を引き起こしただけでなく、現在も未解決のままの問題です。では、パレスチナ問題とはいったい何が原因だったのでしょうか。パレスチナ問題は歴史が長く複雑なため、本編ではパレスチナ問題の原因についてのみ、お話したいと思います。

「中東問題」とは「パレスチナ問題」

 まず、パレスチナとはどこなのかをはっきりさせておきましょう。

 パレスチナ問題が発生した頃のパレスチナとは、イスラエルとヨルダン、レバノン、シリアの一部の地域をさしていました。現在では、この地域の大部分が「イスラエル」となっています。

■エルサレムを中心とした世界地図

パレスチナ

 パレスチナ自治区と呼ばれているところは、ヨルダン川西岸とガザのわずかな地域のみで、パレスチナと呼ばれていた土地のほんの一部にすぎません。パレスチナ問題とは、自治区だけでなく、パレスチナの土地全体をめぐるアラブ人とユダヤ人の争いを意味しています。

 この争いは19世紀後半から20世紀前半にかけて発生しました。この時期には西ヨーロッパで「一つの民族が一つの国家をつくる」という原則にもとづいて「国民国家」が形成されました。そして、その国家システムが東ヨーロッパやその他の地域に、広がっていった時期でもありました。

 パレスチナ問題は、ヨーロッパでの「近代国民国家」形成過程のひずみから生じた問題と言い換えることができます。なぜなら、ヨーロッパで国民国家が形成された際に、少数民族の人々や各国に散らばって存在していたユダヤ人などが、国民国家システムからはじき出されかねない状況になってしまったためです。

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